エピローグ
「何故……何故こんな目に会わないといけないの!」
満月が照らす夜、疾走する馬車の中でニルス伯爵夫人であるアンは、顔を歪めながら叫んだ。
アン夫人の向かいでは、五歳の息子であるエルムを、夫のニルス伯爵であるギルバートが抱き締めている。
現在この親子三人はゾルメディア帝国本国からの逃亡中であった。
ニルス一家は、アーサーが放った暗殺者が屋敷を襲撃する前に、間一髪逃れる事が出来たのだ。
アーサーによるポーロ家殲滅は、暗殺者を手駒に持つ名門貴族達に協力を求められなかったので、小飼の者達だけで実行した。
何故なら、メルチェ家の抑止力の為にと目論んだダイアが暗殺対象だったからだ。
良くも悪くも筆頭公爵家の息が掛かって無い上位貴族など皆無。何処に頼もうが最終的にはメルチェ家に知られてしまうし、弱味も握られてしまう。
故に、焼死体から殺されたとされる証拠隠滅の為に、アーサー個人の手間と時間と金を費やしてしまった。
けれど、相手がニルス一家だと話は別。メルチェ家にとってもニルス夫妻が存在していると何かと都合が悪い。冤罪のお陰でガイストの後ろ楯から外れられたし、ディアナをアーサーの正妃に据えられたのだから。
それに彼等もガイストを裏切った身。自分達が追い落とした皇子が皇太子に返り咲いてしまったら、筆頭公爵と言えどもただでは済まない。
故に、アーサーとメルチェ家、両者の思惑が一致した今、万全の体勢でニルス一家を屋敷、使用人ごと排除出来る。
しかし、最初の暗殺から月日を置いてしまった為に、タッチの差でニルス一家は暗殺者の魔の手から逃れ、帝都からの逃亡を果たした。
実は、ニルス夫妻もポーロ邸炎上を知って独自調査を進めていたのである。
あの用心深かったダイアの屋敷が炎上。しかも家族全員が焼死体となって発見された。
何よりダイアは、ニルス家が伯爵へと昇爵されてから社交界で出会っても、薄ら笑いを浮かべて夫妻を見下していたような雰囲気を醸し出していた。そんな態度はニルス家が本国下位貴族だった頃には1度も無かった。
ポーロ家には、ニルス家以外に一家だけ本国伯爵の分家がいる。彼等には普段と変わらない丁寧な態度を取っている。他の上位貴族達にも下位貴族達にも差別せず同じ姿勢を貫いている。
これはポーロ家が下位貴族にこそ権力基盤を持つが故、当主としては当然の態度。
にも関わらず、何故か自分達だけには不穏な雰囲気を纏っていた。
何か裏があるのではと思い調べてみたら“五年前ルンが投獄されて日を置かず、ダイアがアーサーと会っていた。それから最近まで二人はちょこちょこ会っていたが、デンジャラス公国の情報が帝都に入り始めた頃から二人は疎遠になった”との報告が齋された。
五年前のあの時、ニルス家がルンを裏切ったとしても何のお咎めも無かったのだが、面倒な手続きは本家当主であるダイアが担った。
その場限りの手続きなら、ダイアが一、二度アーサーと話し合うだけで全てが済む。にも関わらず、ずっと何度も会っていた。
これはポーロ家当主の行動としては可笑しい。ポーロ家は帝国下位貴族になら幾らでもツテを持つが、上位貴族相手には然程力を持たない。故に皇家までツテが届く訳が無いし、与えられる物も何も無い。
それに、帝国を左右する程の力を持たない者と度々会っているアーサーの行動も可笑しい。
更に調べてみると、ダイアの小飼だった元属国専用従者に行き当たった。
ポーロ家は帝国下位貴族に多くの分家寄子を持っていると同じく、弱小属国貴族とも多くの親交を持っているので、その国の文化や風習に聡い者を必要とするのだ。
元従者の重い口を金で割らせた時、ニルス夫妻は遂にポーロ邸炎上の真実に行き着いた。
ダイアは全てを知っていた。それをネタにアーサーと裏取引をした。しかし、ルンが聖女として表舞台に現れてしまった事で、二人の間に溝が出来た。最終的にはアーサーから放たれた暗殺者によってポーロ家は滅ぼされた。
全ての事実を知ってしまったニルス夫妻は、当然次は自分達の番だとも知った。
自分達家族の身の危険を知ったニルス夫妻は、グレン等の実家と同じくルンに助けて貰おうと思い、早速従者に手紙を持たせデンジャラス公国大公邸へと向かわせた。
手紙の文面はルンへの謝罪と慈悲を乞う所謂泣き落とし。伝え聞く聖女ルンの性格は男爵令嬢だった頃から何も変わってない。
天然故に感受性豊かで涙脆いルンなら家族を見捨てないだろう、何より弟まで産まれたのだからと高を括っていた。
公国より戻って来た従者によって齋された手紙は、御丁寧に封蝋がしており、中からは羊皮紙が二枚出てきた。
これは期待出来ると思ったニルス夫妻だったが、その文面を読み絶望へ突き落とされる。
手紙にはルンの直筆でこう綴られていた。
拝啓 某ニルス様方々
私が冤罪で牢屋に入れられた時、御丁寧な御手紙を頂きました。
そこには血を分けた娘へ向けたとは思えない直筆の罵詈雑言と、線に迷いの無いの御二人様のサイン入り絶縁状が認められていました。
貴殿方は自分達の裏切りで実の娘が死ぬかも知れないというのに何もせず見捨てました。
この御恩は一生忘れません。
つきましては、私も同じ事をさせて頂きたく存じます。
それでも罵詈雑言の類いは、大公妃として聖女として淑女としてはしたなく存じますので控えさせて頂きます。
この手紙には、私と私の夫であるガイスト大公様のサイン入り絶縁状を同封させて頂いております。
これで貴殿方と私は晴れて赤の他人です。と申しましても、貴殿方が私に絶縁状を贈った時から赤の他人です。
