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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Catwalk

作者: リラックス@ピロー

 黒いランドセルを背負い、羽柴幸彦は今日もお気に入りの公園に向かう。通学路の途中にあるその公園は小さく、遊具らしい遊具と言えばシーソーとブランコくらいで、後はてんとう虫やバッタといった、奇妙なオブジェがいくつか置かれていた。

 しかし幸彦の目当ては遊具には無く、当然オブジェにも無かった。幸彦は息を弾ませ、淡い黄色のベンチに視線を向けると、我が物顔で陣取る黒い毛玉の存在があった。公園と歩道の間には車道があるため、車が来ていないことを確認してから幸彦はベンチに駆け寄った。


 野良猫にも関わらず艶々とした毛並みの黒猫は、猫好きの幸彦には堪らない。瞳の色は透き通ったアイスブルー。幸彦はくりっと大きな猫目が自分に向く瞬間がたまらなく好きだった。うっとりとした視線を向けると、幸彦はベンチの傍にしゃがみ込む。


「おはよう、クロスケ!今日もいい天気だね。機嫌も良さそうだし、今日こそ触らせてくれないかなぁ」


 幸彦がそっと手を伸ばすが、フシャーッという威嚇とともに猫パンチが繰り出される。素早いその攻撃に、今日もその毛並みを味わうことは出来ないのかとがっくり肩を落とす。幸彦が公園に通い始め、かれこれ一カ月は通っているが未だに猫が懐くことはなかった。


「まぁ、触らせてくれるまで諦めないからな。帰りもまた寄るから、絶対次こそ触ってやる!」


 公衆トイレにつけられた時計を見ると既に八時を指していた。公園から小学校まで十分以上はかかる為、急がなければ遅刻は免れない。幸彦は慌ただしく立ち上がるとその場から走り去った。残された猫は幸彦の後ろ姿を眺めていたが、暫くすると退屈したように欠伸を出した。





 まったく慌ただしくて落ち着きがないったらありゃしない。幸彦ったらもうすぐ十歳の誕生日を迎えるって言ってなかったかしら。こんな寂れた公園に寄る暇があるなら家でゲームでもしていたい年頃なんじゃないの。

 だいたいメスのあたしにむかってクロスケはないんじゃないかしら。幸彦ったらあたしのことオスだと思ってるんだわ、失礼しちゃう。

 ・・・でもまぁ、学校帰りにあの子が持ってきてくれるゴハンはおいしいから、それに関しては文句なんてないけど。

 それにしてもいい天気。これだけあったかいとお昼寝には丁度良いわね。確かに幸彦の言う通り、今日の機嫌は最高。・・・さっき、少しくらい触らせてあげても良かったかしら。

いいえ、やっぱりダメよ。あたしは安いオンナじゃないの。一カ月通ったくらいの男には触らせてあげないわ。

さて、そろそろあたしもゴハンの調達に行こうかしら。公園でのお昼寝も惹かれるけど、お腹も空いたしね。いつも通り商店街に向かうことにしましょう。

 商店街に行くためにはまずは道路を渡らなくちゃ。朝と夕方は意外と車の通りが多いのよね。道路そのものはそこまで広くないけど、大通りの道と繋がってるからってご近所さんが話してたっけ。あたしにはよく分からない話だわ。



「あらぁ、みゃーちゃん。今日もかわいいわねぇ」


 あら、豆腐屋さんとこの奥さんじゃない。今日もスタイリッシュで鮮やかな服を軽やかに着こなしてるわ。特にエプロンから覗くトラ柄が素敵よ。私の黒くてツヤツヤな毛並みは自慢だけど、奥さんみたいなカラフルな外見もちょっと惹かれちゃう。なにより奥さんはあたしの美しさを理解してくれる人だもの。

 みゃーちゃんって名前も女の子らしくてあたしは好きよ。


「ほら、みゃーちゃん、厚揚げ食べるかい?食べやすいように切ってあげようかね」

「みゃー」


 ありがとう、奥さん。豆腐屋さんの旦那さんが揚げてくれる厚揚げは、あたしがこれまでに食べた厚揚げの中で一番よ。口の中でほろほろと崩れるし、舌触りは滑らかで優しい大豆の香りがふわっと広がるわ。これにかつお節がかかってたら尚更最高なんだけど、そこまで我が儘は言えないわね。


「みゃーちゃんったら、もうすっかり商店街のアイドルなんだよ。愛想はいいし、人の言葉が分かってるんじゃないかってくらい賢いし」


 あいどるが何か知ってるわ。すぐ近くの電気屋さんに飾られてるテレビに映ってたもの。制服を着た女の子がきらきらした格好のあいどるを見て興奮してたのを覚えてる。奥さんはあたしもそんな風にきらきらしてるって言いたいのね。

