2-10. 森の王者
別荘で待っているように。
お父様とお母様には止められましたが、私は首を横に振り、バルバ様と一緒に森の入口の広場へと向かいました。
だって、一人で待っているなんてできないから。
それに、バルバ様のすぐ近くにいた方が安全です。もしもあの光る獣が私に襲い掛かってきたとき、バルバ様がお近くに居れば絶対に守ってくれます。バルバ様のお側よりも安全な場所なんてないんです。
「わかった。では、私も行こう」
お父様は自分も同行することを条件に許してくれました。
暗い夜道、森へと続く細い道です。馬はかえって邪魔になるとのことで、私たちは歩いて行くことになりました。
バルバ様を先頭に、私とお父様が続きます。シルフィーさんとオスカー君は私たちを挟むような位置に立ち、後ろにアーチボルト様。さらにその後ろを、村の猟師数名がついてきます。
十分ほどで、森の入口の広場が見えてきました。
「いたぞ」
広場の向こう側、森への入口に銀色の光が見えました。私たちに気付いたのでしょう、光る獣はゆっくりと立ち上がり、悠々とした足取りでこちらへと向かってきました。
「たいした貫禄だな」
光る獣の歩く様子に、バルバ様が苦笑を浮かべます。
あれがオオカミであるなら、確かに森の王者と言ってよいしょう。そして、もしもそれが私の知っているオオカミならば、熊ですら倒す最強のオオカミです。
「では、行ってくる」
バルバ様が剣を手に歩き出しました。その背に、私は思わず声をかけてしまいます。
「バルバ様、どうかご無事で」
私の言葉に、バルバ様が歩みを止め振り返りました。
「デイジー殿、ひとつ覚えておいてほしい」
「……はい、なんでしょう?」
「ルーツ家の当主が戦いに赴くとき、無事を祈る言葉をかけてはならぬ」
「え?」
驚く私に、バルバ様はニカッと頼もしい笑顔を浮かべます。
「祈るのであれば、勝利を。それが、ルーツ家当主の妻たる者の言葉だ」
「あ……」
無事ではなく、勝利を祈れ。
それが意味するところ――ああ、そうですね。これは私が間違っていました。
ルーツ侯爵家は武の名門。
その当主は多くの騎士を率い、国と民を守るために命を懸ける者。
その肩にかかるのは、国の命運と民、そして率いた騎士たちの命です。敗れれば多くの命が失われ、国の存続が危うくなります。ルーツ家当主は、己の無事だけを考えてはいけないのです。
そう、祈るべきは、己の命も含めた多くの命を守ること――それが、勝利。
「失礼しました」
私は大きく深呼吸をすると、ぎゅっと手を握り締めて言い直しました。
「バルバ様、お勝ちくださいませ」
「心得た」
私の言葉に、バルバ様は力強くうなずくと。
光る獣が待つ、広場中央へと向かいました。
◇ ◇ ◇
森の広場の中央で、バルバ様と光る獣が対峙しました。
『準備は万端のようだな、英雄』
バルバ様が立ち止まると、重々しい声が頭の中に響きました。他の皆様も聞こえたのでしょう、びっくりした顔をされています。
「ああ、この通りだ。後悔することになるぞ……レオ君」
ピクリ、と光る獣が動きました。私も思わず息を呑んでしまいます。
しばしの沈黙。
そして、クックック、と笑う声。
『デイジーに聞いたか』
「ああ、ここに来る道すがらな」
『そうか。だが貴様にレオ君と呼ばれるのはシャクだ。レオナルド、と呼べ』
獣を包んでいた光が弱まりました。
そして姿を現したのは、オオカミ。間違いありません、私の騎士さま、レオ君です。
「お、大きいですねぇ……」
「しかもあのツラ、凶悪すぎないか」
シルフィーさんとオスカー君が、緊張した声でつぶやくのが聞こえました。
そう、レオ君は普通のオオカミの倍以上はある、すごく大きなオオカミでした。しかもその顔の凶悪さときたら、慣れない人が見たら腰を抜かすほどです。
でも、私にとっては頼もしくて、そして懐かしい顔です。
五歳の時に出会い、十三歳で別れるまで、いつも私を守ってくれた騎士さま。そのレオ君がどうして――。
「レオナルド。お前はデイジー殿の騎士ではなかったのか? なぜデイジー殿の命を狙う?」
私に代わって、バルバ様がレオ君に問いかけます。レオ君の巨体にも凶悪な顔にも、ひるんだ様子はありません。さすがです。
『その理由が知りたければ……私を倒すことだな、英雄!』
レオ君が大地を蹴りました。
優雅に、まるで舞うように宙を飛ぶレオ君。それは森の王者の舞であり、敵対する者を一撃で葬り去る、力強い牙そのものです。
「ぬぅんっ!」
その王者の牙を、バルバ様は盾を掲げ、真っ向から受け止めました。
ガツン、と大きな音と共にぶつかり合う、王者と英雄。
そのまま、まずは力比べと言わんばかりに、押し合いが始まります。
『グゥォォォォォーッ!』
「はぁぁぁぁぁぁーっ!」
お互いに、すさまじい気迫で相手を押し戻そうと大地を踏みしめます。びりびりと空気が震え、気を抜いたらその迫力に圧倒されて腰を抜かしてしまいそうです。
ドンッ、と大きな音がして、バルバ様とレオ君が同時にのけぞりました。
力比べは引き分け――でしょうか。レオ君がひらりと身を翻し、バルバ様も素早く体勢を立て直します。少し距離を取り、バルバ様とレオ君はにらみ合います。
『私の突進を受け切るか、英雄』
「ふん。まさかあれが全力とは言わぬだろうな」
『その言葉……虚勢でないとよいがな!』
再びレオ君が地を蹴りました。
今度は、地を這うような低い攻撃です。バルバ様、とっさに身を低くして盾を構え直します。
「ぬぅっ!?」
レオ君が急停止しました。そして、人間にはできない素早い動きで、バルバ様の左手に回ります。
レオ君が狙ったのは、盾を持つバルバ様の左腕。大きくて鋭い牙が、籠手に守られた左腕を狙います。
これに対しバルバ様、とっさに盾を手放すと、体を素早く回転させ、まわし蹴りで盾を蹴飛ばしました。
蹴飛ばされた盾が、いままさにバルバ様にかみつこうとしていたレオ君に襲い掛かります。
レオ君、すばやく飛びのいて盾を避けると、すぐさま飛んでバルバ様に突撃。そこを、狙いすましたカウンターでバルバ様が拳を繰り出しました。
「せいやぁっ!」
バルバ様が気合と共に拳を振り抜くと、レオ君が宙を飛びました。
「当たった!」
「いえ、避けましたね」
オスカー君の歓声に、アーチボルト様の冷静な声。
バルバ様の拳が当たった瞬間、レオ君は自ら飛んで拳の威力をゼロにしたとのこと。まったくわかりませんでしたが、確かにレオ君は傷を負った様子がありません。
「なんちゅーオオカミですか。あれ、一対一で人間が倒せるんですか?」
シルフィーさんの言葉に、私もうなずくしかありません。
レオ君。
私の騎士さまであるときは本当に頼もしかったのですが――敵に回すと、こんなにも怖かったんですね。




