第12話 素直な男
仕事が冬期休暇に入ると、ますます一人の時間が増えた。まあ、いいけど。
せっかくだから部屋の大掃除を真面目にやることにする。
普段テーブルやカラーボックスの上に積んである本や雑誌を収納するべく、まずは本棚の整理から始める。
そうすると、いつもは本なんか読まないくせに急に読書家になってしまうのがお掃除あるあるだよね。
昔流行った恋愛小説や高校時代に好きだった詩集を見つけて驚いたりもする。実家にあるもんだと思ってたのに、大事に持ってきてたんだな、私。
詩集をパラパラめくっていたら、高校時代に付き合った井口くんという男の子のことを思い出した。
同じ中学出身で、下校途中によく立ち読みしていた本屋さんで声をかけられた。向こうは私をよく覚えてたみたいだけど、私はさっぱり覚えがなくて。
正直に覚えてない、ごめんねって謝ると、残念そうにだけどはにかんだ顔で笑ってくれた。
何度か顔を合わせるうちに付き合おうって言われた。私はとても簡単にいいよってオーケーした。付き合うとかって、実は全くわかっていなかった。
それで何が変わったかというと、特にデートとかするわけでもなく、本屋で会えたら近くの公園に移動してジュースを飲みながらとりとめのないことを話した。
やっぱり勉強難しいね、数学がついてけない。部活めんどくさいよね。校歌覚えた? 応援歌も覚えるんだぜ。そんなとりとめのないことしか覚えていない。
そのうち本屋で会わなくなって、なんでだろうって思う間もなく私もあまりそこに行かなくなった。それっきり。
手も握らなかったし、おしゃべりするだけの「お付き合い」だった。
「エッチしてないなら付き合ったうちに入らねーよ」
後になって、ヤツに小憎たらしく言われたけれど。
でも井口くんはちゃんと「付き合おう」って言ってくれて、私は「いいよ」って返事したわけだから。だから私にとっては付き合ったうちに入る。
私の初めての彼氏は井口くんなのだ。やっぱりそれも自然消滅だったけど、少なくとも始まりははっきりしていた。とてもはっきりしていた。
大人になったら行為の有無でそれを測るようになってしまう。なんの言葉もなしに「最後までいったら付き合うってことだから」なんて言う男もいる。「好き」って二文字を言葉にすることは本能を剥き出しにするより恥ずかしいみたい。
そんな後出しじゃんけんみたいな始め方しかできなくて、終わりさえちゃんとできなくて。
そんな大人の恋になんの価値があるんだろう。やっぱり体の関係だけなんじゃ。
掃除をする気分なんかじゃなくなって床をごろごろする。
ああ、駄目な大人だ。私は。詩なんか書いたりしちゃおうかな。おお、孤独なる我が人生よ、なんつって。
アホなことを考えてたら、圭吾くんの茶色い瞳を思い出した。
そうだよね、詩なんか考える前にやることがあるよね。
起き上がって部屋着のセーターの上からコートを羽織り、髪だけ梳かして私は部屋を出た。
忙しない年の瀬の街角で、だけど意外と圭吾くんの職場のカフェは閑散としていた。
少し様子を眺めていると、ほうきを持った圭吾くんが歩道に出てきた。そうっと近づいて行くと、驚いた顔で私を見た。
「びっくりした」
「忙しい?」
「全然。人は多いけど、みんな買い物に忙しいんだね」
「年の瀬だもんね」
「仕事ってもう休み?」
「うん」
「中入ってよ。オレがコーヒー淹れてあげる」
私は首を横に振って囁く。
「コートの下、よれよれのセーターだから恥ずかしい」
すると圭吾くんは顔を寄せて囁き返してきた。
「後でオレだけに見せて。よれよれのセーター」
するするとそんな台詞を吐く。
何事もなかったように続けるつもりなんだ。大人のやり方だね。
あの詩集を見つける前なら、私もそれに乗っただろうけど。
「あのね。挨拶に来たんだ」
「挨拶?」
「お別れの挨拶」
悲しそうな顔になって圭吾くんは眉を寄せた。
「嫌だよ。連絡しなかったから怒ってるの? それは謝るからさ」
「怒ってないよ。私がダメだなって思っただけ」
「どうして? そんなの勝手に決めないでよ」
「だって、圭吾くんは決められないでしょ? 私が決めなきゃ、ズルズルしちゃうでしょ?」
「ダメなの?」
そんな可愛くされたら心が揺れちゃう。
「ダメ。ズルズルするのは良くない」
「オレ、紗紀さん好きだよ」
なんて憎たらしい。ここぞというときに、こんなふうに言えるのも、イケメンで自信があるからだろうな。
そんなふうに思ってしまう私は徹底的にひねくれている。独りになって頭を冷やさなくちゃダメなんだ。
好きって意味を、ちゃんと思い出さなきゃダメなんだ。
「圭吾くんの良いところは、素直で正直なところだと私は思う」
「……うん」
「だから、お別れを素直に受け入れて下さい」
「ズルい言い方だなあ」
狡い大人だからね。
「楽しかったよ。短い間だったけどありがとう」
今まで言えなかった何人分もの言葉を。言わせてくれてありがとう。
「最後に耳たぶさわらせて」
「やだ」
切って捨てると、圭吾くんはにこりと笑った。
「後悔するのはどっちかな?」
そりゃあ私でしょうけども。泣きはしないけどね。




