2-08. 水源の村へ
まもなく夜が明けました。
もともと日の出とともに出発する予定だったシルフィーさんとオスカー君は、一足先に水源の村へと向かいました。寝不足じゃないかと心配になりましたが、「二、三日の徹夜ぐらい、平気っす!」と元気一杯で出発されました。
さすがは精鋭中の精鋭、第一騎士団の騎士ですね。
「では、私も急いで仕度をしますね」
バルバ様と私は、準備ができ次第、後から追いかけることになっています。急いで仕度をしなければ、と部屋へ戻ろうとすると、バルバ様に呼び止められました。
「デイジー殿、やはりここに残らぬか?」
難しい顔で、バルバ様はそうおっしゃいました。でも私は首を横に振り、きっぱりと答えました。
「いやです」
安全な場所にいてほしい。バルバ様がその思いでおっしゃってくださっているのはわかります。でも、今回ばかりはうなずくつもりはありません。
だって、怖かったから。
昨夜の戦いで感じた恐怖。バルバ様を失ってしまうかもしれない、そう考えただけで心が張り裂けそうでした。そんな思いを抱いて、ただお帰りを待つだけなんて、私にはできそうにありません。
それに――なぜだかわかりませんが、一緒に行かないとだめな気がしたんです。
「わかった」
私に折れる気がないとわかったのか、バルバ様は一緒に行くことを許してくれました。
お昼前に、私たちは出発しました。バルバ様が馬で先導し、私はアーチボルド様が乗ってきた馬車で行きます。私の護衛役として、アーチボルド様も同行してくださることになりました。
「これでも鍛錬は続けております。どうぞご安心ください」
「ありがとうございます」
馬車に揺られながら、私は光る獣のことを考えていました。
あれは、いったい何なのでしょうか。
どうして私の命を狙うのでしょうか、なぜバルバ様に戦いを挑むのでしょうか。
水源にあんな化け物が住んでいるなんて、噂すら聞いたことありません。水源の村出身のシルフィーさんも知らないというのですから、突如現れたと考えていいでしょう。いったい、どこからかやってきたのでしょうか。
「光る獣のことをお考えですか?」
考え込んでいたら、アーチボルト様が声をかけてきました。
「はい。いったいどこから来て、何が目的でバルバ様に戦いを挑んだのだろう、と……」
「どこから来たかは、皆目見当もつきませんが。目的はなんとなくわかります」
「え? なんですか?」
「バルバ様と戦うこと。それ自体が目的でしょうな」
「バルバ様と戦う?」
「ええ。それも本気のバルバ様と、です」
私の命を狙ったのは、バルバ様に本気を出させるため。アーチボルト様はそうおっしゃいます。
「バルバ様をただ倒したいのなら、昨夜そうすればよかった。ですが準備を整えてこいと言い、いったん退いた。本気のバルバ様に勝ってこそと考える戦闘狂か、バルバ様を試したいのか。二つに一つかと思います」
「獣がそんなことを考えるのでしょうか」
「ただの獣ではありません。人語を操るのです。人間と同じように考えてもよいでしょう」
一理ありますね。
でも、戦闘狂というのは違うような気がします。獣、特に熊や狼といった猛獣であれば、基本的に人間より強いのです。いくらバルバ様が英雄と呼ばれる騎士でも、人間に勝ったから何だ、となるのではないでしょうか。
「なるほど。ちなみにデイジー様、その光る獣はどういう感じでしたか?」
「どういう感じ、ですか……」
うーん、難しいですね。半分夢を見ているような状態で追いかけて、襲われて目を覚ました、という感じでしたし。
あれ、でも。
ぼんやりとした意識の中で、何かを思ったんですよね。なんでしたっけ。少なくとも、嫌な感じではなかったと思うのですが――。
「嫌な感じはしなかった、ですか。ならば化け物ではなく、神霊の類かもしれませんな」
「神霊?」
「水源近くの森に住む、神に等しき存在か、あるいはその使い。ならば、英雄の噂を聞いた神がその力を試しに来たと考えられますが……どうでしょう?」
どうでしょう、と言われましても。
さすがにちょっとおとぎ話すぎるような気が。そもそも水源の森に住む神様の伝説なんて、聞いたことありません。
「父に聞けば、何か知っているかもしれませんが……」
「やはり、行ってみればわかる、でしょうな」
「ええ、そうですね」
あれ?
なんだろう、ものすごく大事なことというか、単純なことを忘れているような気がします。ですが頭の中にモヤがかかっている感じで、思い出せません。
はて、私は何を忘れているのでしょうか。