罵詈雑言の類いは帝都を出ていく際に馬車の窓から破り捨ててしまいましたが、絶縁状は今でも大切に保管していますので、ちゃんと証拠も残っております。
なので、私には某という名の弟などおりません。
貴殿方とは他人ですが、私には優しい夫である大公様と優しい母である公太后様という家族に恵まれています。
お陰様で、今では臣下達にも公国民達にも恵まれ、デンジャラス公国で幸せいっぱいの毎日を過ごしております。
私の知人でも、ましてや家族でも仲間でも何でも無い貴殿方が、ゾルメディアゲス皇家から命を狙われると仰られても、赤の他人様を助ける義理も道理も御座いません。
大公様も、丸焼けになったダイアのジジィ同様、身から出たサバだと仰ってました。まさしく焼き魚ですね。
故に、もう二度と手紙も何もかも送らないで下さい。
元娘よりの最後のお願いです。
それではこれにて失礼致します。
追伸 地獄へ堕ちろ。
震えるギルバートの手から、もう1枚の羊皮紙が床へ落ちる。
それは紛れもなくルンとガイストのサイン入り絶縁状だった。
しかもその文面は、ニルス夫妻がルンに送った文面と一字一句同じ物。間違いなく、ルンはまだ絶縁状を持っているとの証明。
夫妻が送った手紙にはゾルメディア皇家に狙われている理由を濁して書いていたが、ルンは家族の裏切りも知っていた。その結果、ダイアが殺された事も。
それ以上に、天然で天真爛漫だったとは思えない程の辛辣な内容に、ニルス夫妻は目の前が真っ暗になった。
こうなると、もう後は何もかもを捨てて逃げるしか無い。とは言っても彼等に行く宛など何処にも無い。
ニルス領内やアン夫人の実家には確実にアーサーの手が伸びて来る。
一時期聖女の実家として名前と顔が売れてしまった為、指名手配されれば帝国内だと間違い無く捕らえられる。
例え独立した元属国に亡命したとしても、ルンの文面から察するに受け入れて貰えない可能性が高い。
残された手段は、別大陸の別の国へと逃亡するしか無かった。
それは、順風満帆で満ち足りた今迄の貴族生活を全て捨てる事を意味している。
エルムの1つ年下の本国侯爵家次女との婚約も整い、これからも御家安泰だと思っていたのにだ。
けれど、事は家族全員の命に関わる。このままだと自分達もポーロ家の二の舞になってしまう。御家安泰どころの騒ぎでは無い。
苦汁の決断をしたニルス夫妻は、使用人達に金目の物を馬車に積み込ませた。
その際、既に亡くなっているアンの母が大病を患っていると嘘を付き、看病をするので当分屋敷には戻って来ない、下位貴族家から奉公に来ている侍女達は実家に帰り、そうでない者達は家財道具を売り払った金を退職金にして皆で分配するようにと指示。馬車の準備が整い次第、直ぐ様帝都にあるニルス邸を後にした。
ニルス一家が屋敷を後にしたのはその日の昼過ぎで、暗殺者等が踏み込もうとしたのは、その日の日没後直ぐだった。
そして、夜。一人だけ連れてきた従者によって、馬車は休む事無くひたすら走り続けていた。
馬車はあと少しで港町へと到着する所まで来ている。
取り合えず船にさえ乗ってしまえば何とかなるかもしれない。しかし、明日の朝までは船は出ない。今晩は、港町の宿屋で出来るだけ身を潜めるしかない。
そんな事ばかりを考えていたアン夫人のイライラが、遂に爆発した。
「何故ルンは家族の命が危ないっていうのに平気で見捨てられるの! 何が聖女よ!」
母の剣幕に五歳になったばかりのエルムが怯えてしまい、父であるギルバートの胸に顔を埋める。
アン夫人の剣幕とは対称的に、そっと息子を抱き締めるギルバート。
「……その台詞、私達夫婦に言う資格は無いよ」
「……なんですって?」
夫を睨み付けるアン夫人。
ギルバートは寂しげな瞳で妻からの視線を受ける。
「欲に目が眩んで、先にルンを裏切ったのは私達だ。今の有り様は手紙にも書いてあった通り、自業自得だよ…」
「くぅ!……にしても、あの時はそうするしか無かったじゃないの!」
「そんな言い訳、被害者には通用しないよ」
「私達も被害者よ! アーサー皇子に逆らえる訳無いじゃない!」
「そう、確かに私達もある意味被害者だ。けれどルンにとっては完全な加害者だ。ルンからすればアーサー皇子などは関係無いよ。全員が裏切り者だ」
「……そんな」
夫の最後の言葉で、アン夫人の怒りが一気に脱力感へと変わった。
それからまた暫く、車内は沈黙が支配した。
すると、外で馬車を走らせている従者の「うわっ!」という叫びが突然響いた。
次には二頭の馬の嘶きが聞こえ、急に馬車が止まると、蹄の音が遠くなっていく。
推察するに、従者が落馬した後、馬が馬車から外れてしまい、勝手に走り去ってしまったようだ。
こうなってしまっては仕方が無い。従者の安否は気になるが、ニルス一家に余裕は無い。
幸い港町まではももうすぐだ。この辺りは屈強な港町の自警団のお陰で野党の噂も聞かない安全な場所。
ニルス夫妻は暫し話し合ったが、事は一刻を争う。今後の旅に心許無いが、金目の物を持てるだけ持って、ここからは歩いて行くしかないと結論付けた。
先ずはギルバートが車内から外へ出て周りの様子を伺う。
やはり、馬が馬車から外れており、蹄の跡が道の先へと続いている。
月の光以外周りを照らす物は無いが、周辺の安全を確認した後、息子のエルムを抱いたアン夫人も馬車から外へ出てくる。
港町の明かりも近い。多少の不安は残るが、泣き言は言ってられない。アン夫人とギルバートは、お互いの顔を見合せ頷く。
