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皇極天皇 壱
譯文大日本史 巻の九
本紀第九
皇極天皇
孝徳天皇
齋明天皇
皇極天皇、初め寶皇女と稱し、敏達帝の曾孫、
押坂彦人大兄皇子の孫、茅渟王の女なり。
母は吉備姫王。
天皇、初め用明帝の孫、高向王に適ぎて漢皇子を生めり。
後舒明帝、焉を納れ、二年、
立てゝ皇后となす。
十三年十月、舒明帝崩ず。
元年壬寅、春正月十五日辛未、天皇、位に即く。
是を天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)となす。
大臣蘇我蝦夷宿禰、故の如し。
天皇、古を稽へて政を施さんとす。
然れども、蝦夷が子入鹿、自ら政柄を専にして、
威権、父に過ぐ。
是の月、百濟の弔喪使来る。
二月六日壬辰、高麗貢獻す。
二十二日戊申、詔して、津守連大海を高麗に、
國勝吉士水鶏を百済に、
草壁吉士眞跡を新羅に、
坂本吉士長兄を任那に遣はす。
二十四日庚戌、
百濟王の弟の子翹岐を召して、
安曇山背連が家に安置す。