2-06. 光る獣
水源の村へは日の出とともに出発する、ということになり、その日は早めに就寝となりました。
でも、なんだか寝付けませんでした。
はて、どうしたことでしょう。私、寝つきはいい方なんですが。お昼寝してしまったからでしょうか。ソワソワするというか、胸騒ぎがするというか。なんだか落ち着かない感じです。
何度も寝返りを打って、うとうとしては目を覚まし、を繰り返し、真夜中過ぎにようやく眠りにつくことができました。
――ふと。
どれぐらい眠ったでしょうか。
声が聞こえたような気がして、目が覚めました。まだ部屋の中は真っ暗です。寝てすぐ起きたような、長い時間眠っていたような。夜明けまでまだ時間があるのでしょうか。
あ。
今、確かに聞こえました。これ、誰かを呼んでいるような――いえ、私を呼んでいるような気がします。
「誰だろう?」
聞き覚えがある声というか、音というか。気になってしまい、私はガウンを羽織って部屋を出ました。
声は、屋敷の外から聞こえてきます。
窓から外を見てみましたが、変わったものは何も見えません。気のせいかな、と思い部屋に戻ろうと踵を返しかけた時。
また、聞こえました。
なぜでしょう、すごく懐かしく感じます。胸がきゅーっと締め付けられて、涙が出そうになって。気がついたら駆け出していて、裏口から外に出ていました。
ひゅっ、と冷たい風が頬を撫でました。
その風が、また声を運んできます。声は屋敷の裏にある丘の方から――毎日あの子と散歩していた、あの場所の方から聞こえてきます。
「あ……」
丘の方に青白く光る何かが見えました。それは悠々と、まるで王者のような貫禄の歩みで、私がいる方へとやってきます。
その歩き方、獣でしょうか。
光に包まれていて正体がわかりません。でも怖いとは思いませんでした。むしろ温かいというか、懐かしいというか。
あれ。
この光る獣、ひょっとして――。
『グォァァァ!』
突然、光が咆哮を上げました。
その咆哮に殴られて、ぼやけていた意識が覚醒します。
「あ……ああ……」
その声、間違いなく獣のもの。獲物を前にしたときの、殺気に満ちた雄叫びです。叩きつけられた殺意にすくみ上り、私は悲鳴を上げることすらできませんでした。
光の獣が、大きく口を開けたような気がしました。逃げなきゃ、と思うのですが体が動きません。早く逃げなきゃ、早く――焦れば焦るほど動けなくなる私に、光る獣が飛びかかってきました。
「させぬっ!」
私の前に黒い影が飛び出し、ガキィィィーン、と硬い物がぶつかり合うが響きました。
バルバ様です。
駆け付けてくれたバルバ様が、光の獣の前に立ちふさがり、私を守ってくれたんです。
「せい……やぁぁぁぁっ!」
バルバ様が、気合と共に剣を振り抜きました。
ドンッ、と大きな音がして、バルバ様の剣が光る獣を払いのけます。でも光の獣はくるりと一回転して、少し離れたところにひらりと着地しました。
「デイジーッ、ケガはないかっ!?」
「は、はい……」
恐怖と安堵がない交ぜになって、私はへなへなと崩れ落ちてしまいました。そんな私を背にかばいつつ、バルバ様は光る獣に向かって剣を構えます。
『グルル……』
光る獣が、威嚇の声を上げます。それに対しバルバ様、微動だにせずにらみ返します。
「獣か、それとも化け物の類か。どちらにせよ、わが最愛の女性に襲い掛かるというのであれば、容赦はせぬぞ」
ぶつかり合う気迫のすさまじさ。
光る獣は、裂帛の気迫をみなぎらせるバルバ様を前にしても、退く様子はありません。静かにうなり、バルバ様を仕留める隙をうかがっているようです。
「バルバ、さま……」
王国最強の騎士にして英雄と呼ばれるバルバ様。人間相手ならば後れを取るなど考えられませんが、相手は獣。バルバ様がシルフィーさんにおっしゃった通り、人間相手とはわけが違います。
それにバルバ様は、剣こそお持ちですが着ているのは寝間着です。鎧はもちろん盾すらなく、光る獣の攻撃を一撃でも食らえば、それが致命傷になりかねません。
「いや……」
最悪の状況を想像してしまい、私は血の気が引く思いがしました。
まだ何も始まっていないのに。
この人との人生はこれからなのに。
お願い、どうか死なないで――私は震える手を合わせ、必死で神様に祈りました。
「来るか」
光る獣が姿勢を低くし、今にも飛びかかってきそうになりました。
それを見たバルバ様も、すっ、と腰を落とし、剣を正眼に構えました。
必殺の気迫で一撃を繰り出そうとしている、バルバ様と光る獣。お互いの殺気がぶつかり合い、高まって、ついにぶつかるか、と思った時。
唐突に、光る獣から殺意が消えました。
「む?」
私がわかるのです、バルバ様もすぐに気づきました。すると。
『英雄、準備不足のようだな』
頭の中に、重々しい声が響きました。え、この声――まさかあの光る獣ですか?
『装備を整えてこい。正真正銘の全力でなければ、意味がない』
「ほう」
バルバ様が厳しい目で光る獣を見ます。この声、バルバ様にも聞こえているようです。
「私との戦いを望むか。断ればどうなる」
『お前は最愛の女性と、結ばれぬことになる』
「……デイジー殿に、危害を加える気か」
『お前次第だ』
光る獣が小さくなり始めました。どうやら、戦いは一時中断のようです。
『装備を整え、水源へ来い。そこで決着だ。逃げるなよ、英雄』
光る獣はそう言い残すと、すぅっと消えてしまいました。
◇ ◇ ◇
「ぶはぁーっ!」
光る獣が消え、しばらく様子をうかがっていたバルバ様が、大きく安堵の息をつきました。
「さすがにびびったぞ、あれは」
振り返り、ニカッ、と笑うバルバ様。
すでに腰が抜けていた私ですが、バルバ様の笑顔を見てようやく安堵しました。でも同時に、恐怖がよみがえってきて全身が震え始めました。
「ケガはないか、デイジー殿」
「は、い……」
近づいてきたバルバ様に、私は抱き着きました。
「お、おおう、デイジー殿!?」
「バルバ様、バルバ様……怖かった、怖かった……」
「……大丈夫だ、私がいる。デイジー殿には指一本触れさせん」
バルバ様のたくましい腕が、私を優しく抱きしめてくれました。
ああ――違うんです、バルバ様。殺されかけたことはもちろん怖かったです。でもそれよりもずっと怖かったのは、バルバ様が私を守って死んでしまうのではないか、と思ったことなんです。
「バルバ様、バルバ様ぁ……」
「大丈夫だ、心配はいらぬ」
バルバ様が、泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてくれました。
それが心地よくて、すごく安心できて。私はしばらくの間、子供の様にバルバ様の胸で泣き続けました。




