あの日、くれない
訃報が入ったのは、朝食の席だった。四歳の娘はまだ眠っていて、私は旦那と二人で朝の穏やかな時間を過ごしていた。いたずら盛りの娘が起きてくると、家の中は途端に戦場と化す。だから平日の朝、娘が目覚めるまでの僅かなあいだは、夫婦二人の貴重な時間だった。
しかしその日は、そんな朝に似つかわしくない大きめの電子音で、珍しく家の電話が鳴った。何事かと思いながら出ると、電話の相手は、普段はメールでのやりとりが多い、母だった。
「田舎のおばあちゃんが今朝方、亡くなったって。昨日は変な夢見たのよね。虫の知らせってやつかしら」
田舎のおばあちゃんというのは、私の父方の祖母である。つまり、私の母の義母にあたる。
私の父は農家の長男で、勉強が得意だったにも関わらず、大学に行くことを許されなかったそうだ。大人しい性格だった父は、両親に言われるがまま家業を継ぎ、一家を支えた。ところがある夏、父の住む町へ長い旅行に来ていた母と偶然出会い、恋に落ちた。その後、東京へ帰った母の後を追うようにして、家族の反対を押し切り上京。翌年の冬には私が生まれたと聞いた時は、我が両親ながらその勢いと計画性の無さに呆れたものだ。父と母の結婚に際し、祖父は家を捨てた父を許さなかったけれど、祖母が父のことを溺愛していて、勘当するなら離婚すると祖父に迫ったそうだ。結局、祖母に弱かった祖父は、父と母の結婚を承諾。無事に私が生まれるに至り、初孫可愛さに結婚前の不仲も鳴りを潜めた。私は高校に上がるまで毎年、両親に連れられて、田舎に遊びに帰っていた。
父の田舎は山あいにあり、秋はあたり一面の山が、綺麗に紅葉する。空港から車で二時間、電車だと三時間以上かかる不便な場所だ。当然、通夜も葬式も家で行うのが一般的なので、人手がいる。喪主は、父のすぐ下の弟である叔父さんがつとめるらしい。訃報を聞き、自分の職場と娘の保育園へ連絡を済ませた後、私は家族三人分の喪服をスーツケースに詰め込んだ。悲しみよりも先に、何をしなくてはならないかという思考回路が働き、あまり現実感がない。起きて来た娘にご飯を食べさせて、溜まっていた洗濯物を片付ける。手早く部屋の掃除をして、急ぎの仕事の引き継ぎを同僚に頼み、パソコンから飛行機のチケットを取る。夕方、普段より早く帰って来てくれた旦那の運転で、空港へ向かった。最終便にぎりぎり間に合う時間だった。
祖父に先立たれた祖母は晩年、ほとんど家から出なかったそうだ。そもそも車が無いと買い物もままならない地域で、高齢者の一人暮らしには優しくない場所だと私は思う。父には弟妹が合わせて四人いるが、全員独立していて、近所に住んでいるのは家業を継いだ次男の叔父さんだけだ。祖父が亡くなった時、私の両親は祖母に同居を持ちかけたそうだが、まだまだ快活だった祖母に相手にされなかった。東京は人が多いから絶対に嫌だと一蹴され、それっきりだ。祖父が眠る場所で最期まで過ごすという祖母の想いは固く、揺らがなかった。通夜の夜、そんな話を親戚一同から聞かされつつ、私はあちこちにお酌して回った。祖母は今年で九十二。大往生だった。通夜振る舞いの席も明るく、思い出話に花が咲く。すっかり片付いたのは、遅い時間だった。
祖母の家は大きい平屋で、土間が高い昔ながらの造りだ。娘は物心ついてから初めての田舎にはしゃぎ、庭に飼われている鶏や五右衛門風呂に目を輝かせていたが、移動の疲れもあったのかあっさりと寝付いた。娘を寝かしつけていた旦那は一緒に眠ってしまい、私は一人で荷物の整理をしていた。ふと光がさしたので顔をあげると、襖の隙間から寝巻きに着替えた母が覗き込んでいた。
「直子、仕事は大丈夫なの?」
「パートだし、大丈夫だよ。三日くらいなら休める」
「そう……じゃあちょっとおばあちゃんと一緒にいてあげてくれない?私と居るよりいいだろうから」
母は苦笑すると、いそいそと私の分の布団に潜り込んだ。線香の火を絶やさないように、誰かが祖母の側についている必要がある。昨晩は父と母、叔父さんが交代で起きていたが、亡くなってからこちら落ち着く暇もない叔父さんは、傍目に見てもそろそろ限界が近かった。結局、父は半ば無理やり叔父さんを家に帰し、夜伽を引き受けた。けれど父も母もう歳なので、二人で夜を明かすのは無理だろう。
「いいよ。もし麻奈実が起きたら呼んで。お母さんも少し寝なよ」
「ありがとう。助かるわ」
居間へ出ると、父が座布団の上で座ったまま微睡んでいた。タオルケットをかけてやり、祖母の側へ座る。新しい線香に火を付けて、香炉へ立てる。薄い煙が立ち上り、線香の独特の匂いが、柔らかく香った。
