自己解決の次に
教室に戻ると、おばさんたちが騒いでいた。いつまで自分たちをここにいさせるのかと、警部に向かって怒鳴っている。ああ、怖い怖い。バーゲンとかで一番力を発揮しそうな連中だ。
警部が一瞬美緒に目で「助けて!」とメッセージを送った。美緒はそれを受け取ったのか、天使のような微笑を浮かべる。警部がほっとしたのも束の間、それだけだった。届いてはいなかったようだ。
今度は僕に目線を向ける。僕は「勘弁してくれ」とメッセージを送り、目を背ける。僕のは届いたようだ。
「ちょっとあんた!」
おばさんの一人が僕に向かってきた。なぜに!?
「あんたが犯人じゃないの!? あんた、申し込みしないでいきなり来たじゃない!」
「そうよ刑事さん! こいつが一番怪しいわよ!」
「さっさと逮捕してよ!」
うわあああ、おばさんの攻撃がこっちに向いた! 警部は一瞬安堵の表情を浮かべた。そんな大人を修正したくなったが、その前に美緒がパンパンと手を叩いて注目を集めた。
手を強くたたきすぎたのか、涙目になっていた。可愛いのだが、今こういう場でやって欲しくはないなぁ……。
「せ、静粛に〜。みなさん、落ち着いてくださぁ〜い」
場違いな間抜けそうな声が響く。しかしおばさんの怒りは収まらず、その矛先は美緒にまで向いた。
「あんたの彼氏のせいで事件が起こったのよ!」
「はわ〜っ! 私の彼氏じゃ……」
「否定するのそこ!? 違うでしょ!」
頼りにした僕が馬鹿だったのだろうか。そう思ったが、意外な人物が助けてくれた。
「まあ、とりあえず話を聞こうじゃないか!」
今まで外野だった警部である。もしかして、手柄を横取りしたいのか?
そんなわけで、美緒の推理ショーが始まった。
「まず、犯人は高松さんですぅ〜」
いきなり犯人を指名。
「ど、どうして私が!」
そりゃあ、そう言うよな。僕だってどうして高松さんなのか知らないし。
先生はかなり慌てた様子だが、決して美緒に掴みかかったりはしなかった。おばさんとは大違い。
「動機とかは、全然わかりませんけど〜、あなたしか、できません〜」
ゆっくりと、美緒は高松先生を追い詰めていく。
「こんな夜に、ブレーカーを落とせば、カーテンを締め切っている室内は、目が慣れるまでは、外より真っ暗なのですぅ」
クイズの説明をするかのように、どこか楽しそうな美緒。だが彼女は喜怒哀楽をちゃんと感じる人間だ。根元から楽しんでいるわけではない。
「あなたはぁ〜、真っ暗でも見えるように〜、予め準備していたのですぅ」
「準備? そんなことできるんだ」
僕が口を挟むと、美緒は自分の眼を指差した。
「対策方法はいろいろありますよ〜。たとえば夜中に起きても〜、真っ暗な部屋の様子が見えませんか〜?」
「見えるね。ずっと眼を閉じていたから眼が慣れるんだ」
「つまりはそういうことですよ〜」
なるほど、眼を暗い環境に慣らすことで、みんなよりも早く目標を視認でき……あれ?