 あら、だれかお客さんが来たみたい。


「ヨシエさぁん、厚揚げ一袋と木綿二丁くださいな」

「はいよぉ、あらっ、キミコさん。お買い物ですか?」

「そうそう、中川さんのところの大根、今日特売日だって聞いてね、これは買わなきゃ損でしょう?」

「そうですよね!私も後で伺おうと思ってたんですよ」

「ならできるだけ早く買いに行った方がいいですよっ。中川さんのとこのお野菜って人気高いですもの」


 厚揚げを買いに来たもう一人の奥さんは、豆腐屋さんの常連で奥さんととっても仲良し。常連の奥さんも猫好きらしく、たまにゴハンをくれるの。二人ともいい人だけど、話し始めると長いのよね。周りも目に入らなくなるくらい会話が盛り上がるから、「接客しないで何してる」って旦那さんが怒るまで止まらないのよ。あたしは厚揚げも食べ終わったことだしそろそろお暇するわ。


「にゃぁおん」


 奥さんたち、ごきげんよう。


 電気屋さんの前を通り過ぎて、八百屋さんの前を通り過ぎて、昔ながらの喫茶店の前を通り過ぎれば、その先には絶好のお昼寝場所があるの。からあげ屋さんとたいやき屋さんの間には、屋台一つ分の隙間があって、寛ぐのにぴったりな広さなの。お昼前の時間はちょうど日が射すから、コンクリートの地面はとっても暖かくなる。最近では公園のベンチの次にお気に入りの場所よ。いい場所だけあって先客が数匹いたけど、彼女たちとはすっかり顔見知り。最初はこの場所に足を踏み入れることすら許してもらえなかったけど、ゴハンを分けてあげたら少しずつ許してくれるようになったの。あたしが定位置に丸くなると、彼女たちは一瞬こっちを見たけれど、それだけ。すぐに夢の中へと落ちていった。

 あたしもすぐに眠くなってくるけど、おやつの時間には公園に戻るようにしないと。幸彦がゴハンをくれるんだもの。太るって?平気よ、食べた分の運動はする予定だから。



 公園のベンチで寛いでると、幸彦が息を切らして近寄ってきた。そんなに急がなくてもあたしは逃げないのに。手に持っている袋から良い匂いがするわ。でも魚の匂いとは違う。もっと香ばしい匂い。この匂いはパンってやつね。確か一週間前に幸彦がくれたゴハンだわ。歯ごたえがちょっと足りないけど、これもおいしいから気にいってるのよ。


「クロスケ、おいしい?」

「にゃおん」


 返事を返せば、幸彦はいつも嬉しそうに笑う。あたしの鳴き声がそんなに嬉しいのかしら。でもその顔はきらいじゃないわ。だって本当に嬉しそうな表情をするんだもの。


「明日はおれの誕生日でね、父さんも母さんも、いつもは仕事で忙しいけど、土曜日だから一緒に遊園地に行く約束をしてるんだ」


 あら、そうなの。それならあたしも何かプレゼントをあげた方がいいかしら。バッタ?チョウチョ?それともネズミがいいかしら?


「だから明日は会いに来れないんだ。次来るときは絶対おいしい餌持ってくるから、それまで待っててね」

「にゃー」


 ゴハンのことなら大丈夫よ。気にしないで幸彦は楽しんでらっしゃい。





 そう言って帰ったはずの幸彦は、その日の晩に泣きながら公園へやって来た。ベンチで寝ていたあたしは、初めて見た幸彦の泣き顔にびっくりして、思わず飛び起きる。いつも笑顔の幸彦が。漢字の小テストでゼロ点をとっても笑ってた幸彦が。かけっこで転んで怪我しても笑ってた幸彦が。


――――泣いてる。


 信じられないような思いで見上げるけど、幸彦は顔を真っ赤にして泣いてて、あたしを気にする余裕もないみたい。


「にゃあ」


 あたしが鳴くと、ようやく気付いたみたいに視線を向けた。


「びっくりしたよね、ごめんね」


 そう言って謝る声も鼻声で、泣いてる姿が痛々しい。立ったままでいさせるのはかわいそうだから、丸くしていた体を起こしてベンチの端による。そうすれば小さいベンチでも人が座るだけのスペースは十分とれる。移動した意味が通じたのか、幸彦はベンチに腰を下ろした。幸彦が座って初めて気が付いたけど、着ている服がパジャマだった。泣いてる時点で何かあったのは分かったけど、これは本格的におかしいわ。人はパジャマを外で着ないはずだもの。

 そう思っていると、幸彦がポツリと話し出した。相変わらず鼻声で聞取り辛かったけど、あたしは耳を傾けた。


「・・・遊園地に行けなくなったんだ、・・・仕事が入ったって・・・」


 その言葉で涙の理由を理解した。


「誕生日を一緒に祝えないっていうことだけじゃなくて、約束が破られたことが悲しかった」


 あたしには誕生日っていう概念なんかないから、誕生日を祝ってもらえない悲しさは分からないけど、泣いてる幸彦を見てると、なんだかあたしまで悲しくなってくるわ。ねえ、幸彦。あたしが何をすればあなたは元気になるの。泣き止んでくれるの。


「仕事だから仕方ないって思っても、ずっと前から約束してたのにって思っちゃうんだ」


 あたしはあなたの涙をすくう手も、あなたを慰める言葉も持たない。泣き止ませる方法も分からないの。


「クロスケ?」


 それでもくっつくとあったかいってことは知ってるわ。こんな時間にパジャマ一枚じゃ寒いはずだもの。あたしができるのは、幸彦に体を寄せるだけ。膝のあたりにくっつくと、思った通り冷たくなっていた。


