妹の欲求不満を解消してあげたい
「よかったぁ、まだ起きてた」
扉の隙間から顔を覗かせて、芳乃は言った。
「なにがよかったのか知らないが、俺はもう寝るぞ?」
「あ、じゃあナイスタイミングだったんだねっ」
「はぁ?」
なにがだよ、と思ったが、入ってきた芳乃を見て「ああ、そういうことか」と理解する。
そして同時に思う。
こんなことははじめてだ、と。
「ね、一緒に寝てもいい?」
パジャマ姿の芳乃が、マイ枕を持参してやってきた。
当然、そういう運びになるよな。
「あぁ、いいぞ」
「……! 〜〜〜〜〜〜っ!!」
俺が即答すると、それが意外だったのか芳乃は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに「喜びが抑えきれない」といった様子で俺のベッドにダイブした。
たしかに前までの俺であれば、多少なりとも嫌がる素振りを見せていたと思う。芳乃が驚くのもわかる。
だが、俺はすでに腹を決めている。
いや、諦めているというべきか。
もうしばらくは兄として、兄らしく、妹のことを支えていこうと……まぁ、そんな感じの心境だ。
「んしょ、っと。これでよしっ」
俺の枕の横に自分の枕を並べる、芳乃。
妹と一緒のベッドで寝る――いくら記憶を掘り起こしてみても、そんな経験は過去に一度もなかった。
湊に振られ、傷心のただ中にあった夏休みでさえ、寝るときは別々の部屋だった。
それが、今は。
「やっぱり枕はこっちがいいな……取り替えっこしちゃお♡」
二人目の男に振られたこのタイミングでの、この行動。
……別に深い意味はないのか?
それとも――
ぼふぼふっ。
女の子座りした芳乃が、ベッドを叩いて俺を呼ぶ。
「早くいっしょに寝よっ、光貴くん」
ぞわっ、ぞわわわわっ!
一瞬で全身に鳥肌が立った。
「なんだその呼び方……」
「……ダメ、だった?」
「ダメだ」
「じゃあコウちゃん……は被るからやめにして、うん、コウくんにしよっか。決まりっ」
「…………い、いいだろう」
支えていくと決めたのだ。
これが芳乃なりの甘え方だというのなら、俺はそれを受け入れる。
……光貴くんよりはマシだ、たぶん。
「もう消すぞ」
「はぁ〜い」
俺は電気を消し、狭苦しいベッドに横になった。
……………………。
「コウくん、もう寝ちゃった?」
「…………」
耳元での囁き声は無視し、もう寝たことにする。
どれだけ甘えてもいいが、さすがに寝るのは許してほしい。
…………残念、許してくれなかった。
隣でなにやら、もぞもぞと動く気配があって、
「……コウくん……」
そんなつぶやきとともに、下半身にのしかかる重み。
「んんっ……コウくん……」
これは……なにをしているんだ?
下腹部のあたりがこすられて――あぁ、頬ずりしてるのか……。
だいぶうっとうしいが……
だからといって、別に寝れないこともないか。
俺は無反応を貫いて寝ることにした。
「……おい、どこに頬ずりしてる」
無理だった。
頬ずりの位置が、徐々に下へとズレていったのである。
「んふっ、やっぱり起きてた」
「これから寝るんだよ、おまえも寝ろ」
やんわり蹴飛ばそうとするが、逆にがっしりとしがみつかれてしまう。
「わかった、寝るね。おやすみなさぁい」
「……だから、どこを枕にしてるんだよ」
「あれ? コウくんの枕、硬くない……。おかしいな、みーくんのはもっと硬かったのに」
妹相手に硬くなるほうがおかしいだろ……。
というか、もしかして湊には常日頃からこんな感じだったのか、こいつは?
そりゃ別れたくもなる。
「こうしたら……硬くなるかな?」
芳乃は俺の脚にダッコちゃんよろしく抱きつくと、さほど大きくもない胸を押し当ててきた。
「ねぇねぇコウくん、どう? 硬くなりそう?」
……欲求不満なのだろうか?
彼氏とは今日別れたばかりだというのに、もう?