祖母との思い出は、あまり多いわけではない。一年に一度、田舎へ遊びに来ていたのも随分昔の事だったし、農家に休みは無かったので、まる一日遊んで貰えるわけでもなかった。私は大抵、父にくっついて、祖父母の畑へ遊びに行った。ビニールハウスが連なる広い畑で、私はミミズを追い回したり、ホースから水を出して遊んだり、雑草をバケツいっぱいに摘んだりした。祖母はたまに、祖父が運転する軽トラックの荷台に私と一緒に乗ってくれて、私はその遊びも好きだった。そんな些細な出来事が、ポツリポツリと思い出された。
私が社会人になってからは、帰省する回数も減っていた。最後に会ったのは娘が生まれて、顔を見せに帰省した時だ。考えれば、もう三年以上前のことだった。時間は気が付いたら流れていて、巻き戻すことは出来ない。過去の懐かしい思い出だけが、蝋燭の炎を眺める私の中で、漫然と揺れていた。
葬儀が滞り無く終わった途端に案の定、叔父さんが熱を出した。鼻水をすすりながら、後は大丈夫だからと言い張る叔父さんを父は寝かしつけ、祖母の家の片付けを引き受けた。片付けといっても、軽い掃除と荷物の整理くらいで、大したことはしない。この辺りでは、誰かが亡くなって家が空き家になっても、そのままにしてしまうそうだ。土地を均して新しい家を建てても、住む人が居ないのだ。人は出て行くばかりで、入ってはこないのだと言う。
翌日、仕事の都合がつかなかった旦那は、申し訳なさそうにしながら先に東京へ戻った。私は娘と二人で残り、両親と一緒に家の片付けをすることになった。娘は掃除をしている父や母にくっついて回り、あれこれと構ってもらっている。私は久しぶりに育児から解放された気分を味わい、縁側に座って休憩した。たまにはこういうのもいいなと思った。
「おーい直子、ちょっとそっち持ってくれるか」
呼ばれて奥へ戻ると、父は三面鏡を持ち上げようとしていた。木製の大きいもので、つやつやと飴色に光る。きちんと手入れされており、化粧道具がびっしりと並んでいた。
「これ、持ち上げるの?」
「掃除してて気がついたんだが、後ろに何か落ちてるんだ」
「えー?」
抱えると、見た目よりもずっと重たかった。おそらく引き出しの中も、物が詰まっているのだろう。腰が抜けそうな父を心配しながら、少しずつ動かす。三面鏡の後ろから出てきたのは、見覚えがある口紅だった。
小学校に上がってすぐの年、いつもと同じように帰省していた私は、その日は家の中で過ごしていた。父と母が祖父を連れて、隣町に出来たという大型の電気屋に出かけたのだ。私は珍しく、祖母と二人で遊んでもらっていた。お昼を食べた後、祖母が食器を洗っている間に、私はこっそり三面鏡を開いた。祖母がその場所で化粧する姿を度々見かけており、一体何があるのか知りたかった。三面鏡には沢山の化粧品が置かれていて、不思議な匂いがした。引き出しを開けると、指輪やピアスが丁寧に仕舞われていて、キラキラと光っている。私は思わず手を伸ばしたが、こら!と鋭い声が聞こえて、慌てて振り返った。
「勝手に触ったらダメでしょ。それはオモチャじゃないんですよ」
「ごめんなさい……」
手を引っ込めた私を見て、祖母はくすりと笑った。私の後ろに座り、一緒に鏡を覗き込む。鏡の中で、私と祖母が並んでいた。
「これはおばあちゃんがお嫁に来る時に貰った、大事な鏡なの。だから勝手にいたずらしたらダメよ」
「うん」
「お化粧はまだ早いけど、特別に少しだけね」
言って祖母は、引き出しから口紅を取り出した。じっと見つめる私の前で、小指にそっと紅を乗せる。促されて唇を差し出すと、祖母の柔らかい指先が優しく撫でた。
「見てごらん、お姉さんみたいね」
鏡を覗く。初めて見る自分の横顔は、少しだけ大人びて見えた。
がちゃんと音がして顧みると、三面鏡の前に娘が座っていた。化粧道具を散らかした娘は、引き出しの存在にも気がついたらしい。早速悪戯に取り掛かろうとする娘を、後ろから抱きとめる。
「こーら、触ったらダメ」
「ママ、これ何ー?」
「見せてあげる。ほら、こっち向いてごらん」
拾った口紅を開けると、もうほとんど残っていなかった。指ですくい、娘の唇をなぞる。娘の高い体温を指先に感じ、ふと祖母に触れられたあの瞬間を鮮明に思い出した。洗い物をしていた祖母の指は、ひんやりとしていたこと。けれどそれが、私にはとても心地よかったことも。
「はい、いいよ。見てごらん」
「わーい!……ママ?どうしたの?いたい?」
鏡を見た娘が、慌てて振り返る。後から後からあふれる静かな涙が、視界を濡らした。