2-07. お姫様抱っこ
「だんちょー! デイジー様ぁ!」
バルバ様の胸で泣きじゃくっていたら、シルフィーさんが駆け付けてくれました。
「よかった、見つかったんですね!」
「ああ」
「デイジー様、大丈夫ですか?」
泣いている私を見て、シルフィーさんが心配そうな顔になります。私は無言でうなずき、なんとか落ち着こうと深呼吸しました。
「あー、いいんですよ、無理しなくて。思う存分、恋人に甘えちゃってください」
シルフィーさんの言葉に、顔が火照ります。恋人、て――そうか、私とバルバ様は恋人なんだ。うわぁ、うわぁ、恋人。なんだか嬉し恥ずかしです。
「その様子だと大丈夫そうですね。ああもう、冷や汗かきましたよ」
シルフィーさんいわく。
何やら物音がしたので目を覚まして外を見たら、私が裏口から出ていくのが見えたのだとか。様子が変だったので慌てて追いかけたが姿が見えず、バルバ様をたたき起こして探していたとのことです。
「団長、何があったんですか?」
「さて、何とも説明しがたいな」
正体不明の光る獣。頭の中に響いた獣の声。なんだか現実のこととは思えず、夢でも見ていたのではないかという感じです。
「とりあえず屋敷に戻ろう。デイジー殿が風邪をひいてしまうのでな」
私をちらりと見て、なんだか恥ずかしそうな顔になるバルバ様。はて、どうしたのでしょうか。
――て。
ああっ、私、寝間着にガウンを羽織っただけじゃないですか! 胸元もちょっぴり見えてます。淑女として、これは恥ずかしいです。
「わ、私ったら、こんな格好で……お、お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません」
「い、いや、見苦しくなどないぞ! むしろ素晴らしい! デイジー殿はもっと自信を持ってよいぞ!」
「え、素晴らしい?」
「い、いや、すまぬ、失言だ! 忘れてくれ!」
「あーもー、隙あらばイチャイチャするの、やめてくれませんか」
ワタワタしているバルバ様と私に、シルフィーさんのあきれた声。
「ほら、屋敷に戻るんでしょ。急ぎましょう」
「う、うむ、そうだな。では……デイジー殿、失礼!」
「え……わ、きゃっ!」
バルバ様が、ひょいっ、と私を抱き上げました。え、これって――あの乙女の憧れ、お姫様抱っこですか!?
「バ、バルバ様! 私、自分で歩けます!」
バルバ様のお顔がすぐそこで、息遣いすら感じてしまう距離で。
恥ずかしいけれど、ちょっと嬉しいというか――ああもう、すごくドキドキします。
「む、無理は禁物だ。私が運ぶゆえ、その、じっとしていてくれ」
バルバ様は照れ臭そうに目をそらすと、勢いよく走り始めました。
「よかったですねえ、団長。デイジー様をお姫様抱っこできて」
「やかましい、置いていくぞ」
シルフィーさんにからかわれて、ぐんっ、とスピードを上げたバルバ様。「ああっ、待ってくださいよー!」と叫ぶシルフィーさんを、あっという間に引き離してしまいました。
私を抱えているというのに、ものすごい速さです。しかもほとんど揺れません。
バルバ様って、本当にたくましくて、お強いんですね。
ぽっ。
◇ ◇ ◇
屋敷に戻ると、町の方が訪ねてきていました。
「町に、光る獣が出たんです!」
「すごい大きさで、人間なんて目もくれない、て感じでした」
「でも、近づくと唸り声をあげて。食い殺されるんじゃないかと、気が気じゃなかったです」
どうやらあの光る獣、こちらへ来る前に町を悠々と散歩していたようです。
「我らが出くわしたのと同じもののようだな」
バルバ様は皆様に、光る獣と戦い、万全の状態での再戦を求められたことを話しました。
「人語を操る、光る獣ですか?」
「それ、現実ですか?」
シルフィーさんとオスカー君の疑問、当然です。光る獣というだけで眉唾物なのに、さらに人語を操るなんて。私だって自分の目で見ていなかったら、夢でも見ていたんじゃないかと言いたくなります。
「しかも、戦うよう要求されたなんて……団長、受けるんですか?」
