10.最初のお誘い
10.最初のお誘い
そんなやりとりの中で最初のお誘いメールが来たのは、翌日の水曜日だった。
――明後日、飲みに行かない?
そんな感じのメール。
その日は特に予定もなかったし、今差し迫っているものもあるわけでもないので、私はそれに応じた。
そして金曜日。
私は18時過ぎに学校を出ると、近くの沿線に乗って新橋に向かった。福澤さんとの待ち合わせは19時だけれど、おそらくそれより早く新橋に着くだろう。
案の定、30分早く着いてしまった。仕方がないので、ぼんやり待っていることにしよう。
私は新橋駅の烏森口を出ると、待ち合わせ場所であるSL広場に向かった。
先週の新宿に比べれば新橋はまだ人が少ない方だけれど、とは言え金曜日だ。それなりに人はいっぱいいる。改札前とSL広場は特にだ。
だけど、そんな混雑にも関わらず、すでに到着していたその人を、私はすぐに見つけることが出来た。
質の良さそうなストライプの入ったグレーのスーツに身を包みながら、SLの先頭付近でスマホに目を落として立っている。どこにでもいるようなしょうゆ顔だから、特別誰かに振り向かれているということはなく、その場に溶け込んでいた。
でもやっぱりちょいイケメンさんなのと全体的にセンスがいいからか、立ち姿だけでもそれなりに様になっていて、何故か私の視線は自然にそこへと吸い寄せられた。
「――福澤さん!」
私が声をかけると、福澤さんはすぐに顔を上げた。そしていつも見せるようなにっこり笑顔を向けてくる。
「やぁ、こんばんは。早かったね」
「福澤さんの方こそ。まだ30分前なのに」
「ふふっじゃあお互いさまということで」
福澤さんはそうクスクス笑うと、「こっちなんだ」と行き先を指示して歩き出した。しみじみ思うけれど、福澤さんは本当にこういうときのエスコートが、非常に自然で上手だ。だから余計にフェミニストっぽく感じるのだろう。
福澤さんに案内されたところは、烏森口近くの雑居ビルに入った海鮮居酒屋。結構分かりやすいところにあるのにそんなに人も混んでなく、店内も割と広々としていて解放感がある。
私たちはそこの一席に通されると、まず一杯目を頼んでから前回のようにメニューを二人で見る。
そこで福澤さんがくすっと笑った。
「今日はあらかじめ言っておくけど、牧野さんが払う必要はないからね。まぁ、払おうとしたところでさせないけれど」
と、顔の前で手を組んで言う。
私はそれに対し、ため息混じりに返した。
「もう3回目ですし、きっと福澤さんがそう言うと思ってましたけど、案の定。でも、やっぱり私ばっかりご馳走になってばかりでよくないですよ」
「いいのいいの、これでも俺、社会人3年目だからそれなりに蓄えはあるし。それに、年下に払わせるわけにはいかないしね」
福澤さんは極めつけににっこり笑った。この笑顔はよく知っている。有無を言わせないときの顔だ。
私は小さく息を吐きながらも顔の前で合掌し、頭を下げる。
「それじゃあご馳走になります」
「うん、物わかりが良くて助かる」
ちょうどそこでお酒が運ばれてくる。
同じタイミングで食事を何品か頼むと、一杯目はお互いビールで乾杯した。
「そういえば福澤さんて何のお仕事してるんですか?」
これまで本当に何でもないようなメールのやりとりをしていたものの、そういう話の流れになったことはなかったので、未だに福澤さんが何をしているのかを知らない。でも、いつもやたらと気前のいい福澤さんだ。収入の良いお仕事なのは確かだろう。
すると、福澤さんは少し目を大きくしてこちらを見ているのに気が付いた。その理由が分からなくて私は首を傾げる。
「私、何か変なこと聞きました?」
「ああいや、何ていうか、牧野さんからそういう質問されるのって珍しいなって思って」
「そうですか?」
「なんとなく、牧野さんてそういう踏み込んだ質問はしないような気がしていたから」
でも確かに思い返してみれば、福澤さんとのやりとりは基本彼が話題提供してくれているので、それに乗っかる感じで話題が広がっていた気がする。確かに私から何か聞くと言うことはあんまりないのかもしれない。
とはいえ、あくまで仕事について聞いただけだ。
まさかこれが踏み込んだ質問なのだろうか?
「あんまり聞いてはいけないことでした?」
眉をひそめて聞いてやれば、そこで福澤さんはクスッと笑った。
「あぁいや。まったく」
福澤さんは一旦ビールを煽ってから、私の質問に答えてくれた。
どうやら彼は大手のIT系の会社に勤めているそうだ。もともとは経済学部出身だったようだけれど、最近のIT系の会社は文系出身でもSEになれるそうで、プログラムを書いてお客さんと取引する、というのが基本業務らしい。
具体的な業務内容について分かりやすく教えてくれるのだけれども、これまで関わりのない分野で全くイメージが湧かなくて、情報が右から左へと抜けていく感じだった。
私のそんな様子を途中で察したのか、福澤さんはふふっと困ったように笑った。
「まぁ、やってないとイメージつきにくいよね、こういうのって。俺もそうだった」
「はい……すみません、聞いといて」
「ううん、別に構わないけれど。そういえば牧野さんって岡田と同じ学部? 大学院は研究科っていうんだっけ。とりあえず同じなんだよね? ってことは農学部?」
「あ、そうですね。農学研究科です」
岡田くんがもともと農学部出身だったからすぐに連想できたのだろう。とは言え、きっと福澤さんも私が研究室でやっている内容を聞いてもぱっとイメージ付かないに違いない。
どうやって自分のことを説明しようかなと頭の中で考えていると、福澤さんは「そっか」と小さく呟いた。
「農学科、か……」
その口調には、どこか感慨深い何かが滲み出ている感じがした。グラスを片手に空虚を見つめる様は、まるでここではない遠くを見ているかのよう。
しかし、福澤さんはすぐにそれを笑顔の裏に隠した。
「農学科って言っても色々あるんでしょ? 岡田がそんなこと言ってた気がするけど、俺も全くイメージつかないや」
といつものにっこり笑顔で、別の話題へと話を逸らした。
あからさまに違和感ありまくりだったけれど、敢えて私が聞くことでもないだろうし、踏み込むべきではないだろう。
そう思って、私は福澤さんの違和感を気にしないことにした。
次回11月5日更新です