11.約束
11.約束
「それにしても本当に水族館とか一人で行くんだね」
お店を出てぶらぶらと駅周りを歩いていると、思い出したかのように福澤さんが切り出してきた。見上げれば柔らかく微笑んで、くすくす笑っている。
福澤さんらしい表情だ。
これが何とも言えないような顔を向けられていたのだったら、余計にさみしい女という感じを醸し出される気がするので、返ってこんな風に軽く笑われているくらいがちょうどいい。
「まぁ、それほど苦でもないですし」
「あははっなんとなくそういうところが牧野さんらしいってのが分かってきた気がする」
「そういう福澤さんはお休みの日は何してるんですか?」
大概こういう話題は福澤さんから振られるのだが、たまには私もと思って聞き返してみる。
福澤さんは心地よさそうに湿った風を受けながら答えてくれた。
「そうだなぁ。牧野さんみたいに動物園とかも行ったりするけれど、最近はなんとなく近くの公園を散歩したりとか郊外に遊びに行ったりとか、そんな感じかなぁ」
「それって私とあんまり変わらないじゃないですか」
「あ、そういえばそうだね」
そう二人で笑い合う。
酔っているのもあるのだろうけれど、こういうあっさりした感じのやりとりはとても気が楽だ。
だからついつい突っ込んだ質問を繰り出してしまった。
「福澤さんも、ひとりで行くんですか?」
言ってから、「あ、まずい」と思った。
まだ前の彼女と別れてからそんなに経ってないはずだ。それでこの質問はNGだっただろう。
案の定、福澤さんはそれまでのにこやかな表情を固くし、柔らかく細めていた瞳も少し虚ろげにどこかを見ている。何の色も映っていないようだった。
福澤さんはふっと力なく笑うと、自嘲気味に返してきた。
「まぁ以前は、彼女とふたりで買い物とか旅行とか行ってたけど、最近はそうだなぁ、ひとりが多いね」
そこまで言うと、たった今流れた微妙な空気を払拭するかのように福澤さんは首を振る。
そして申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「ごめん、女の子といるときにあんまり別の人との話をするものじゃないね」
「え? あぁいえ! 聞いたのは私ですし謝ることじゃないです。それにそんなこと気にするような関係じゃないですしねっ」
私は勢いよく顔の前で手を振った。ついついタブーを犯してしまった焦りで、咄嗟に口から出た言葉も、ちゃんと考えて紡いだものではなかった。
だから余計に良くなかったのだろう。
福澤さんは少し目を丸くしていたけれど、若干眉尻を下げて小さくため息を吐いた。
「そうだね、そんなことを気にするような関係、じゃないしね」
少し強調するようにして福澤さんは言った。
そこに妙な含みを感じて、私の気持ちは落ち着かない。
「でもほら! っていうことは、福澤さんもおひとりさまで私もおひとりさまでおそろいですね!」
半ば自虐気味になりつつ、私は顔の横で両手でそれぞれ人差し指を突き立て明るく言った。
すると、福澤さんは「ぷっ」と吹き出した。
「あはは、そうだね。おそろいだけど、わざわざ自分で言わなくても」
福澤さんの言い様はなんだか若干失礼な気がしたけれど、でもそれまでの弱々しい表情は一瞬で消えたので、とりあえずは良かったのかなとひとまずほっとする。
福澤さんはふっと笑いを収めると、すぐにとてもいい笑顔を向けてきた。それまでとは一転して何かを企んでいるかのような感じの笑顔。
「それじゃあ今度、おひとりさま同士、スカイツリーには行こうよ。今度は俺もオットセイ見たい」
と、どこかこの前メールで交わした約束を念押してきた。
さっきのような弱々しい表情も見せるのに、こういう有無を言わさない表情はやっぱりどこか胡散臭い。だけどこういうところも、きっと福澤さんらしい一面なのだろう。出会ってまだ3回目のお出かけだけど、何となくこの人のことが分かってきた気がする。
「今度こそオットセイ起きてくれていると良いんですがね」
「この前は夕方過ぎたんじゃない? 昼間に行こうよ。どうしようか、来週行かない?」
「それはまたすぐですね」
「うん、こういうのはすぐの方がいいでしょ?」
福澤さんは極めつけににこっと笑ってくる。お得意の無言押しだ。
来週は特に何も予定はなかったし、福澤さんがあまりにいい笑顔過ぎたので、結局私は押しに負けてしまった。
そうして歩くこと5分。
赤く光る東京の象徴が間近に見えてきた。
「東京タワーだ」
「あ、ほんとだ。なんだかんだ浜松町まで来ちゃったんですね」
言いながら浜松町の駅を目指す。
そういえば福澤さんと最初に会ったのも、ここの近くの劇場だった。あのときはこんな風に気さくに飲める関係になるとは思っていなかったし、そもそもあの日限りだと思っていたのに、なんとも不思議だ。
そんなことを考えていると、福澤さんが尋ねてきた。
「牧野さんは東京タワー登ったことある?」
「いや、ないですよ。いつも観劇帰りに拝むだけです。たまに劇観た余韻に浸るのにタワーの下でぶらぶらしたりもしますけれど」
「せっかくなら、いつか登りたいよね」
福澤さんがタワーを見上げながらしみじみとそんなことを言うので、私は思わずニヤニヤしてしまった。
「なんかまるでデートみたい」
すると福澤さんは目を丸くしてこちらを見た。
そしてすぐに柔らかく微笑んだ。
「まぁ、デートって考えると気構えるけど、ほら、さっき牧野さんが言ってたじゃないか。おひとりさま同士が揃っておふたりさまになるだけだよ」
そのしたり顔に、私は思わず吹き出してしまった。
「なんだか福澤さん、言い回しが上手いですね」
「ふふ、そうかな」
福澤さんも軽く笑い飛ばしながらそれを流すと、小指を立てて私の前に出してくる。
「じゃあ、いつか東京タワーも登ろうよ」
見ればさっきのような有無を言わさないようないい笑顔でもなく、いつも見せるような柔らかい微笑みでもにこやかな笑顔でもない。
どこか眉尻を下げた自信なさげな笑顔だった。
「いつか、ですよ」
私は苦笑気味にその小指に自分の小指を絡ませた。
すると福澤さんは嬉しそうに顔をほころばせて、小指同士が絡まった手を上下させた。
「約束ね」
その瞬間、ふわふわするようなじんわりくるような、とにかく不思議な感覚に陥った。
やっぱり酔ってるからかな、少しだけどきっとしてしまった。
きっと別に他意はないはずなのに。
私はそれを表に出さないように苦笑混じりに返した。
「はい、約束です」
次回11月12日更新予定