そして、親子三人揃って歩き出した。
と、同時に、地面から真っ黒な物体が幾つも盛り上がってく来る。
ニルス夫妻も直ぐ様異変に気付き、馬車を背にして身構える。
盛り上って来た物体が立ち上がった時、黒ずくめの人だと漸く分かった。
その身なりや醸し出す殺気から察するに、野党の類いでは無い。
そう、ニルス一家を皆殺しにする為に放たれた暗殺者達だった。
暗殺対象の逃亡に気付いた暗殺者等は、直ぐ様追跡を開始。馬車に追い付き、先ずは従者に投げナイフを食らわせた。
ナイフは肩をかすめただけで済んだが、従者は落馬。次に馬車と馬を繋いでいる箇所を、やはりナイフで切断。
後は闇に紛れて獲物が出てくるのを待っていれば良い。
まんまと蜘蛛の巣に引っ掛かってしまった事に気付いたニルス夫妻の顔から血の気が失せていく。
暗殺者等は、馬車を囲いジリジリと間合いを詰めていく。その手にはやはりナイフが握られている。
最早これまでと悟ったアン夫人は、最後の命乞いをする。
「私達夫婦はどうなっても良いから、せめてエルムだけは見逃して!」
「……無理だ。我々は皆殺しにせよと命じられている」
暗殺者の非情な台詞は尚も続く。
「故に、今頃はニルス邸にいた者達も灰になっているだろう」
「酷い……」
後に残してきた侍女やメイド、従者に使用人達も暗殺者の餌食になってしまったと知ったアン夫人には絶望しか無くなった。
それでも家族を守ろうと、ギルバートは息子を抱える妻の盾となる。
そして最後の言葉を囁く。
「次に生まれ変わったらまた家族になろう。その時こそルンも一緒だ」
「……あなた」
夫の言葉に涙が溢れ出すアン夫人。それでも無慈悲な暗殺者が最後通告をする。
「遺言は終わったな。なら家族仲良く死ね」
ギルバートは構える。アン夫人はエルムを強く抱き締める。
間合いを詰めていた暗殺者等が飛び掛かろうとしたその時。
「フハハハハハハハハハハハハ!!」
これから殺戮が行われようとしている場面に、不釣り合いな笑い声が響き渡った。同時に、急に辺り一面に霧が立ち込めて来て視界が悪くなる。
濃くなった霧の中から、笑い声と同じダンディーなエロボイスが聞こえて来る。
「フフフ、大公妃閣下を裏切った外道とは言え、多少なりとも家族愛は残されていたのか」
「誰だ!」
声の主に向かって暗殺者は叫ぶも、姿は一向に見えない。
だが、暗殺者以上の非情な返事が木霊する。
「私の任務も害虫全てを駆除する事だ。故に屋敷を襲った者達は全て始末した。当然貴様等にも一人残らず死んで貰う。遺言を残す事も許さない」
すると、最もニルス一家の近くにいた暗殺者等の首が胴から離れ、宙を舞った。その数は3つ。
切断面から血飛沫が噴水のように飛び出してくる。
一通り血を噴き出した首の無い体は、そのまま地面へと倒れる。
皆が何が起こったか分からないでいると、今度は最も外側に待機していた暗殺者等から悲鳴が上がった。
「がはああああ!」
「ぐごおおお!」
「ばけもごおおおお!」
「だずげええええ!」
「ぞんがあああああ!」
直ぐ様状況を冷静に判断した暗殺者等は、先程まで狩る側だった自分達が、今は得体の知れない何かによって狩られる側へと変化してしまったと悟った。
故に、決断は早かった。
「全員撤退!」
そう叫んだ暗殺者の耳元で霧が囁いた。
「害虫が……逃がす訳が無かろう」
囁きと共に、また首と血飛沫が飛ぶ。
その間も暗殺者等の物と思われる悲鳴と怒号は月夜に響き渡る。
ニルス一家は、ひたすら家族全員が抱き合い、目を瞑りながら身を小さくして震えるだけしか出来なかった。
そうこうしている内に悲鳴は無くなり、再び辺りに静寂が戻り始めた。
霧も段々と晴れて視界も良好になってくる。
漸く辺りが暗殺者出現前と同じ状況に戻ると、固まって震えているニルス一家に声が掛かった。
「もうい良いだろう。此方を向け」
一瞬、ビクリとしたニルス夫妻だが恐る恐る顔を上げ、声の主を見る。
其処には見知った顔があった。
「貴方はキーラさん!」
目の前にいたのは数週間前、ニルス邸近くに居を構えた商人だった。
名前はキーラ。白髪に長髪で、常に黒いタキシードに黒いマントを羽織り、商人というよりも名門貴族といったような出で立ちだった。
挨拶に来た際の話によると、以前は属国で商会を営んでいたが、もっと手広く商いを広げようと帝国本国にある帝都に家族揃って引っ越してきたという。
家族構成は本人と妻と息子の三人。ニルス一家と同じだが、キーラ家は全員が美形。
商人という話だったので、頼めば珍しい品から高級な品まで何でも持って来てくた。付き合いは短かったがニルス夫妻は懇意にしていた。
それに、キーラの息子は十歳程だったので、たまにエルムの相手をして貰ったりもしていた。
商人だと思っていた男が満月の光に美貌を照らされ、ピクリともせずニルス一家を見下げている。
しかも、あれだけ暗殺者の血で汚れた筈の地面には、何も争った痕跡が残されていない。
先程の喧騒など元々無かったかのように、地面に仁王立ちするキーラは、血の気を感じられない無表情のまま応える。
「悪いが私の名はキーラではない。真の名はゾディアック、ゾディアック・ズールだ」
「ズール……やはり貴方は商人ではなく貴族?」
尋ねたギルバートに、思いも寄らなかった返事が来た。
「ああ、私は誉れあるデンジャラス公国の貴族。大公家に忠誠を誓うバンパイヤのゾディアック・ズール伯爵だ」
「バンパイヤ!」