「あはは、なんだか今日のクロスケなつっこい?」


 驚いた表情を浮かべる幸彦の目元には涙が残っていたけれど、これ以上こぼれる心配はなさそう。あたしはほっと胸を撫で下ろした。でも、普段触られそうになると逃げるか、拒否してたから、幸彦が撫でようと伸ばした手を思わず避けてしまう。


「撫でちゃだめなんだっけ。きれいな毛並みなのになあ」


 そう言って幸彦は笑った。今のは違うの。心の準備ができていれば撫でるのも許すのに。言葉が通じないってじれったい。


「クロスケ、ありがと。元気出たよ」


 そう言って笑う幸彦の顔は、鼻も目も赤くって少しぶさいくだったけど、今までの笑顔の中で一番輝いて見えた。


「おれ、帰ったらちゃんと謝らないと。母さんたちに嘘つきって怒鳴って出てきちゃった。怒ってたらどうしよう」


 人の親は子どもがいなくなったらすごく心配するものだもの。幸彦が学校の行き帰りにこの公園へ寄っていることだって知ってるだろうし、きっともうすぐ迎えがくるわ。

 ほら、二人分の足音が聞こえる。




 月曜日、幸彦はまた公園に来ていた。このまえ、迎えに来たお母さんたちに連れていかれた幸彦がどうなったか、あたしには分からない。でも彼の表情から、きっと悪いことは起こらなかったんでしょう。だって、いつも通りのきらきらした笑顔を浮かべているもの。


「それでね、来週の連休で今度こそ遊園地に行くことになったんだ」

「にゃおん」


 良かったわね、幸彦。あたしはそれを聞いて安心したわ。おそらく約束は守られるはずよ。だってお母さんたちは約束を破りたかったわけじゃないし、幸彦だってそのことちゃんとわかってるもの。今度こそ、楽しんで来てね。


「それでね、みんなに買ってくるおみやげは何がいいかな」


 あたしだったらかつお節が嬉しいわ。それって遊園地にあるのかしら。あたしは行ったことがないから分からないけどあったらいいのに。でも幸彦のおみやげならきっとみんな何でも喜ぶわ。


「あ、もうこんな時間!」


 幸彦の言葉で時計に視線を向ける。遊園地の話で盛り上がってたからか、いつも公園を出る時間はとっくに過ぎてた。このままじゃ遅刻かしら。


「じゃあクロスケ、またねっ」


 そう言って走って行った幸彦の後ろ姿に、誕生日を迎えても落ち着きのない子、と思った。急いでるせいか、いつもは確認してる道路も確認しないで・・・。


 あっ、幸彦、車っ!


 スピードが出てるせいか、幸彦のすぐそばまで車は迫っていた。あたしはベンチから降りると、これ以上早く走れないって言うくらい走った。


「にゃあっ」


 体を襲う衝撃と共に、辺りにブレーキ音が鳴り響く。普段なら子供を一人突き飛ばす力なんて出ないけど、これが火事場の馬鹿力ってやつなのかしら。


「クロスケ!」


 幸彦ったら、泣いてばっかりね。こんなに泣き虫だったなんて知らなかった。体中痛いけど、今はあなたが無事ならそれでいいって思えるのよ。それもこれも泣き虫なあなたの所為だわ。人間はきらいじゃなかったけど、あたしが撫でられてもいいって思えたの、幸彦だけなんだから。

 でも、やっぱり撫でさせてあげればよかったなぁ。器用な五本の指が撫でる心地よさがどんなものか、知りたいわ。


 いまさら遅いけど、ね。

























 波川節が目を覚ました時、自分が泣いていることに気がついた。視界は不明瞭だったが、数回瞬きをすることで天井のシミすらはっきりと捉えられるようになる。重力に則り、涙で濡れたこめかみをスウェットの袖で乱暴に拭うと、水気を含んだ灰色がより深く色を変えた。


「夢みるとか・・・すっごい久々」


 節は仰向けになっていた体を横向きに変える。同じ態勢で長い間寝ていたのか、首の後ろがツキン、と痛んだ。節の視線の先には、先ほど夢に出てきた少年によく似た青年が眠っている。目蓋を閉じているその顔は、口の端から涎をたらし、しまりのない表情を浮かべている。それでもその顔すら愛しいと思うのは、この青年のことが好きだからだろう。一回り以上年の離れた青年と恋人になるまで随分と時間がかかったが、それでもこの関係を結べたのはひとえに努力の賜物と言えるだろう。頑なだった青年の態度にもめげず、節はアピールを繰り返したのだ。節に心を許すようになると、眉間に皺ばかりつくっていた青年はようやく笑顔を浮かべるようになった。




「そろそろ朝だよ。起きて、ゆき」


 うっすらと目を開いた青年が節の姿を認めると、微笑を浮かべ腕を伸ばした。黒髪を梳くように撫でる指が心地よく、節は嬉しそうにはにかんだ。


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