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6.二度目の自己紹介

6.二度目の自己紹介



「ごめん、遅くなっ――」


 私たちが座っている席まで来ると、福澤さんは私を見て固まった。

 当然私も固まる。

 大変気まずい空気が二人の間に流れた。


――まさかここで会うとは思っていなかった……!!


「どうしてここに春野さ――」

「――はじめまして!」

「え?」


 福澤さんが目を丸くして何かを言いかけたので、それにかぶせるようにして私は挨拶した。

 こうなってしまっては仕方がない。先週は何もなかったのだ、そうだ、何もなかったのだ。

 だって先日の“春野麻紀”と私は別人なのだから!


「えーと……どういうこと?」


 福澤さんはこの状況を理解できていないようで、非常に困惑している。

 するとそれを察した岡田くんが私の肩を叩きながら言う。


「ああ、諒さん。こいつ俺の同期のまきまきです。今日堀尾さんのために連れてきたんですよー」

「どうもはじめましてー。岡田くんと同じ研究科の牧野はるかです」


 岡田くんに紹介されながら、私もにっこり営業スマイルで自己紹介した。内心ひやひやしすぎて笑顔が引きつりそうになる。

 それに対し、福澤さんは少し眉をひそめて呟いた。


「まきの……はるか……?」

「どうぞまきまきって呼んでくださいー」


 私は笑顔のままダメ押しする。

 本当に別人だと思ってくれるのが一番なのだが――。


「ふーん、なるほどね」


 だけど、私のそんな望みは空しく、福澤さんは何かに納得したような反応だ。

 そして、ゆっくりと、非常にゆっくりと口角を持ち上げた。


「よろしくね、“牧野はるか”さん」


 それはそれはとても魅力的な笑顔で、背筋が凍るほどだ。というか実際凍っている気がする。


「俺、福澤諒介。岡田の二つ上なんだ」


 「知ってると思うけど」が後に続きそうな感じで福澤さんは自己紹介すると、近くにいた店員に飲み物を頼んでから、非常に自然な流れで私の隣に腰掛けた。


「そう、なんですねー。じゃあ福澤さんもばりばり山登っていたんですねー」


 私は僅かに福澤さんから距離を取りながら、無理矢理話を振った。ここは山系サークルの集まりなのだから、悪くはない話題選択だと思う。


「まぁ俺なんかは岡田とかに比べればだらだらやってた方だけどね。そういう牧野さんは何か趣味ある?」


 だけど福澤さんはさらりとその話題をかわして、かなり攻めた質問を返してきた。観劇が一番の趣味である私にこんなの、逃げ場がなくなるではないか。ついでに僅かに離した距離を、福澤さんは詰めてくる。


「えっと、えーっと、そう、博物館行ったり美術館行ったり? アートっていいですよね!」


 完全に頭の中はパニック状態で、観劇のことをいかに誤魔化すかで必死だ。博物館も美術館もよく行くけれど、色々と語れる余裕が今の私にはない。

 しかし、そんな誤魔化しを岡田くんが裏切った。


「あれー? ミュージカルだろー、まきまきの趣味って。先週も行ってたじゃん」

――なんて余計すぎる情報まで……!

「先週? へぇ、偶然だね。俺もちょうど先週観に行ってたんだ、浜松町のところの。牧野さんはどこの行ってたの?」


 福澤さんはにっこり笑顔を向けたまま、素知らぬ様子で尋ねてくる。確実にじわじわと追い込んできている。

 しかし、ちょうどそこで話の矛先が変わった。


「つーか諒、お前別れたってどういうこと?」

「そうだよ、お前、俺と同士だったんだな」


 それまでさんざん元カノの愚痴を言いまくっていた堀尾さんとそれを聞いていた先輩らが、少し席を詰めて福澤さんに尋ねる。

 そういえば福澤さんが来る直前まで噂していたっけ。2年間付き合っていた彼女と最近別れた、とか――。


「どういうことも何も、ただ別れた。それだけだよ」


 福澤さんは、喉に何かが詰まったような声色で、半ば吐き捨てるように言った。顔には笑みを浮かべているけれど、僅かに細めた瞳からは、複雑そうな心境が隠せていないようだ。