キーラの正体を知ったニルス夫妻は再び震え始めた。
夜の帝王とも呼ばれる最凶の魔物が、此方を見据えている。
恐らく、辺りに撒き散らされた暗殺者等の血も、全てバンパイヤが吸収したのだろう。
人としての美貌よりも、バンパイヤとしての恐怖の方が勝ってしまい、怯えきってしまうニルス夫妻の耳に、今度は凄まじい地鳴りが響いた。
それは、ズールの後ろに大きな何かが降ってきた音。
その物は、人間の倍はあろうかと思われる毛むくじゃらの巨体を持ち上げた。
ニルス夫妻は、それを1度も見た事が無い。だが、この世界では有名過ぎるそれが、何か直ぐに分かった。
獣の姿をしたその物とは、勇者バーンですら満月の夜の戦いを避けたと伝えられる人狼、狼男だった。
最凶と呼ばれる吸血鬼と最強と呼ばれる狼男が目の前にいる。ハッキリ言って暗殺者の集団を相手にした方が全然マシだ。
間違いなく暗殺者等は、この二体の魔物に全滅させられたのだ。
最早震えるを通り越して固まってしまったニルス夫妻だった。
すると、何故か聞き覚えのある子供の声が聞こえて来た。
「ズールきょー、あさしんの死体全部ぐりふぉんに乗せて持ってって貰ったよー」
「そうか。数が多いと本当に面倒だな」
「屋敷を襲ったあさしんも結構いたからね。死体を帝都の中から外へ移すのが面倒だったみたいだよ」
「そうだな。毎度毎度送り込んでは外壁に打ち捨てられるのに。隠蔽にも手間が掛かるし。大公閣下の実家も懲りないもんだ」
「ホントだよねー」
聞こえてくる子供の声は、ズールと会話をしている狼男の声。
咄嗟に反応したのは、アン夫人に抱き締めされているエルムだった。
「ワーナー兄ちゃん?」
「あれ、分かっちゃった?」
そう、巨大な狼男の正体は、キーラの息子と紹介された十歳ぐらいの子供、ワーナーだった。
エルムの問いに、狼男とは思えない口調で返事をする。
「アハハハ、でもズールきょーと同じでワーナーってのも嘘の名前なんだけどね。この姿で良く気付いたね?」
「だって声が同じだもん」
「あっ、そっか。アハハハ!」
単純な答を聞いた狼男は、大きな体を揺らし笑いながら頭をポリポリと掻いた。
それでもまだ信じられないといった様子のギルバートが改めて尋ねる。
「……本当にワーナー君なのか?」
「そうだよー。ホントの名前はラミーガって言うんだけどね。普段は人間の姿だけど、満月の夜だけこの姿になっちゃうんだ。それにウチで働いてたメイドのお姉さん達も全員雪女だよ」
「……雪女…」
「うん。屋敷を襲った、というよりか襲おうとしたあさしんを凍らせて退治したのもお姉さん達。全員の死体を帝都の外に捨てたらお姉さん達の仕事は終わりなんで、一足先にぐりふぉんに乗って公国に帰っちゃったけどね」
あまりにも現実感の無い会話に、さっきまで固まっていた体の力が抜けてしまうニルス夫妻。
それでも、呆然とするニルス一家の前、ズールが立っている隣に三度、何かが現れた。
暗殺者の時のように盛り上がるのではなく、文字通り地面からニョキニョキと木が生えるように、美しい女性が生えてきたのだ。
その女性にも見覚えがあるアンが名前を呟く。
「ミッツさん……」
それは、キーラ夫人と紹介され、ミッツと名乗った女性。
とは言え、ここまでくればミッツも偽名だと分かるし、彼女も魔物だと分かる。
偽キーラ夫人も、ラミーガと同じく砕けた感じで喋り出す。しかも声は女なのに口調は男だ。
「ハイドーモー、もう分かってるとは思うけど、俺もミッツって名前じゃねぇよ。ドッペルゲンガーのバギってんだ。こんなナリしてるけど多分性別は男だと思う。その辺はドッペルゲンガーなんで良く分からねぇけどよ」
「ドッペルゲンガー?」
「そうそう。ドッペルゲンガーは誰にでも変身出来るからこんな姿をしてるんだよ。それと何の意味かは分からねぇけど、ズール卿の旦那とラミーガが揃ったら言えって命じられてるんで、先に面倒な用事を済ませるな」
皆が何事かと不思議に思っていると、バギは女性姿のまま発した。
「フンガー」
その言葉の意味を知る者はその場にはいない。いや、世界全体を見回しても今判明しているだけで四人しか知らないだろう。
大きな狼の首を傾げたラミーガが無邪気に尋ねる。
「それってどういう意味ー?」
「さあ、俺も良く分からねぇんだ。大公様がフラン何とかがどうとか言ってたけど」
「フフフ、大公閣下の思惑は我々の想像を遥かに越えるからな」
魔物達の内輪話に入り込めないニルス一家に、バギは美しい顔を向ける。
「まぁ、やることやったし先に進もう。因みに馬車を運転してたオッサンなら心配いらないぜ。眠らせた後、茂みに隠して超回復薬を飲ませてやって、懐に大量の金貨を捩じ込んどいたからよ。目が覚めたら勝手に帰るだろ」
ギルバートは落馬した従者が無事な事を聞かされてホッとした。
「良かった……」
「イヤイヤ、良くねぇよ。あのオッサンも落馬したところを暗殺者に狙われたんだぜ。それを助けたのもラミーガだ。アンタ等夫婦のせいでどれだけの人が危険な目にあったのか分かってんのか?」
「それは……」
「それ以前に、何で俺達が此処にいるのかも分かってんのか?」
バギの問いに、急に強張るニルス夫妻。
デンジャラス公国の魔物達が直ぐ近くに住んでいた。普通に考えれば、ルンが自分達を殺す為に派遣したと想像出来る。
ニルス家はアーサーだけでなく魔王一家の怒りも買ったのだとも言えるのだから。
けれど、魔物達は自分達を助けてくれた。いや、本当に助けてくれたのか?