とんでもない淫乱だ。
見た目だけなら清楚系の美少女なのにな……。
「……なぁ、それでもし俺が本気にしたら、どうなると思う?」
「えい、えいっ」
ふにふに、ふにふに。押し当てられる。
「兄妹とはいえ、俺だって男だ」
「ぎゅ〜〜〜〜っ♡♡」
だめだ、全然聞いてない。
いや聞いてはいるのだろうが、聞く価値もないと思ってそうだ。
芳乃は、俺が本気にすることはないと心の底から信じきったうえで、こうしてじゃれてきているのだろう。
だから、俺は上体を起こし、芳乃の肩を掴んだ。
そして言った。
「もう限界だ……芳乃っ……!!」
俺の声がよっぽど鬼気迫っていたのか、芳乃は一瞬で俺から離れると、電気までつけた。
「め、目を覚ましてお兄ちゃんっ、お兄ちゃんきっと溜まってるんだよ、それでっ……」
「芳乃っ!!」
「やぁ〜〜っ、来ないで! ごめんなさいごめんなさい! わたしが悪かったから、だから襲わないでっ!!」
「いい加減に寝ろ、俺はもう限界だ……寝る」
大あくびをしながら、俺はふたたびベッドに倒れこむ。
「……びっくりした……」
芳乃はおとなしく電気を消し、俺の隣に寝ころんだ。
よし、うまくいった。これでようやく寝れる。
もし芳乃が逃げなかったらどうしようかと思ったが。
俺が兄だという意識はちゃんとあるようで、その点だけは兄として本当に安心した。
とはいえ、一方で芳乃は……俺のことを名前で呼んだ。
お兄ちゃん、ではなく。
“みーくん”や“シュンくん”と同じくくりになったのだと、俺はそう理解する。
今回の芳乃の“甘え”は、やはり代償行為と見て間違いないだろう。夏休み、芳乃の部屋で過ごした“あの時間”同様、俺を彼氏に見立てている節がある。
だが今回、“あの時間”とは異なる点が、二つある。
まず一つは――スキンシップの激しさ。
なんというか……パワーアップしてないか?
前はおっぱい押しつけてきたりなんかしなかったぞ。
なにが原因でそうなった?
あのときの芳乃と今の芳乃で、明確に違うものはなんだ?
付きあった人数? いや、
……振られた人数、か?
失恋を重ねるほど依存傾向が強くなっていったりとか……まさかそんなことは、ないよな?
そしてもう一つの異なる点、それは取り決めの有無だ。
芳乃は“あの時間”を始める前に、必ず「付きあって」とお願いをしてきていた。
それに俺が「一時間コースにしてくれ」などと答える。
そのプロセスが、今回はなかった。
部屋だって芳乃の部屋ではなく、俺の部屋だ。
今回の“甘え”には、時間的制約も物理的な線引きも、存在しない。
区切りがない。
終わりが見えない。
明日の朝になっても、芳乃は今の状態のままで。
明日の夜もまた、同じように枕を並べる。
次の彼氏ができるまで、延々と“あの時間”が続くのではないか?
つまりは、地獄の二十四時間コースだ。
それはもはや、パワーアップどころの騒ぎではない。
すぐに寝るつもりが、気づけば芳乃のことばかり考えていた。
これじゃまるでシスコンだ。
だがそのおかげで、異変にも気づくことができた。
唐突に、洟をすする音が聞こえたのだ。
次いで、押し殺したような嗚咽。
……泣いてるのか?
「芳乃、まだ起きてるか?」
わかりきったことを、俺は訊いた。
やっぱり、芳乃は欲求不満なのだろう。
肉体的にも、精神的にも。
彼氏であれば満たしてやれる欲求も、相手が兄では役者不足だ。
ならば、せめて。
兄にもできる肉体的接触を。
「……なぁに?」
「頭、あげろ」
俺は芳乃の枕(俺の枕)を無理やり退けて、代わりに腕を投げ出した。
「……腕枕、してくれるの?」
「いらないなら」「いる……」
早すぎる即答とともに、俺に頭を預けてくる。
それからくるりとうつ伏せになって、俺の腕に目元をこすりつける。
「眠れそうか?」
「……まだ眠くないもん」
そう言って芳乃は、俺のほうへと身体を向ける。
「んん……お兄ちゃぁん……」
そして甘えるような声を発しながら、腕に頬ずりを始めた。
俺は自由なほうの手で頭を撫でてやった。
「あっ、それ好き……もっと撫でて……」
ご注文どおり、もっと撫でてやる。
撫でて撫でて撫でまくる。
暗くて顔はよく見えないが、さぞ気持ちよさそうにしていることだろう。
「で、眠れそうか?」
「……このまま撫でててほしい。そしたら眠れる、かも」
「わかった」
「……ありがとう」
「あぁ、おやすみ芳乃」
「うん……おやすみ、コウくん」
……結局、コウくんで定着なのかよ。
せっかくお兄ちゃん呼びに戻ったと思ったのに。
やがて穏やかな寝息が聞こえてきて、俺の意識も闇へと沈んでいった……。




