1-03. どうしよう
その日のうちにエステル様の使いがバルバ様を訪ね、お会いするのは明日のお昼過ぎとなりました。
「明日!? 早すぎませんか!?」
「早くない」
ぺちん、とエステル様からの伝言――という名の命令を伝えたアイリスに、おでこを叩かれました。
「相手はこの国の英雄。あんたは王女付きとはいえ下っ端侍女。むしろ今すぐにでもお訪ねして、お詫びするべきでしょうが」
「そ、そうかもしれませんけどぉ……」
でも気持ちの整理というか、心の準備が必要なわけでして。せめて一日空けてほしかった。
「庭の東屋を使っていいから、お茶でも飲みながらゆっくり話しなさい、だってさ」
「え、あそこですか!?」
そこはエステル様専用のお庭なので、邪魔が入ることはありません。確かに、ゆっくり話すのにふさわしい場所ですが。
「そこ、エステル様のお部屋から丸見えですよね?」
「そうね」
「……のぞく気満々なんですね」
「んなわけないでしょう」
ぺちん。
またもや、おでこを叩かれました。
「バルバ様にまた変な噂がたったら困るからよ。まったく、あんたが気絶なんかするから」
「……すいません」
だって、本当にびっくりしたんだもん。
ため息をつきながら、私はベッドに寝ころびました。
あーもー、明日どうしよう。まずは気絶なんかしてしまったこと、お詫びよね。そうだ、タイン様に頼んで、一番おいしいお茶とお菓子を用意しておこう。バルバ様、実は甘党なんですよね。生クリームたっぷりのケーキなんかいいかもしれない。とりあえずそれでご機嫌を取って、それから――。
「ふうん」
明日の段取りをうんうん考えていたら、アイリスが軽く首をかしげました。
「なんだか楽しそうね」
「え?」
楽しそう――ですか、私。
「うん、めっちゃ」
アイリスがにんまりと笑います。え、なんですかそのいやらしい顔。
「気絶しちゃうぐらい嫌なのかと思ったけど。そうじゃないんだね」
「そ、そんなわけないでしょ! あれは本当にびっくりしただけで……」
「そーかそーか。ならよかった。おめでとう、デイジー」
「はい? なんでおめでとう?」
「お受けするんでしょ、求婚」
「え、なんでそうなるの!?」
「だーって、明日のデートにウキウキしてる乙女にしか見えないし。これはもうOKする気満々だな、て」
「で、デート!? ち、違うから! 失礼をお詫びするお茶会だから!」
そもそも相手は「英雄」のバルバ様ですよ。
私みたいな、十年たっても平のままの侍女が妻になるなんて、そんな畏れ多いこと。
「あんた一応、子爵家のご令嬢でしょ?」
「官職すらないど田舎貴族ですよ? 貴族の令嬢だ、なんておこがましくて名乗れません」
それに対してバルバ様のご実家は、代々続く武の名門、国の支柱ともいわれるルーツ侯爵家。個人的にも家柄的にも、私ではとてもバランスが取れません。
「侯爵家の嫡男で、英雄とまで呼ばれる方ですよ。もっとふさわしい方がいらっしゃるでしょう」
「例えば?」
「その……殿下とか」
「うわ! それ絶対殿下に言っちゃダメだからね。特にあんたは」
「え、どうして?」
「まじかー」
私の質問に「信じられない」という顔になったアイリス。
「はぁ、まったく。侍女の仕事はあんなに気配りできて細やかなのに……気づいていないとは」
「え、何をですか?」
「いい。知らなくていい。どうかそのままのあんたでいて」
「あの……バカにしてます?」
「バカにはしてないけど、ちょっとあきれてる。でも、ものすごくあんたらしいな、て感心してる」
アイリスの手が伸びてきて、よしよし、と私の頭を撫でました。その撫で方、ちょっと納得いきません。
「もう。私の方がお姉さんなんですからね、子供扱いしないでください」
「お姉さん、て。誕生日が三日早いだけじゃない」
「それでも私がお姉さんです」
「職階は私が上だけど?」
「……申し訳ございません。好きなだけお撫でください」
神妙に頭を下げ、再び顔を上げたところで。
ぷっ、と二人同時に笑い出しました。
「それで」
ひとしきり笑ったところで、アイリスが真面目な顔になりました。
「結局どうするの、バルバ様からの求婚」
「……どうしよう」
明日のお茶会、謝って終わり――にはならないですよね。そりゃそうですよね。
でもこれ、どうするの? なんて言って断ったらいい? そもそも断ってもいいの? じゃお受けする? でも私がバルバ様の妻って、そんなのいいの? いいわけないよね?
「あんた、ほんっとに、一度も考えたことないわけ?」
「何を?」
「バルバ様と恋仲になるとか、結婚するとか」
「ない……けど……」
「王宮勤めの侍女と騎士の結婚なんて、ザラにあるのに?」
いやそう言われましても。
相手は精鋭中の精鋭として有名な、第一騎士団の団長ですよ。しかも「英雄」なんて呼ばれる方ですよ。一介の、それも下っ端の侍女が、そんな妄想していい相手じゃないですよね?
「いや、だからこそ妄想すると思うんだけど」
「でも、殿下と結婚するんだろう、てずっと思ってたし……」
「なるほどねえ」
おいたわしや、とつぶやくアイリス。私に向けて――ではないようです。
「ま、いいや。後はあんたの問題だ、しっかり悩んでちょうだい」
「そ、そんなあ! 見捨てないでよ、相談に乗ってよ!」
「しーらない。さて、明日も早いし、寝よ寝よ」
「アイリスぅ!」
悩める私を置き去りにして。
アイリスはベッドにもぐりこむと、あっという間に寝息を立ててしまいました。