魔物達は、忠誠を誓うルンの為に自分達の手でニルス一家を皆殺しにしようとしたとも考えられる。
ギルバートは最悪の想像をもって答える。
「……ルンは君達を使って私達家族を殺しに来たのか?」
「…………」
バギは誰も答えない。
「私達夫婦は、死ぬかもしれないと分かっていながらルンを裏切った。だから君達が復讐の為に使わされたのか?」
バギは無表情のまま。美貌に変化が無いまま、再び問う。
「……俺達がアンタ等の近くに越して来たのはいつ頃だ?」
「確か…」
「アンタ等の手紙が大公妃様に届いた頃だろ?」
「……そう言えば」
ギルバートは、手紙を持たせた従者が西の大陸から遠回りでも出来るだけ最短ルートで公国へと着いた頃ぐらいに引っ越して来た事を思い出した。
「アンタ等一家を皆殺しにするだけなら引っ越しなんて面倒な手間を掛けなくても良い。悪いけど俺達は骨も残さず一瞬で標的を消し去る事が出来る。暗殺者なんてガキの使いだよ」
「…………」
「大公妃様はな、アンタ等の事は何とも思っちゃいねえ。けれど、アンタ等の愚行に捲き込まれる人達を心配してたんだ。それが赤の他人だったとしてもだ」
「……ルン」
呟いたアン夫人の瞳から、改めて涙が溢れる。今度はギルバートも同様に。
「アンタ等が助かったのは、そこのエルム坊やのお陰だよ。大公妃様はアンタ等に恨みつらみはあっても、エルム坊やには何も無いからな」
「……うう……う……ううう……」
ニルス夫妻はエルムを抱き締めて嗚咽する。
暫しの間、泣き咽ぶニルス夫妻。そんな中、バギは不思議な問い掛けをした。
「泣いてるところ悪いけどよ。俺の姿に見覚えはねぇか?」
ニルス夫妻は、まだ涙が枯れていない顔を上げる。
夫妻に見詰められたバギが、美貌に似合わず、それでいて万人を魅了するかのようにニカッと笑う。
その屈託の無い笑顔に一番早く気付いたのはアン夫人だった。
「……もしかして……ルン?」
妻の言葉で思い出したのか、ギルバートも目を見開いた。
「……ルン……なのか?」
ニルス夫妻の予想通り、バギが変身していた姿は、現在の聖女ルンの姿だった。
アン夫人はミッツと出逢った時、自分と同じピンクブロンドの髪だったので珍しく思い親近感が沸いた。しかも裕福な商家夫人なので、たまに屋敷へ招いて商品の注文がてら一緒にお茶もしていた。
にも関わらず、今の今まで全く分からなかったが、漸くその事実に気付かされたのだ。
驚愕するニルス夫妻に、ピンクブロンドの髪が月光に透けて聖女そのものの様相を醸し出す。
「漸く気付いたか。そう、この姿こそがデンジャラス公国大公妃、聖女ルン様の今の姿だ」
「……ああ……あ……あああ……」
「聖女の力に目覚めてから多少容姿が変わったとはいえ、まさか最後まで気付かないとはな」
ニルス夫妻が泣き崩れる間にも、バギのタネ明かしは続いていく。
「五年前のあの時、アンタ等は今みたいに当時の大公妃様を連れて逃げれば良かったんだ。そうすりゃ、既に魔王の力に目覚めていた大公様が魔物を使ってアンタ等を匿ってくれた。そして、世界の中心地へ赴むくと同時にニルス家をデンジャラス公国の侯爵、もしかすると公爵にしてくれたかもしれない。大公様は家族や仲間を絶対に裏切らないしな」
「……あああ……ああ……」
「現に、一緒に帝都を出てった仲間達も、今では全員侯爵家当主様に侯爵夫人様だ。その代わり、裏切り者は絶対に許さない。お陰で魔物達も皆殺しになり掛けたしな。実際、魔王と呼ぶに相応しい御人だよ」
「……う……魔王」
ギルバートは泣きながらでも、ルンの夫の異名をボソリと呟いた。
「そんな大公様でも、公太后様と大公妃様には頭が上がらない。そういう意味じゃ、大公家の女性こそがデンジャラス公国、真の支配者なのかもな。ホント、忠誠の誓いがいが有るぜ」
魔王を尻に敷いているという噂はニルス夫妻も知っていたし、辛辣な手紙にも書かれていたが、改めて娘が幸せに暮らしていると実感する。
ここまで語ったバギは、バギなりにニルス夫妻を憐れむ。
「つってもアンタ等の気持ちも分からんでも無い。あの当時、下手に大公様の弟に逆らえる者なんかいなかったのも事実だしな。でも今回ばかりは家族全員の命に関わるから逃げたっつー事だろ」
「……うう……う……」
涙でしか応えられないニルス夫妻だったが、また更に思いも寄らない事を聞かされる。
「因みに今、俺の目と耳は魔王の力によって公国にいる大公様と繋がってる。その大公様の目の前には大公妃様がいる。つまり、俺にも大公妃様の姿が見えてるし、声も聞こえてる」
ギルバートは泣きながらでも漸く応えられるようになった。
「……君には本物のルンが見えているのか?」
「ああ、そうだ。まぁ、俺が今化けてる姿も寸分違わず大公妃様と同じだけどな。確かに俺は偽物だけど、完璧なコピーでもあるんだぜ。声だって同じなんだからよ」
「そうだな……確かに私達の記憶にあるルンの声だ……と言っても言われるまで気付かなかったが…」
「でだ」
先を語らなかったバギは、ズールに目配せをする。
ズールは何かが入っている袋をギルバートの前へと放り投げた。
「これは?」
「中身を見てみなよ」
言われるままに、袋を手に取り中を覗くと、其処には金貨や宝石がギッシリと詰まっている。
