セツナ
セツナ。
僕は君を思い出す。
僕がただ一人。
心から愛した人。
彼女は深い夢の中に旅立ってしまった。
自らの手で、自らを…
彼女が心にどれだけの闇を抱えていたのかを、僕はわからなかった。
彼女はいなくなる直前の3月、僕と友人の裕太、小春、咲の四人に雪が見たいと言った。
僕達は当時山梨に住む高校2年生で、雪のある場所まで旅をするのは一苦労に思えた。
しかし僕達はみんな一緒にいる時間が大好きだったし、何か目的を持って遠くに行くのはとても素敵なことだと感じた。
僕達は電車に乗って草津に行くことにした。
なぜ草津にしたのか、今となっては誰も覚えていなかった。
僕達は安い旅館を取り、その一泊旅行を楽しみにしていた。
結論から言うと彼女はその旅に来ることが出来なかった。
彼女は旅行の前日38℃以上の熱を出し寝込んでしまったと言うのだ。
僕達は彼女を心配し、旅をキャンセルしかけたが、彼女がそれを許さなかった。
みんなで楽しみにしてたことなんだから、私抜きでも行ってきて。
彼女は僕に電話でそう告げた。
そのことを僕が皆に告げると、皆は
「今回も旅に行くが、近いうちにセツナを連れてもう一回別のところに行こう」と言った。
僕達の旅は順調にスタートし、自然に触れ合い雪の景色を見たりして皆が楽しんだ。
些細なことでも笑い合い、ふざけ合いながら生きているこの時間が愛しいと感じた。
セツナの不在だけが僕達の唯一の心残だった。
一通り観光を終え、僕達は古ぼけた旅館へと向かった。
スキー客でもなく、温泉目当てというわけでもない僕達を旅館の女将は大変不思議がった。
そして女将は前日にも僕達と同じぐらいの女の子がここに泊まっていたと話した。
「今の若い子達も、こういう自然の良さが分かるようになってきたのかねぇ」と女将は笑顔で言った。
また
「この街には24時間無料で入れる温泉がいくつもあるから、是非行ってみなさい」と町を楽しむアドバイスをくれた。
僕達は2部屋に分かれて宿泊する予定だったが、セツナのキャンセル代をなしにすることと引き替えに4人で1つの部屋に泊まることになった。
料理を食べたあと僕達は夜遅くまで語り合った。
時計の針も新しいスタートをきり、皆がウトウトし始めたとき、僕は一人で公共浴場に行くために部屋を出た。
外は真っ白な世界だった。
僕達が部屋で話をしてる間に降ったであろう新雪が月の光を反射していた。
静かで、明るくて、綺麗な夜だった。
新雪を踏んだときになるギュッと言う音だけが世界に響いた。
僕は近くにあったベンチの雪を払い、タオルを敷いて腰かけた。
冷たい空気、白い息。
今来た道には僕が残した足跡と、誰かが付けた足跡が真っ直ぐ伸びていた。
まるでそれは恋人が体を寄せ合いながら歩いたときの足跡のようだった。
そのとき僕はセツナを思いだし、彼女に電話をかけた。
どこか近くで悲しげなオルゴールの音が聞こえた。
それはセツナが電話に出るまで鳴り止まなかった。
セツナが電話に出た。
あのとき僕達の間には、少しの沈黙があった。
セツナが話始めると、僕はセツナが泣いていることに気が付いた。
なぜだかそのとき、その電話だけが彼女と僕を繋ぐ唯一の細い線のように感じた。
僕はその線はあまりにも脆く、彼女がその線を切ってしまうことを望んでいるのでないかと恐れた。
僕と彼女は何を話しただろう。
細かい内容は覚えていない。
ただ最後に僕が彼女に好きだと告白したこと以外は。
彼女は泣きじゃくった。
産まれてきてよかったと、何度も繰り返した。
そのとき、僕が来た道の向こうにセツナの姿が見えた。
いや正しくは見えたような気がしたと言うべきだろう。
道の向こうの女性は僕を見ながら電話で話しているように見えた。
セツナは僕に愛してると告げた。
そしてごめんなさいと言った。
この世界は私には辛すぎる。
私はもう汚れている。
強くあることで折れないでいられたの。
心の寄り所をつくらないで。
そうしたら私はあなたの前で折れてしまう。
彼女は泣きながらそう言った。
最後に彼女は
「雪を見たらでいい。私を思い出して。私は一瞬の刹那でなく雪に芽茯く菜の花の雪菜だから。ありがとう、さよなら」と言った。
電話が切れた後、僕は泣いた。
彼女がさよならを言う理由を何も知らないまま、彼女は永遠に失われようとしていた。
歯がゆさと無力さが絶望を募らせた。
いつの間にか空から雪が降っていた。
雪は僕を包むよう降り続いた。
雪の一つ一つが彼女の涙のようだった。
雪のように白く美しい彼女を見ることはもう出来ないと僕には分かった。
旅から帰って彼女の死が告げられた。
彼女は僕と電話をしたすぐ後、自宅で大量の睡眠薬を服用し自殺した。
皆同じように涙を浮かべ、彼女の死を嘆いた。
彼女の死の二日後、小春と咲の元にセツナからの手紙が届けられた。
手紙は僕達が草津に行く一日前に草津から出されていた。
彼女は郵便局の人に頼み、自分の死の後にそれが届けられるようにしたのだろう。
その手紙には彼女が自殺に踏み切る理由が記されていた。
そこには彼女の父親による虐待の数々が綴られていた。
セツナの父親は彼女の母親の再婚相手で、2年前からセツナに対し非情なる虐待を繰り返してきたという。
警察はまだその事実をしらなかった。
僕は警察に知られる前に彼女の義父を殺す決心をした。
しかしその決心の数時間後、セツナの義父は心臓麻痺で死んだ。
その死顔は恐怖と苦しみに溢れてたという。
あれから4年の歳月が流れた。
彼女は僕達が草津にいるときはそこにいなかった。
彼女は僕達が遠く離れたところにいるうちに、自らの命を絶ちたかったのだろう。
それでも最後の時に僕達の側にいたかったんだろう。
そして雪のある場所に僕達がいれば、離れていても側にいるようにと感じられると思ったんだろう。
そして僕は彼女の欠片をそこに見た。
それはきっと彼女が雪に咲く菜の花だからだろう。
いつかまたあのようにして彼女に会えるんじゃないかと、僕は思っている。
だからセツナ。
僕は君を思い出すよ。
それが例え不確かな影でも、今度はなりふり構わず追い掛けて捕まえるからね。