「ああ。受けざるを得んのだ」
バルバ様、ちらりと私を見ます。
話してもいいか、と目で尋ねられ、私はうなずきました。
「デイジー様のお命がかかっているんですか!?」
「どうして!」
「さてな。よくわからん」
光る獣は、バルバ様が再戦を受けなかったら、私との結婚はできないと言いました。しかも、私に危害を加える気かとバルバ様に問われ、否定していません。
これがバルバ様に恨みを抱く、敵国の兵士とか騎士団に掃討された盗賊だとかならわかるのですが。
バルバ様も、光る獣なんて現実離れしたものに出会った記憶はなく、当然ながら恨まれるような覚えもないそうです。
「しかも水源の村に来い、ですか。デイジー様、思い当たることありますか?」
「いえ、特には……」
ない、ですよね。はい、ないはずです。
「シルフィーさんこそ、何か知りませんか? あちらの出身ですよね?」
「うーん、特には。確かに森が近いので獣も多いですが……人語を操る獣なんて、噂すら聞いたことないですよ」
ですよね。そんな噂があったら、とっくに大騒ぎですし。
「お父様の手紙にあった獣というのも、あれなんでしょうか」
「さてどうかな。まあ、行けばわかることだ」
そうですね、これ以上悩んでいても答えは出ません。行って、確かめるしかないでしょう。
「しかし……困ったな。鎧を持ってきていないぞ」
シルフィーさんとオスカー君は装備一式を身に着けてきましたが、バルバ様は剣以外を持ってきていないとのこと。結婚の申し込みに完全武装で来るわけにはいかないから、というもっともな理由でした。
「王都まで取りに行って戻ってくるのに、急いで三日。それから水源の村へ移動となると……ううむ、五日はかかるか」
「それまで待ってくれるでしょうか?」
「わからぬ。鎧を取りに行ったのを『逃げた』と思わなければよいが……」
ううむ、と険しい顔でうなるバルバ様。確かに、そう思われたら大変です。
「やれやれ、やはりまだ『ぼっちゃま』とお呼びしなければなりませんな」
ずっと黙っていたアーチボルト様が、あきれたように肩をすくめました。
「騎士たるもの、いついかなるときも備えておらねば。取り返しのつかないことになりますぞ」
「そうは言ってもだな……」
「確かに、少々想定外のことではありますがね。しかし、それに備えてこそ真の騎士。盗賊程度なら鎧はいらぬと、たかをくくった結果が今ではありませんかな?」
アーチボルド様の言葉に、バルバ様は黙ってしまいます。痛いところを突かれた、て感じです。
「……まあ、そんな主のサポートをするのが従者の務めですがね」
アーチボルド様、コホンと咳払い。
「ぼっちゃま。私が乗ってきた馬車に、鎧一式を積んであります。それをお使いください」
「なに? 鎧を持ってきているのか?」
「ええ。それも普通のものではありません。ルーツ家の当主が使う、あれでございますよ」
「なんと!」
バルバ様、びっくりされておられます。ルーツ家の当主が使う鎧――年始に行われる閲兵式で、バルバ様のお父上、ルーツ侯爵が身につけていたのを見た覚えがあります。瑠璃色の、美しい鎧ですよね。
「私が使ってよいのか?」
「旦那様が持って行けと言ったのです。かまわないでしょう」
アーチボルド様は笑ってうなずくと、私を見ておっしゃいます。
「デイジー様はまもなくルーツ家に嫁いで来られるお方。そのお命の危機とあれば、黙ってはおられません。ぼっちゃま、光る獣だか何だか知りませんが、きっちり叩きのめしておやりなさい」
「無論だ」
力強くうなずき返し、バルバ様はまっすぐに私を見つめました。
「デイジー殿、私が必ず守ってみせる。あの獣には……わが最愛の女性に手をかけようとしたことを、後悔させてやるさ」
少し照れた感じで、でもきっぱりとおっしゃったバルバ様。「最愛の女性」――そういえば、光る獣と対峙したときにもおっしゃっていました。
頬がものすごく熱くなります。
胸が高鳴り、幸せいっぱいな気持ちで、私は「はい」とうなずきました。