訳が分からないでいるニルス夫妻に、またバギが説明する。
「それは大公妃様からエルム坊やへの慈悲だ。アンタ等への慈悲は無いが、子には親がいた方が良いからな。裏切りさえ無けりゃ」
「……全くその通りだ」
「それだけありゃゾルメディア帝国でも中々追ってこれない東の大陸の国へ渡って、親子三人の生活基盤を築けるだろ」
「……ルン」
俯いてしまうギルバートだが、次の言葉で再び顔を上げた。
「それと大公妃様はアンタ等と最後の話がしたいと言っている」
「何を……どうやって……」
「さっきも言っただろ。俺には大公妃様の姿が見えているし、声も聞こえてる。逆に大公様にはアンタ等の姿が見えてるし、声も聞こえてる。要は俺が聞いたまま喋り、大公様も聞いたまま喋れば良いだけだ」
「それは……」
「そうだ。俺の姿形、声は大公妃様の完コピ。アンタ等からしたら本物の大公妃様との会話も同然となる」
「…………」
ニルス夫妻は、また黙ってしまう。
ギルバートよりも早く応えたのは、涙を拭ったアン夫人だった。
「……分かりました。お願いします」
「一応確認するが、本当に良いのか?アンタ等は大公妃様を裏切り、殺し掛けたんだ。何を言われても文句は言えねぇぞ?」
「それは当然です。何を言われても甘んじて受ける覚悟は出来ています」
「……そうか。なら、もう問題ねぇな。じゃあいくぞ」
バギはガイストの目を通してありのままのルンの表情を作り、ありのままの声を作る。
アン夫人と対峙するバギは、まさしく聖女ルンそのものになった。
「お久しぶりですです、ニルス夫妻」
「……ルン」
五年ぶりの娘との再開に、アン夫人の目に何度目かの涙が溢れる。
けれども、ルンはニルス夫妻と言った。ルンの中ではもう親では無くなっていた。
「手紙にも書きましたが、私はデンジャラス公国で幸せに暮らしています。旦那様はそのままの私で良いと言って下さっているので、聖女の力に目覚めてから外見は多少変わりましたが、中身は五年以上前と何ら変わっておりません」
「そう……なの……いいえ、そうよね」
今思うと、辛辣な文面の手紙も当たり前だったのかもしれない。
例え天然でお人好しのルンであっても、自分を殺そうとした相手を許すなど出来はしない。
アン夫人は、実際に自分が殺され掛けて、漸く気付いたのだった。
それでも、理由はどうあれ、ルンは自分達を助けてくれた。
ルンの根本的な部分は、確かに昔と変わっていないのだと。
母娘二人だけで暮らしていた懐かしい日々が脳裏を駆け巡り、胸が熱くなるアン夫人。
ただし、ルン本人からは相手の姿が見えない。
故に、アン夫人の心情を知るべくも無く、会話を坦々と続ける。
寧ろ、これからが本番だった。
「それでも1つだけ大きく変わりました」
「何が……変わったの?」
「私は母親になりました」
この言葉でニルス夫妻の目が一気に醒めた。返す言葉が見つからないまま、ルンから衝撃の真実が明かされていく。
「旦那様との間に男の子を儲けました。名前はモスト。この子は産まれた時から物凄い力を持ってました。そうです、聖女から産まれた勇者です」
「ルンの……産んだ子が勇者……」
実は、まだこの時点では、モストは公国の一部貴族以外には秘密の存在だった。だから手紙にも子が産まれた事は書かれていなかった。
モストが外に出る時は、先に産まれたセブンの弟と偽って外出していたし、ピンクブロンドの髪は丸坊主にしていた。
それでも顔が似ていたので、帽子を被らせてルンとの外出は出来るだけ控えていた。
故に、外出時大抵はグレンの妻であるスカー侯爵夫人と、ヘカトンケイルの従者やオーグレスの侍女達が一緒だった。
それでもルンは勇者モストの存在をニルス夫妻へ明かした。そしてガイストもそれを認めた。
この後に続く話の為に。
「私と旦那様の息子は勇者。この子は無限の大地に千年王国を築く予言の石碑に導かれた子。見た目はピンクブロンドの髪で顔も私に似てますが、ヤンチャで天真爛漫なところは私にも旦那様にもソックリです」
アン夫人は、ルンの子供の頃を思い出しながらも必死で気持ちを整える。
勇者という事を抜きにしても、自分の孫の誕生を純粋に嬉しく思い、思わず顔が綻んでしまう。
「そう、おめでとう、ルン。元気な子で良かったわね」
「はい、私もそう思います。それで1つ御伺いしたいのですが」
「何?」
「例え親でも財力や権力の前では、自分の子が幼かった頃を忘れてしまうのですか?」
喜びから一転、アン夫人は心臓を鷲掴みにされる感覚に襲われた。それは、牢屋の中で両親に裏切られたと知ったルンの痛みと同じだった。
アン夫人は一気に悲壮感を漂わせ、質問には答えられないままであったが、それでもルンは語り続ける。
「モストは確かに勇者です。勇者を害する事が出来る者など、まず居ないでしょう。それでも、モストがただの人間だったとしても、私と旦那様は命を掛けてモストを守ります。そんな気持ちも何時しか変わってしまうのでしょうか?それとも貴族になったら皆変わってしまうのでしょうか?」
ひたすら沈黙が続く。その場にいる誰もが微動だにしない。
そして遂に、アン夫人がゆっくりと震えながらも口を開く。
「…………違うわ……庶民も貴族も関係無い。私達夫婦みたいに、腐ってしまった親だけが……我が子を裏切るのよ…」