「ただ別れたってそりゃー聞けば分かりますって。何で別れたんすか?」


 メンバーの1人が、福澤さんにもう一度尋ねる。これが女子相手だったら確実に聞きにくいことこの上ないのに、男とはこんなにもあっさりと聞けるものなのかと、私は場違いにも感心した。


「何でって……そういう梶尾こそ何で別れたんだよ?」


 あんまり福澤さんはこの件に触れられたくないのか、苦し紛れに梶尾さんに質問を振った。後から来た福澤さんは堀尾さんの別れたエピソードを知らないから無理もない。


「ああん? 簡潔に言うとだな、俺の他に3人もセフレ作ってた上にそのうちの1人が超上手くてちゃんと付き合いたいから別れろだってよ!」


と、さんざんその話をして吹っ切れたのか、お酒の力なのか、完全にやけくそになりながら堀尾さんは言う。そして同じ勢いでビールを煽った。

 流石にこの話題に飽きて若干引きつつある他のメンツに対して、福澤さんはからからと笑っている。


 でも、そのすぐ後にふっと卑屈な笑みを浮かべた。


「俺も堀尾と同じような感じだよ」


 福澤さんはトーンを低くして言った。ひどく感情のこもってない声色で、ただ自嘲が混じっているのは明らかだった。

 彼の瞳は、憂いを帯びていた。


 そういえばこんな表情を前にも見た気がする。

 確かあれは劇場だったかその後のレストランだったか。

 そのときも寂しげな表情をしていたような気もするが――。


――あ、そうか。ふーん、なるほどね。


「まぁ俺の話はどうでもいいよ。せっかく今日はゲストがいるんだし、野郎の別れた話なんか聞きたくないでしょ。それよりも牧野さんの話しようよ」

「えっ」


 それまで質問攻めにあっていた福澤さんは、再びにっこり笑顔で矛先を戻してくる。

 あまりに突然すぎて私は戸惑うしかない。


「そういえば牧野さんて今彼氏いるの?」


 なんて、福澤さんに便乗して他の先輩が聞いてくる。

 そして私が答えるより先にまたもや岡田くんが口を出してきた。


「聞いてくださいよー。周りが恋活してる中、こいつひとりサボってんすよー」

「えー、じゃあいないの?」

「意外。彼氏いそうなのに」


 などと各方面から言われる。まるで動物園の動物みたいに注目を浴びて居たたまれない。


「ふーん、じゃあ劇とか観に行くときどうするの?」


 するとそれに便乗するように福澤さんが聞いてきた。

 先週も全く同じ質問をされたぞ、とちらりと横目で見てやれば、福澤さんは頬杖をついたまま微笑を浮かべている。先日は胡散臭くとも無害そうだったのに、今日は何やらすごく攻撃的だ。

 その原因に心当たりはあるけれども。


「ひとりで行ったり、友達誘ったり? だってほら! 彼氏いなくたって楽しめますしね!」


 もはややけくそに近かった。言いながら我ながら悲しくなる。

 どうしてこんなことを2度も言わなくてはいけないのだろう。


「えーもったいないなぁ。20代のうちだけだぞー色々と遊べるのは」

「もうすぐしたら同期が結婚しだすからな……」


 まるでどこかで聞いたような話だ。修士の私たちではまだ実感が湧かないけれど、実際に彼らは同期の結婚ラッシュに遭遇しているのだろう。

 そして油断した隙にひとりの先輩が聞いてきた。


「ていうか劇観に行って出会い~とかってないの?」


 なんというクリティカルな質問なのだろうか。もう内心パニックだ。

 私はもう一度ちらりと福澤さんを見る。福澤さんもその質問は意外だったのか、少し目を丸くしているが、私と目が合うと意味ありげに細めた。


――あぁもう、ここはやけくそ!


「出会い――がある人はあるらしいんですけど、私はないですねー」


 「うふふふふふ~」と、私はにっこり笑顔でその先輩に返したけれど、とにかく隣からの視線が痛すぎて引きつりそうだったのは確か。


次回10月8日更新予定

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