「ちょっと待った。それじゃあ先生はブレーカーが落ちるタイミングを知ってて、眼を閉じていたってこと?」
「違いますよ〜」
……ごめん、もう頭が追いつかないや。僕は割り込まずに美緒の説明を待つことにした。
「通販でも売ってるじゃないですかぁ〜。綺麗な黒い瞳を作れる……黒のカラーレンズ。カラーレンズの流行こそ遠のきましたが、あれは眼を傷つける可能性が高いのであまりオススメは……」
「いいからいいから、話がそれてる!」
修正してあげる。カラーレンズ流行話になりそうだった。美緒は一回カラーレンズが目に悪いと唐突に僕に訴えてきたことがあり、混乱したのも記憶に新しい。
「失礼しましたぁ〜。ええっとぉ、つまりサングラスをかけているのと、同じ効果があるのですぅ。暗い場所に目が慣れていたのですね」
「それなら、眼を閉じなくても暗闇に眼をならすことが可能だな」
警部が頷く。こいつ、やっぱり自分の手柄にするつもりだな。出世したのも彼女のおかげだってわかっているのか、月に一度くらいレストランで奢っているけど。口止め料だな、あれは。
美緒はわかっていないけど「いい人ですね〜」で済ますのだから、彼女はもう少し事件以外で人を疑うことを知るべきだ。
先生がキッと美緒を睨む。
「私が黒いコンタクトをしていた証拠はあるの?」
「ばっちりですぅ。先生はあの暗い中でも、『走って教室の外に出た』んですぅ」
これは僕も覚えている。あのときはあまり気にならなかったが、先生の足音はやけに速かった。
「このトリックには、チョメイテキな欠点があるのですぅ」
「致命的、でしょ」
著名でどうするんだと突っ込みたかったが、時間が惜しいのでやめておいた。
「そうそう。はぁ〜、桐岡君はヒャクシキですね」
「それは大尉専用の……ごめん、なんでもない。つづけて」
たぶん、博識と言いたかったのではないだろうか。突然MSの名前が出てきてびっくりした。……これが若さか。
「その欠点とは、自分でもブレーカーが落ちる時間が、正確にわからないことですぅ」
彼女は教壇に立ち、ホワイトボードに絵を書き始めた。ブレーカーのようだ。
「ブレーカーのある物置にはぁ、あまり使われていない水道の蛇口があって、濡れていたのですぅ」
「だから? ときどき物置を掃除する時に、水を使うの。不思議じゃないでしょ?」
先生の口調が変わった。明らかに美緒を敵対視している。
「濡れている床は〜、一箇所しかなかったのですぅ。『ブレーカーの下』ですよぉ」
ホワイトボードで丸っこい字で『濡れていました』と書くのは、僕と一緒に見たあの場所だった。
「ブレーカーを落としたトリックを、解説しますね〜」
みんなに笑顔を向ける美緒。
「ブレーカーにぃ、丈夫な紐を接着剤でつけて、紐の先に、水を入れるビニール袋を用意しますぅ。そのビニール袋を、宙ぶらりんにして、蛇口からホースで、少しずつ水を入れますぅ〜」
彼女はきゅっきゅっきゅとホースを描いてビニール袋につっこんだ。
「時間が経てば、水の重みで、ブレーカーが落ちるのですぅ」
そこまで言うと、『落ちる』とブレーカーに矢印が延びた。
「でも誤算がありましたね〜。ブレーカーが落ちた勢いで、ビニール袋が破けたのか、紐が外れたのですぅ。だから床が濡れていたんですよぉ」
「そんな証拠、あるの? 私がやったっていう証拠!」
「……せんせぇ」
美緒はちょっと悲しそうな眼をしたが、また笑顔を浮かべていった。
「手がお綺麗ですね〜」
はっとしたのは高松先生だった。
「ブレーカーを戻してから帰ってきた先生には〜、手袋がなかったのですぅ〜」
そうだ。もしかしたら、美緒が探していたのは犯行時にしていた手袋……つまり返り血のついた証拠……だったのかもしれない。ブレーカーのトリックで使った道具は、物も小さいしゴミ箱の中に捨てれば目立つ事はない。しかし、
「この殺人は、時間との戦いなのですぅ。目が慣れれば〜、犯人が見えてしまうのですから、すぐに動かないといけないのですぅ。だから時間をかけて手袋を外して犯行には、及び難いのですよ。顔についていたクリームは、レンズを外すときにも手袋をしていたから、ですよね〜?」
美緒の追求に、先生は押し黙った。
「ゴミ箱の中には、接着剤のついた紐と濡れたビニールはあったのですぅ。鑑識の人に渡しました〜。あとは手袋なのです〜。探しても見つからなかったのでぇ、せんせぇが持っているかも……」
そこで彼女は思わぬ行動に出た。なんと、自分から先生に近づいたのである。恐怖心がないのかこの馬鹿は! そう思って止めようとしたが、既に遅かった。とろい美緒は簡単に先生に捕まると、包丁を眼前に突きつけられた。
「はわぁ〜っ! つ、捕まってしまいましたぁ〜」
「あほ! 馬鹿! 間抜け! どじ!」
僕は美緒に向かって罵声を浴びせた。
「自分が指摘した犯人に捕まる探偵がいるか!」
「私は探偵じゃないですぅ〜」
「ええい、その緊張感のない声を出すな!」
「声は生まれつきですぅ〜」
泣きそうなのか余裕なのか、よくわからないぽわぽわした声で、美緒は反論した。
「名推理よ、お嬢ちゃん。でも彼の言う通り、馬鹿ね」
「は、犯人の人にも馬鹿にされてしまいましたぁ〜」
誰が見ても馬鹿だろう。彼女はこういう事件を考えたりするのは得意だが、常識的な部分では欠陥があり、間抜けな行動が多い。
「無駄な抵抗はよせ! これ以上罪を増やしてもどうにもならんぞ!」
警部が銃を抜いて説得する。日本の警察で広く使われているニューナンブが蛍光灯の光であやしく輝く。
日本の警察にしては珍しく、中原警部は銃の携帯許可申請をよく出して現場に乗り込んでいる人間だ。
「あ、あなたには弁護士とぉ〜、黙秘権を雇う権利がありますぅ〜」
逆だ、逆! 黙秘権を雇ってもなんにもならないぞ!
