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第9話 猪突猛進な男

「はい。資料はこれで結構です」

 会計事務所の野木さんが頷く。

 私はほっとして会釈した。

「よろしくお願いします」

 毎月の税理士さんへの資料提出。毎回決まったことではあるけれど、不備がないようにとそれなりに気を遣う。


「決算の資料もまとまったので、先生がご説明に参りますので、社長とお会いできますか?」

 この野木さんはアシスタントスタッフで税理士ではない。会計事務所のドンの杉本税理士さんが社長と会いたいそうな。

「そうですね……年内は遠出の予定はないし、決めてもらえば事務所にいるよう伝えます」

「それではですね……」


 さっそく翌日の午前中に杉本税理士さんがやって来た。うちの社長と同年代で、頭が完全に禿げ上がった恰幅のいいおじ様だ。

 うちの会社は九月が決算だから、そのまとまった資料のファイルを来客用のテーブルに置き、長々とした前置きの後説明を始める。


 社長がまずは従業員の賞与を出せるかを聞く。杉本先生は「もちろんです」と笑顔で頷く気配。

 仕事をしながら聞き耳を立てていた由希ちゃんと私はここでこっそりガッツポーズ。利益計算については私もエクセルに資料をまとめていたから黒字利益でボーナスはたくさん貰えそうだと読んではいた。よし。


「一言で言えば大きく黒字です。それは喜ばしいのですが、税金がですね……。そこでですね……」

 杉本先生はぐっと声音を低めて説明を始める。

 またか、と私は内心で眉をひそめた。


 ほんの二年前までは、うちは個人会計事務所の先生に担当してもらっていた。とても丁寧な人だったけど、大人しすぎて明朗闊達な社長とはウマが合わなかった。

 そこで当時銀行の担当だった佐藤のヤツが杉本会計事務所を紹介してきたのだ。


 杉本会計事務所は地域では二番手の大きな事務所だ。

 今ここに来ているのが長男で、弟二人がそれぞれ他に支店を構えている。スタッフもたくさんいて担当さんがマメに対応してくれる。

 杉本先生自身を見ていてもやり手なのがよくわかる。が、やり手すぎても問題なのだ。


 担当が杉本先生に変わった年の年度明け、うちの会社に税務署の調査が入った。

 どうして目を付けられたかというと、前年度の黒字収益から一気に赤字に転じた為だ。税金対策を上手くやりすぎてしまったというわけ。

 もちろん合法の範囲内だから調べられたところで平気なはずだが、少しばかり後ろ暗いところがある社長は大いに冷や汗をかいていた。税務署職員もしっかりそこを突いてきて、私も少し怖かった。

 結果としてうちは問題はなかったわけだけど、芋づる式に取引先の会社にもどんどん調査が入り、どこぞの社長はエライ目にあったと愚痴をこぼしていた。まったくみんな、しょうもないのだ。