頬に涙が伝いながらも、アン夫人はしっかりと答えた。
ルンに化けたバギは、聖女の微笑みを見せる。
「良かった。全てを失った貴殿方にその自覚があるなら、エルムは救われます」
「……ルン……御免なさい……」
「ルン……すまなかった……」
ギルバートも再び泣いていた。聖女の元両親が啜り泣く。
そんな二人を置き、次はエルムの名を呼ぶ。
「エルム」
「……はい」
「御免ね。お父様とお母様を泣かせちゃって」
「ワーナーお兄ちゃんのお母さんは聖女様だったの?」
「あら、私が聖女って分かるの?」
「うん。聖女様の名前はルンって言うの?」
「そうよ」
ニルス夫妻はエルムに姉がいた事を伝えていなかった。自分達の裏切りのせいで帝都を追われた姉がいたなど言える訳が無い。
それはルンが聖女として現れた時も同様。帝国本国貴族内では、皇家が聖女に何をしたのか話す事は暗黙の禁止とされていた。
今更どのツラ下げて貴方の姉は皇家に追放された聖女だなどと言えるだろうか。
手紙を送った時でさえルンを利用しようと考えていたのだから。
目の前にいる女性が自分の姉だと知らないエルムに、ルンは優しく語り始める。
「今までは貴方のお父様とお母様が貴方を守ってくれていた。でもこれからは貴方も家族を守るのよ」
「家族?」
「そう、家族よ。エルムも大きくなったらお父様とお母様みたいに子供を作って家族を守るの。でも子供も両親に甘えないで家族を守るのよ」
「うん、分かった」
「じゃあ、聖女ルンとの約束ね」
「はい!聖女様!」
エルムの返事と共に、また屈託の無い笑顔でルンが笑った瞬間、ズールの姿が煙のように消え、ラミーガは地を蹴り上空を飛行していたグリフォンの足を掴み、そのまま彼方へと飛び去ってしまった。
後に残されたのはルンの姿をしたバギと、家族全員で抱き締め合うニルス一家。
泣く両親を、エルムだけが無邪気に微笑んで慰めていた。
そして別れの時が来る。
「ではニルス家の皆様」
ルンの言葉に、ニルス一家が反応する。
「バイバイ……お父様、お母様……私の弟」
その言葉を最後に、聖女の姿は夜の影へと消えていった。
~~~~~~~~~~
その後、ニルス一家は暗殺者からの襲撃も無く、無事に東の大陸へと渡る事が出来た。
一家はとある国に根を下ろし、ルンから貰った金品を使って庶民としての生活基盤を整えた。
エルムは幼い内に庶民となったので、これといった弊害も無く庶民生活に馴れていき、ルンと同じく天真爛漫に育っていった。
ギルバートも元々は男爵令息なので、若い頃はずっと庶民と然程変わらない生活をしていたし、それなりに学もあったので、就職先のそれなりの商会で、それなりに重宝され、それなりに出世もしていった。
アンも元々は庶民だったので、ルンと二人暮らしの時のように肝っ玉母さんとなり、旦那であるギルバートからは、やはりルンと同じく鬼嫁と呼ばれるようになった。
それでも、なんやかんやで、更に二人の子供を産んだ。
結局、ニルス伯爵家だった親子五人は、普通の庶民生活を楽しむ普通の家族になっていった。
ニルス一家が再度襲われなかった理由は、やはり帝都外壁に暗殺者の死体が打ち捨てられたからだった。
聖女は魔物を使って実家を守らせていると思われた事と、万全の態勢で送り込んだ大量の暗殺者が、全員見るも無惨な姿となって返り討ちに合ってしまったからだ。
スレイン皇帝はアーサーがメルチェ家と手を組んでニルス一家皆殺しを目論んだ事を知らない。知られてもお咎めは無いのかもしれないが、例え自分を贔屓する親でもアーサーは弱味を握らせたく無かった。それはメルチェ家も同じ。
故に、暗殺者を送る度に自分達で大量の死体処理と隠蔽をするのに骨が折れてしまう。
それと、ニルス一家がゾルメディア帝国でも中々手が届かない遠くに逃げてくれるなら、それに越した事は無かったからだ。
とは言え、不義密通はガイストの虚偽だったという件が残されている。
こやればかりは、ニルス夫妻がいなくともアーサーは嘘を鵜呑みにして聖女を捨てたと捉えられる。
次から次へと頭の痛いアーサーだったが、ディアナの一言でケリが付いてしまった。
「自分で嘘の浮気をばら撒いて、自分に何の徳があるんですか?」
こんな単純な事に誰も気付けない程ゾルメディア皇家は追い詰められていたのだ。
実際に嘘が元でガイストは後ろ楯だったメルチェ家を失ったし、次期皇帝継承権も放棄して帝都からも追放されたのだから。
聖女を手に入れる為だったとしても、ルンはアーサーと婚姻しても聖女の力には目覚めなかった。それでもガイストはルンが欲しいと言った
あの時点では、ガイストだけが『ルンは絶対聖女だ。自分と婚姻すれば聖女の力に目覚める』と分かっていたからだ。
その事実を知らない者達にしてみれば、ガイストは聖女でないただの女性を純粋に愛していたという事になる。
片やアーサーは、自ら聖女だと祭り上げた末に嘘に翻弄され、ニセ聖女だ毒婦だと罵り捨てたというのに、片やガイストは、自分の嘘が元で夫に捨てられ投獄された哀れな元男爵令嬢を、身を挺して助け、純愛を貫いたという事になる。
本物の聖女だったというのは、あくまでも偶然の結果でしかない。
それに、ルンをくれてやると言ったのはスレイン皇帝。最終的には皇帝が許可さえ出さなければ、どんな嘘をつこうがガイストの妻にはならなかった。
