第2話 昔の男
「なんですかね? これ」
宅配便の小箱を受け取った由希ちゃんが不思議そうな顔をする。
「部品にしては軽すぎなんですよ。事務用品で頼んだものなんか、ないですよねえ」
「うん」
確認もしないでどうこう言っていても仕方ないので、私は梱包を解く。
出てきたのは女性のビキニ姿を模ったゴルフティー。どう見ても社長の個人的買い物だ。アホだ、アホすぎる。
「しゃちょー」
じとーっとした目になって、由希ちゃんが社長を呼ぶ。
「こういうモノをー、会社のお金で買っていいと思ってるんですかー」
「え、だって、それさ」
モニターの向こうから顔を出した社長は、なぜか自信満々だ。
「接待ゴルフで使うんだよ。盛り上がるんだよ、そういう小物使うと。盛り上がって新規注文ドッカンドッカンだよ。必要経費だよね」
「えー?」
アホだ。社長と名の付く人はアホ。つくづくそう思う。全国の社長さんごめんなさい。
「わかりました。税理士さんが来たら訊いておきます」
なにせキャバクラ代が必要経費に入るのだから、これだって案外そうなのかもしれない。お金の括りはよくわからない。
私はため息をついて領収書を保留にする。
そういえば、と思い出す。そろそろ担当税理士さんへの毎月の資料提出の日が近い。書類をそろえておかないと。
メモを開いて先月指示されたことを確認する。
「そうだ。残高証明」
ころっと忘れていた。これはすぐに頼まないと。
私は机の上の固定電話の受話器を取って、銀行の担当さんのケータイ番号に電話をかける。
『それなら、午後カレンダーを届けるつもりだったんで一緒に持って行きますよ』
快くそう言ってくれた担当さんは、昼休憩の時間内にやって来た。
わざわざ持ってきてもらった手前、コーヒーをふるまう。
「お忙しいですか?」
「ぼちぼちだね」
しょっちゅう顔を合わせて気心も知れてるので、差しさわりのない程度に業界の噂話なんかを教えてあげる。
銀行さんでも保険屋さんでも、渉外係にとって情報は命だ。
どこかの会社が新しい機械を欲しがっていると聞けば、飛んで行って資金の提案をする。機械の導入が決まれば、今度は保険屋さんが駆けつけて補償の提案。需要のあるところに飛び込むのだから、ライバルに競り勝つことさえできれば営業はほぼほぼ成功する。
そうやって担当さんと懇意にしておけば何かのときにはすぐに対応してくれるし、助成金や金融の情報も持ってきてもらえる。仕事は持ちつ持たれつなのだ。
「こないだ、佐藤先輩と電話で話したんですよ」
いらん情報まで貰ってしまうこともあるけれど。
「へえ? 元気なの?」
「相変わらずバリバリみたいです」
この四月にうちの会社の担当になった秋山さんは、まだ幼さの残る顔立ちに、素直に感心の色を浮かべる。
「バリバリですからね。憧れです」
確かにヤツは、実にやり手であった。
やり手すぎて人を利用することを屁とも思わない。だけど調子がよくてレスポンスが早いから、社長さんたちから可愛がられる。
うさんくさい営業マンそのもの。そういう男が出世する。
「佐藤くんね。金融庁に行ったんだっけ? いずれ戻ってくるんでしょ」
日帰り温泉施設の露天風呂で、のんびりお湯に浸かりながら絵美が質問してくる。
「みたいねえ」
「戻ってきたらあとは支店長コースまっしぐらだよね」
のほほんと、詩織も言う。
「もったいないことしたなあ、紗紀子。別れなければ支店長夫人になれたじゃん。今からでもより戻せば?」
思ってもないことを意地悪く言ってくる絵美の顔に、軽くお湯をかけてやる。
「たかが地方銀行の支店長夫人って、なにそれ。エライの?」
「毎朝さ、出勤するダンナに、こう鞄を差し出して、行ってらっしゃい、あ・な・た、とかって」
「うわー、紗紀ちゃん似合わないねー」
まったくこいつらは。
「あ・な・た、なんてかしずいてられる性格なら、そもそも別れてないよ」
何を隠そう、件の佐藤くんと私は、大学時代にお付き合いしていた。学生時代にみっちり濃厚に恋愛して、あっという間に冷めてしまった。
だから職場の人たちはそんなことはもちろん知らない。
「昔からお調子者だったもんね、彼」
「紗紀ちゃん付き合ったとき、ちょっと意外だったよねー」
「私も若かったからさ」
あれよあれよという間にヤツのペースに乗せられモノにされてしまっていた。ヤツは実にやり手だったのだ。
今にして思えば、初めてまともに付き合う相手としては標準的で良かったとは思ってる。
未経験のところにわけのわからない男に寄ってこられてひどい目に合わされた女の子の話を、私たちはたくさん知っている。経験のないまっさらな状態に異常性を強いられ、それが当たり前だと思い込んでしまう子もいるのだ。本当にかわいそう。
その点、私は学生らしいお付き合いができて良かったと思ってる。
学校さぼって性行為に耽るって、まさに学生ならではだ。大人になったらとてもそんなことはできない。
大抵のことは彼とふたりで試した。
彼も私も研究熱心だったからとても良かった。
セックスの上手い下手って場数そのものよりも学習能力だと思う。情報を集めて実践、自分たちに合わせて創意工夫。
そうやって学習すれば、どんどん良くなる。もちろんパートナーシップが不可欠なわけだけど。
私と彼との上達具合はかなりのものだったと思う。
そうやって貪るだけ貪ったら、飽きてしまった。突然虚しくなる瞬間ていうのがあって、それは私も彼も同じだったと思う。
段々とデートの頻度が減っていき、やがて自然消滅で会わなくなった。
恋愛の価値は終わり方で決まる。知り合いのおねえさんからそう聞いたことがある。
それに倣えば、終わりさえきちんとできなかったヤツとの恋愛は、恋愛ではなかったのだろうか。ただの爛れた関係だったのだろうか。
「ちゃんと彼氏彼女してたじゃない」
優しい詩織が、そんなふうに言ってくれて私は慰められる。
友だちって大事。友だち大好き。
そんな関係のヤツと私だったので、就職してしばらくしてから人伝に連絡がきたときには驚いた。
「山王工業にいるんだって?」
そう言うヤツは、入行したことを私は知っていた。
「同級生だって、社長に俺のこと紹介してくれない?」
なんだ、その偉そうな態度は。思っていたら、ヤツは唇を曲げて私に向かって頭を下げた。
「頼むよ」
成績のためなら、気まずい別れ方をした元カノにさえ頭を下げて利用する。こういう男が出世するのだ。
うまいことうちの社長に取り入ったヤツは、大盤振る舞いで貸し付けを促し、他行での借金まで借り換えさせてしまった。
ばかりか、自行をメインバンクに据えさせることで従業員たちの給料振り込みのための口座まで全員分設けさせ、同じことを取引先の社長さんたち相手にもやってのけ、あっという間にこの界隈を佐藤色に染めてしまった。
なんつう男だよ、まったく。
やがてその実績で金融庁への出向員に抜擢されたヤツは、華々しく中央へと飛び立っていった。
大した男だよ。唖然と見送って私は舌を巻いたものだった。
「ねえねえ。佐藤くんが戻ってきたらさ、エリート紹介してもらおうぜ。エリート」
「やなこった。あんな奴に頼み事するなんて」
「んもう、紗紀ちゃんの意地っ張り」
そう、私には元カレを利用するなんてこととてもできない。だから私は成功できない。
それでいいのさ。性分なんだから。