 そんなわけだから、杉本先生が何か提案してくるたびに私は警戒してしまう。社長が何かやりだせば雑用が増えるのはこっちなのだから。

 キーボードを叩きながら耳を澄ませてオトナのやり取りを窺っていると、どうやら話の内容はこうだった。

 黒字のせいで支払う税金が増えるくらいなら役員を増やして手当として分配してしまった方が良いのでは? 平たく言えばそういうことだ。


 株式会社山王工業の株の全ては代表取締役である社長が握っている。創業者として当然だ。

 他に、現在は育休中だが経理と労務を担当する社長の奥さん、創業時からの従業員である工場長の鈴木さんが役員として名前を連ねている。

 今度役員を増やすなら、それはやっぱり林さんだよなあ。


「人選はもちろん社長次第ですが」

「そうだねえ、考えときます」

 社長がこういう返事をするときは考えるのが面倒なのだ。大抵はその話は立ち消えとなる。即決即行動の人である社長の辞書に、熟慮という文字はない。

 杉本先生は鷹揚に笑って「それでは」と話を締めくくった。


「ところで社長。最近どうですか? 今夜にでもご一緒しません?」

 くいっとお猪口を傾ける仕草をする。

「いいですねえ」

「魚の美味い店を見つけたんです。お席を用意しますので」

「是非行きましょう」

 ふたりの親父はいやらしい笑いを浮かべ合う。その後どうせキャバクラに行くのだ。ほんとにしょーもない。





「そうは言っても、おたくの社長はすごいよ」

 三時の休憩に一緒にコーヒーを飲みながら畠製作所の弥生さんが言った。

「二十代で起業して、あーんなちっちゃな工場から始まった会社を十年足らずでこんな大きくしちゃったんだから。業界じゃあレジェンドだよ。みんな秘訣を知りたいってね」


「イエスマンだからですよね?」

 スナック菓子を食べながら由希ちゃんが冷たく言う。

「まあ、そうだよね。あとはあの決断力と実行力。イマドキの若者にはないものだよね」

 弥生さんが頷くと由希ちゃんもそれには同意した。

「ファミレスで注文決めるにもうだうだするヤツばっかですからね」

「男は度胸、女は愛嬌、でしたっけ? なんか最近は逆だよね、それ」

「ほんとほんと」


「でも社長の場合、決断力と実行力だけとも言える」

 立ち止まって考えるということをしない。まさに猪突猛進。

「だから林さんみたいに沈着冷静な人を片腕にしたかったんじゃない?」

 弥生さんの指摘に私は納得する。ああ、なるほど。


「社長も一応考えてるんですね」

「社長さん仲間のアドバイスかもしれないけどね」

「そういえば、こないだ社長さん同士で集まってファミレスで二時間しゃべってたって話してましたね。何やってんだか」

 おじさんたちだって群れるのが好きなのだ。


「あーあ」

 弥生さんが頬杖をついてため息を落とした。

「私だってさあ、行動力のある男の人にぐいぐい引っ張ってもらいたいんだけどなあ」

「そりゃ、わたしだって」

 由希ちゃんが乗っかったから私はちょっと驚く。あなたそういうタイプなの?

「引っ張ってくれないから、こっちが引っ張るしかないんですよ~。わたしだって本当は誰かに手を引いてもらいたいんですよ。フォローミーって言ってもらいたいですよ」

 そうなのか。


「紗紀子さんは完全にイニシアチブをとらなきゃ気がすまないタイプですよね」

「否定はしないよ」

 だから言うことを聞く年下が好きなのだ。否定はしない。

「というか、私は自分のペースを乱されたくないだけ」

「乱されたことがあるんだ?」

 弥生さんの突っ込みに私は黙る。話してもいいけど休憩時間が終わりそうだったから。


「良かったら今度飲みに行こうよ。紗紀子ちゃんとだったら実のある話がたくさんできそう」

「良いですよー。弥生さん、お酒強そう」

「わたしも交ぜて下さいよう」

 女同士できゃっきゃしていたら林さんが事務所に入ってきた。

 私たちの様子には気を留めずしらーっとスリッパをはいて自分のデスクに行く。


「……じゃあ、コーヒーご馳走様。お邪魔しましたあ」

 弥生さんは一応林さんの方にも会釈したけど林さんは知らん振りだ。

 こういうところが印象悪いってわかってるのかな、この人。由希ちゃんは眉をひそめて林さんを一瞥してからカップを片づけ始めた。


 なんかもう気の毒な人なのかもしれない。居たたまれなくて私は林さんに話しかけてしまう。

「社長は杉本先生と飲みに行くそうですよ」

「うん」

「杉本先生も酒豪みたいですね」

「そうだね」

「林さんは行かないんですか?」

「俺は酒は飲まない」

「へえ?」

「酒乱なんだ」

「……」

 えーと。突っ込むところですか?


 困っていると、やっぱり眉をひそめて由希ちゃんがこっちを見ていた。

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