結局は、虚偽だろうが何だろうが“スレイン皇帝とアーサーは、義理の娘であり妻であるルンを聖女だと信じず簡単に捨てた”という事実が強調されてしまうのだ。
ゾルメディア皇家の馬鹿さ加減を、帝国全土に広める直前で公表してはならないと漸く気付いたのだった。
それでもアーサーはこの理由を使ってルンを口説こうとしたがアッサリと跳ね返されてしまった。
~~~~~~~~~~
時はデンジャラス公国開放から二年程遡る。
その日、デンジャラス公国大公邸で元気な産声が上がった。
待望の大公家嫡男が産まれたのだ。
赤子を抱いたエメルダが、産みの苦しみを体験して汗まみれのルンに差し出す。
「おめでとう。男の子よ。デンジャラス公国の後取りの誕生よ」
ルンは、産着にくるまれた我が子をそっと抱えた。
その時、ガイストが勢い良く部屋へ入って来る。
「でかしたルン! 俺の予想通り男だっただろ!」
「静かにしなさい! 赤ちゃんいるんだから!」
「あっ、悪ィ」
エメルダに怒られながらもルンへと近付き、赤子を覗き見る。
「男なら俺が、女ならお前が名前を付ける約束だったな」
「そうね。良いわよアンタが名前を付けても」
「ん~、そうだな~、色々と考えてはいるんだけど……」
ガイストが人差し指で赤子の頬を何度か軽く付いた後、まだピンポン玉程の大きさしかない手の平に指を絡めた。
その瞬間、ガイストは悲鳴を上げた。
「あだだだだだだだだだだだ!」
必死で指を引き抜こうとしても、赤子の手はビクともしない。
ガイストがもう片方の手で指を掴む赤子の腕を持っても大した反応が無い。
「おいおいおいおいおいおい!勘弁してくれ!」
赤子が軽く指を開いた瞬間に、漸く指を外す事が出来た。
その場にいる皆は、驚きの表情で人差し指を痛がるガイストとルンに抱かれている赤子を交互に見る。
「えっ、何なの?」
ルンも驚いて胸に抱きかかえている我が子を見詰める。
そんな中、一番早く反応したのはやはりガイスト。
「フッフッフッ、ヤッパリな」
「何がヤッパリよ?」
「お前は聖女だ。聖女が産む子供は何だ?」
その台詞で皆が悟った。
「そうだ、その子は勇者だ!」
皆は当初、初めての妊娠、出産となるルンに、変なプレッシャーを与えないよう勇者という言葉を禁句としていた。
それに、まだ公国が開放されていない時点で、ルンの存在は聖女というよりも大公妃という認識の方が強かった。
そうなると、何時しか聖女から勇者が産まれるというよりも、大公家で初の子供が産まれるという感覚の方が勝っていった。
但し、ガイストを除いてだが。だからこそ産まれてくる子が男だと分かっていたのだ。
ここに至って、腕に抱く我が子が勇者だと気付かされたルンは、目を丸くして呟く。
「私の子供が勇者……」
「そう、魔王と聖女の子は勇者! これでデンジャラス公国は怖いモン無しだぜ! なんたってその子がこの国を千年王国にするんだからな! ヤッパ三度目はねぇぜ! ざまみろ、神よ!製作スタッフよ!」
ルンにすら訳の分からない言葉を並べるガイストは、高らかに宣言する。
「よっしゃ、決めた! この子の名前はモスト! デンジャラス公国のモスト・デンジャラス公子! 勇者モストだ!」
「はぁ?」
転生者であるルンは名前の意味を知っているので、いくらなんでもと思い反対しようとしたが、その前にエメルダやグレン達といった周りが騒ぎ出した。
「あら、ガイストにしては中々良い名前を付けたじゃない」
「ほう、モストってのは力強い名前だな」
「珍しくネーミングセンスありますね」
「モスト・デンジャラスか。きっと雄々しく育ちますよ」
「何故だか今度産まれてくる俺の子にウルフと命名したくなってきた」
「私はブロッケンと名付けたくなってきたわ」
「おおう!名前の意味は良く分からんが、とにかく凄い自信だ!」
「屁のツッパリはいらんですよ!」
ルンは口をパクパクさせてしまい、今更そんな名前は嫌だとは言えなくなってしまった。
結局は、皆の嬉しそうな顔を見て一つ溜め息を付き、納得せざるを得なくなってしまう。
それでも初めての我が子を眺めていると、無意識に頬が緩んでしまう。
乙女ゲームの世界に転生し、初めて母親となったルン。今は新たな家族の誕生で、喜びが満開に咲き誇っていた。
その後もガイストとの間に、長女レイン、次女スノー、次男ミックス、三男ゾーン、三女クラウ、四男へヴィの順で子宝に恵まれた。
また、ルンの美貌と若さは聖女の力によって衰えを知らず、ガイストを看取った後も玄孫の代まで生き続け、勇者モストよりも長生きした。
生涯伴侶はガイスト唯一人を貫き、最後はデンジャラス王家の大家族に看取られ夫と子や孫達の元へと旅立って行った。
魔王ガイストと勇者モストが最も怖れた最強の淑女。
魔王も勇者も聖女には勝てないのよ。
因みにキャラクターネームは
エルム・ニルス→重戦機エル○イム
キーラ→る○は風の中の豊○明
ワーナー→る○は風の中の三○南平
ミッツ→る○は風の中の三○克子
レイン→英語で雨
スノー→英語で雪
クラウ→英語で雲
ミックス→デンジャラスと合わせると混ぜるな危険
ゾーン→デンジャラスと合わせると危険地帯
ラミーガは魔物達の章で明かされています。