顔には出ていないが、かなり美緒も動揺しているようだ。
「刑事さん、その銃をこっちに寄越しなさい。じゃないと彼女を殺す」
高松先生の声は、随分と冷めていた。初めのころ見せていた優しい表情はここにはない。
中原警部は仕方なく銃を彼女のほうに放った。しかし、ニューナンブは彼女の数メートル前……僕の足元に転がった。彼女は舌打ちし、僕を見る。
「こっちに蹴りなさい」
「蹴るのは暴発の危険があるんだ。流れ弾に当たるのは御免だから、手で拾っていいかな?」
先生は少し考えたが、僕に銃を持たれても脅威にはならないと判断したのだろう。頷いて、もつことを了承してくれた。
「じゃ……拾うよ」
予告してから銃を拾う。僕の中では次に何をするかが決まっていた。
初めて人を撃つ。
撃てば……人を撃てば……美緒を助けられるかもしれない。猟銃以外に拳銃を使った事だってある。当てられる自信はある。リスよりも標的は大きいのだから。でももし外れたら……。
「渡しなさい」
先生の声が届く。
銃を握る手に汗が流れ込んでくる。
構えろ、構えろ! 必死になって腕に命令するが、どこかで拒絶している。腕が上がらない。自信があっても、脳では外れた時のことを考えて、拘束着でも着せられているように動かない。そして、銃を人に向けて撃つということに対しても抵抗があった。
目をぎゅっと閉じた。意気地なし。どうにかしろ、森で野生動物を撃っていたのを生かせ!
そのとき、近くの台の上に置かれたノートが目に入った。美緒が使っていたやつだ。その上には……!
『男ってのは、好きな女を守れるようでなけりゃ、男じゃないのさ』
僕はゆっくりと銃を床におき、彼女の足元に滑らせた。彼女の目が銃を追う。その隙に、僕はノートの上にあったものを手にし、背後に隠す。手の中で扱いやすいように向きを変え、チャンスを待った。
「早坂さん、銃を取りなさい」
「い、一般人の銃の所持は禁じられていますぅ……」
「いいから!」
大きな声で指示され、美緒はゆっくりとした動作で銃を拾おうと腰をかがめた。
チャンスが来た。
高松先生は僕よりも警察連中を見ていた。視界の隅にいる僕にまで注意が及んでいない。僕は一歩踏み出し、さっき右手に持ったものを投げた。
持ち主を救え!
美緒のボールペン――!
彼女が気づいた時には遅く、包丁を握っていた甲にボールペンが突き刺さった。痛みで包丁を放す高松先生。それを見た美緒は、銃を持ったまま腕を振り解き、僕のところへと駆けて来る。
美緒の身体を強く抱きとめた。動作がゆっくりな彼女にしては動きが速く、受け止めるのに少し力が入った。
「よし、確保!」
中原警部の指示で、部下が一斉に動いた。
「はぁ〜。助かりましたぁ」
美緒が僕の腕の中で顔を上げる。
「ありがとうございますぅ」
「べ、別に。ほら、係の仕事! うん、そうだ、自分のためだよ! 内申点!」
僕はなんとか誤魔化すと、はっとして美緒を離す。ふわふわしたような女の子の感触が離れると少し寂しかったが、今まで抱きしめていたことを思い出すと、それ以上に恥ずかしくなり、心臓がバクバクと音を立てた。
「ご、ごめん!」
「いえいえ〜」
美緒は笑顔で僕の事を見ていた。
直視できない……なんだか美緒がやけに眩しい。