0.プロローグ
昔書いていたものを改稿してアップし直しています。
0.プロローグ
ぞろぞろと人の集まる劇場前。
劇場の上には、今日の演目の看板が高々と掲げられている。ずっと観たくて楽しみにしていた演目だ。
ただ今の時刻は12時30分。ちょうど開演30分前で開場となり、入り口で待っていた人たちは一気に中へと流れ込んでいく。
だけど、私はその波に乗れずにいた。
「ない、ない……どこにもない……」
家を出る前に確かに入れたはずのチケット。
郵送で送られてきた緑色の封筒のままバッグに入れたはずなのに、どの内ポケットを探しても隙間を探しても、その封筒ごとまったく見当たらない。
私は半ばパニック状態の頭を無理矢理落ち着かせながら、ここに来るまでのことを思い出した。
家を出たのは確か10時前。
観劇前に少し買い物をしようと、最寄りの駅から池袋のサンシャインシティに足を伸ばした。でも大した収穫もなかったので、あきらめてそのまま山手線に乗って浜松町に向かおうとした。
――そうだ、あのとき!
池袋のJRの改札を通ったとき、後ろから強くぶつかられてバッグが吹き飛び、バッグの留め具が外れて中身が改札の床に散在した。あのときはぶつかられた苛立ちと自分の荷物が人前で晒されたことへの居たたまれなさ、それでも拾ってくれた人たちの親切に感動したりと慌ただしく、最終的に財布とスマホを回収できてすっかり安心してしまっていた。
だけど、緑色の封筒は――。
「うわぁ、マジ? 最悪……バカだ自分……」
どうして劇場のチケットはバッグから飛び出ていないと思い込んだのか。
たった30分前のことなのに、確認もせずに「みなさんありがとうー!」なんて手を振ってその場を離れた自分を悔やむ。楽しみにしていた演目なだけあって、なくしたショックはでかい。しかも安めの席でも一番にいい席だったのに!
しかし、まだ望みはある。
私はチケットカウンターに行って、自分の予約番号と今の状況を伝えた。食い下がれば係の人がどうにかしてくれるかもしれない。
だが、そんな望みも更に薄くされてしまう。
「チケット紛失ですね。開演5分前になってもそのチケットを持ったお客様がいらっしゃらなければご案内できますが、それまではお待ちいただくことになります。もしくは新たにお席を買っていただくか」
「え、5分前にならないと入れないってことですか!?」
「非常に申し訳ないのですが、そういうことになります」
つまり5分前まで冷や冷やさせられるということか。
最悪の場合、さっき落としたチケットを持った人が現れ入り口に入っていったら、私は今日の公演を観られないということになる。
思わず足下がよろけた。
私はチケットカウンターから少し離れたところでしゃがみ込む。
まったく、何で確認しなかったんだ私! 今頃悠々と自分の席でパンフレットを眺めてにやついているはずだったのに、どうしてこんなことになったのか。これで観られなかったら池袋でぶつかってきた人を呪ってやる。
いずれにせよ、とにかくここは5分前まで辛抱強く待つしかない。チケットを持った人が現れないように祈りながら、私は入り口に向かう人たちをじっと観察した。
「――ねえ」
しかしまっすぐに入り口に向かう人たちが恨めしい。
みなさんとてもいい笑顔で「楽しみだね!」と話し合いながら、すんなりと入り口のバーコードリーダーにチケットをかざして中へと入っていく。
その中には劇場前で棒立ちしている私を不審な目でみてくる人もいるので、本当に心の底から居たたまれなくなる。
「ねぇ君さ」
にしても暑い。
何でこんな日に限って快晴なんだろう。
つい先日の天気予報では本格的に梅雨入りしたとか言っていたはずなのだが、今日は雲一つ見えない。そのくせまとわりつくような湿気が鬱陶しくて、今の私を更に苛々させる。
「ねぇ、ねえってば」
「えっうっはい!?」
突然肩を叩かれ、私は思わずびくりと身体を揺らした。
咄嗟に振り返れば、いつの間にか隣に立っていた男性と目が合った。私よりも2,3コ年上かと思われる、どこにでもいそうな整った顔立ちの人。
男性は私を見て目を丸くした。
「あれ? もしかして気が付いていなかったの? ずっと話しかけていたんだけど」
「え? いえ、すみません、聞こえてなかったです」
というか、何故自分が今この人に話しかけられているのかすら分からない。
相手はまったく知らない人だし、いや、もしかすると知らないところで無意識に自分が何か迷惑を掛けたのだろうか。
そんな不安が頭を過ぎったとき、男性はふっと柔らかく微笑んだ。
「そっかそれならいいんだ。それよりも君、チケットなくしたんでしょ? さっきのやりとり見ちゃったんだ」
「はぁ……それが一体――」
「それで、ここにチケットが2枚あるんだ。君、どうかな?」
「は?」
男性はすっと自分の顔の前に2枚のチケットを持ち上げるが、まったく展開についていけない。
「しかも結構いい席なんだ。観るよね? と言っても俺の隣だけど」
「え……は? でも……は……?」
「遠慮はいいから。さ、おいで」
男性は慣れた手つきで私の腕を取ると、そのまま私を入り口の方へ引っ張った。
――え、っていうか何この状況!?
なんだかよく分からないけれど、今日会ったばかりの見ず知らずの人と観劇することになった――!?