「今夜付き合ってください」
新学期が始まる。
去年は一年、あまりいい思い出がなかった。悪い思い出もなかった。ただなんとなく過ごしていた。でも転入して二日目で、クラスメイトにとんでもない人がいることを知ったんだけどね。
思い出すと疲れてきた。
僕は斜め下を見ながら、とぼとぼと歩を進める。昨日の夜中、フランクおじさんが訓練の愚痴を言っていた(メールで)。でも僕からすれば羨ましい事だ。おじさんは日本語ができるだけでなく、アメリカ陸軍のレインジャー部隊にいるのだ。羨ましい。雑務に時間を潰される事なく、崖を登ったりヘリから降りたり、銃を撃ちまくったりできるのだ。いずれはデルタ(シールに並ぶアメリカ最強部隊)の選抜資格を受けて、最強の男になると豪語していた。
是非ともデルタになってください、と本気で思う。そうすれば、おじさんが僕に教えてくれることが増える。でも現役のデルタは自分のことを話しちゃいけないから、退役してからかな。
大好きなおじさんはサバイバル技術をいっぱい教えてくれた。向こうにいる間、おじさんが暇な時は学校を休んででも森に行って、ナイフの投げ方や人の投げ方も教わった。
あと、ボールペンを武器にする方法も教わった。木の板程度なら投げて刺さる。おじさんはリンゴをボールペンでズバーンと射抜いたことがある。僕もかなり練習して、やっとそれくらいの実力がついた。五メートルくらいなら八割方当てられるくらいに。
おじさんは、「男ってのは、好きな女を守れるようでなけりゃ、男じゃないのさ」と、二八歳独身で言っていた。おじさんの素敵な魅力がアメリカの女にはわからないんだね!
たぶん、おじさんが僕にそういった技を教えてくれたのは、僕がいざというときに好きな人を守れるようにということなのだと思う。
おじさんを思い出すと、アメリカに戻りたいなぁ、とついつい思ってしまう。でもここは日本だ。ぼくの言葉が通じる事以外メリットはない。
早朝から物思いにふける僕。
ふと、前方に軽くウェーブのかかったロングヘアーの少女の姿。ゆっくり歩く彼女は、僕が普通に歩いているペースの半分程度の早さだ。もっとも、これが彼女の普通である。
僕と同じ学校の学生服を着たこの少女の名は、早坂美緒。
一年生の時同じクラスで、忘れようにも忘れられない存在だ。
「あ〜、桐岡君ではないですかぁ」
ぽけぽけでのんびりとした口調で、彼女は僕の名前を呼ぶ。相変わらず眠たくなるような声だなあ、と思ったことは秘密だ。かなり語尾を延ばして喋るので、スローモーションの会話を聞いているような印象を覚える。
「お久しぶりですね〜」
「ああ、うん、そうだね。じゃあお先に!」
僕はしゅたっと手をあげて彼女に別れを告げる。しかし手を伸ばせば届く距離にいた僕は、袖をつかまれて逃げる事ができなくなった。
「せっかくですからぁ、一緒に行きましょう?」
上目使いの彼女は、見た限りでは間違いなく美少女だ。目つきも鋭くなく、いつも眠そうにとろんとしているタレ目の少女。しかし、僕は転入初日のLHRで、いきなり彼女の世話を押し付けられたのだ。
ぶっちゃけ『早坂美緒係』である。
「ねぇ? 行きましょうよぉ」
両手で袖を掴み、規則正しく腕が振られている。仕方ないので一緒に行く事にした。
傍目からみれば、恋人と一緒に登校みたいに見えるかもしれない。だが僕らはキスすらしたことがないし、何も恋人イベントを行っていない。デートみたいなことはしたことがあるが、思いっきり疲れて帰ってくる。
そりゃあ……楽しいと思ったりはするよ? 男の子だし。
不意に、彼女が小さく声を漏らし、こちらに顔を向けた。
「今日の八時頃、お暇ですかぁ?」
相変わらず僕の袖を掴んだまま、彼女は上目使いに尋ねてくる。くっ、狙ってこういう『おねだり』をしているわけではないから強い。天然者は強い! しかも夜だぞ、八時って! なんだかドキドキするじゃないか!
さらに微妙に瞳が潤んでいる! ああっ、ここで否定できるやつは男じゃない!
「暇だけど?」
「よかったぁ〜。じゃあ付き合ってください」
「えっ!?」
一瞬、脳の中で「付き合ってください」の意味を検索した。ああ、そうか。そういう意味じゃないんだ。少し残念。
学校に到着し、昇降口に張られているクラス表を見る。僕はすぐに自分の名前を見つけ、そしてすぐに彼女の名前も見つけた。うう、なんでこんなことに……。
そのとき、後ろからドタドタドタと騒がしい足音を轟かせながら、僕たちに接近する一人の少女。ああ、こいつか。またしても疲れる少女の相手をしなくてはいけないのが悔やまれる。
「おおっ、おおーっ! クラス表が張られている! あたしはどうかな〜?」
三つ編みの少女の名は、僕らと同級生の皆川亜矢子。備考欄には『常にハイテンションな変人』と書かせていただく。
彼女はぎゅうっと背後から美緒に抱きつき、クラス表を見た。
「あ〜ん。また二人と別クラスだ〜!」
亜矢子はがっくりと肩を落とす。『二人』と言ったが、本当は僕なんておまけで、本命は美緒だ。そして僕らは、
「一緒のクラスですね」
「うん、そうだね……」
ああ、見ただけで疲れる。
また一年間疲れるに違いない。いや、まだ望みはある! 今年は彼女に関わらない係や委員会に入ればいいのだ! 楽勝さ。
「さて、ここでみんなのアイドル早坂美緒と二回同じクラスになった幸せ者にインタビューしてみたいと思います!」
亜矢子が鞄の中から収録用マイク(あのカセットテープとかついてるやつね)を取り出し、僕に向けた。
「クラス代わろうか?」
「『魁! イカレ校内新聞部』のマイクには本音をぶつけてくださ〜い」
「これが真実だから。あとその名前、何度も言うけど絶対変えたほうがいいと思うよ」