1-11. 決意
お部屋を訪ねると、エステル様がお茶の用意をしている最中でした。
「いらっしゃい。さあ座って」
「お茶の支度なら私が」
「あらだめよ。あなたはゲストなんだから」
まさか主であるエステル様にお茶を入れさせてしまうとは。畏れ多いです。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ふわりと立ち上る香気。あ、カモミールですね。しかも蜂蜜入り。口に含むと、心地よい香りと控えめな甘さでほっとしました。
「どうかしら、上手に入れられてる?」
「はい、とてもおいしいです」
「よかったわ」
エステル様がふわりと笑い、そして、私のおでこを指で軽く弾きました。
「とりあえず、お小言。お酒の飲み過ぎはダメよ」
「はい、申し訳ありません」
柔らかな口調で叱責された後は、しばらく無言となりました。
エステル様、なんだか機嫌がよさそうです。先ほどは怒っていると思ったのですが、勘違いでしょうか。
「デイジー。あなた噂になっていてよ」
お茶を半分ほど飲んだところで、エステル様が口を開きました。
「英雄バルバが求婚した相手は、たった半日で第一騎士団全員から忠誠を捧げられた、まさに聖女のような女性だ、てね」
危うくお茶を吹き出すところでした。
な、何ですかその噂。聖女のようだなんて、いったい何があったんですか?
「私が聞きたいわよ。あなた、パーティーで何をしたの?」
「え、えーと……プレゼンを聞いていただけなんですが……」
「プレゼン?」
団員の皆様が「バルバ様はすごいんだぞ」プレゼンをしてくれたのだ、と話すと。
エステル様は声を上げて笑われました。
「なにそれ、面白そう。私も聞きたかったわ」
「途中までしか覚えていないんですけど。皆様、すごくアツく語っていました」
私は覚えているプレゼンの内容を、エステル様にお話ししました。
すごい人なんだ、尊敬できる人なんだ、心から憧れてる人なんだ――皆様が異口同音に語るバルバ様。それは英雄であると同時に、熱い心で部下を思う、本当に素晴らしい人でした。
「うれしそうな顔しちゃって」
「え?」
「バルバ様が褒められたのがうれしくて仕方ない、て感じよ」
ふふふ、と笑うエステル様。え、その、なんというか――なんだか頬が熱いです。
「デイジーもプレゼンすればよかったのに」
「ええっ、無理ですよ」
「そうかしら?」
すっ、とエステル様が、私の手帳を指差しました。
「バルバ様大好きリスト。それがあればできるのではなくて?」
「な、なんでそれを!?」
「アイリスが教えてくれたのよ。まさか紙十枚分も出てくるとは思わなかった、て言ってましたよ」
ア、アイリスぅ! なんでエステル様に言っちゃうのよぉ!
「それでデイジー」
不意に。
エステル様が笑みを消し、まっすぐに私を見つめました。ものすごく真剣な目。思わず身構えてしまうほどです。
「バルバ様の求婚、返事はどうするの?」
「その、まだ……」
考え中で、と続けようとしたのをさえぎるように。
「言っておくけど」
エステル様が言葉を挟みました。
「デイジーの返答次第では、私、お父様に本気でお願いしようと思っているわ」
「え?」
何を、と聞きかけて。
唐突に気付いてしまいました。
(エステル様……バルバ様のこと愛していらっしゃるんだ)
そんな気はしていました。驚くことではありませんが――こうしてはっきり言われると、ぎゅっと胸が締め付けられました。
英雄とお姫様。
物語では、結ばれるのが定番の組み合わせ。美しいお姫様は英雄を愛し、英雄もまたお姫様を愛して、いつまでも幸せに暮らすのが結末。そうなるのが当然と、私もずっと思っていました。
でも。
(嫌だ)
心に湧き上がってきたモヤモヤしたものが、そんな言葉になりました。
その瞬間。
すとん、と何かが腑に落ちたというか、つっかえていたものが取れたというか。気がつけば、私は主であるエステル様をにらみ返していました。
「あら怖い。デイジーもそんな顔するのね」
「……すいません。でも」
「ふふふ、いいのよ。ねえデイジー、はっきりおっしゃいなさい。好きなんでしょ、バルバ様のこと」
「はい……お慕いしております」
答えた途端、全身がカァーッと熱くなりました。
うわ、なんだか――なんていうか。
バルバ様が好き、て気持ちが一気にあふれてきました。え、こんなに好きだったの、て自分でもびっくりしてしまうほどです。
「そう」
エステル様の表情が和らぎました。
「わかってはいたけれど。あーあ、私、フラれちゃうのね」
エステル様は頬杖をつくと、はぁ、とため息をつきました。
「しかも恋敵は、一番お気に入りの侍女だし。こんなの応援するしかないじゃない」
「え?」
一番お気に入り? 私がですか?
「そうよ。無自覚なのもいい加減になさいね。デイジーは私の一番お気に入りよ」
「で、でも私、いまだに職階一番下ですし。てっきり認められていないのだと……」
「認めていない人を、いつも側に置いているわけないでしょう」
剣の稽古に始まり、公務や夜会、はては泊りでの出張まで、よほどのことがない限り私はお供しております。てっきり下っ端としてこき使われているんだと思ってました。
「なら、どうして私、職階一番下のままなんですか?」
「それは……」
おてんばが過ぎて、いつも注意されていたエステル様。でも私だけはあまり注意せず、むしろ褒めてくれるから嬉しくて仕方なかったそうで。
「だから、ずっと側に置いておきたかったの。職階上げたら色々忙しくなって、いないことも増えるじゃない。それが嫌だったのよ」
なんとまあ。
そんな理由で、私は出世できずにいたのですか。
これ、怒っていいことだと思います。だけど、ぷくっ、とむくれているエステル様を見ていたら、なんだかかわいくて笑ってしまいました。
「もう、殿下ってば。ひどいですよ」
「悪かった、と思ってるわ。お祝いは弾むから許してちょうだい」
「わかりました。それで手を打ちましょう」
ちょうどお茶がなくなりました。
私はお礼を言って立ち上がります。
「殿下」
座ったまま、私をまっすぐ見るエステル様。私は目をそらすことなく、まだ答えていなかった質問にはっきりと答えました。
「私、バルバ様の求婚、お受けします」
「そう」
うれしそうに、でもちょっとだけ寂しそうに微笑まれたエステル様。そんなお顔をさせてしまったこと、申し訳ないと思います。ですが、たとえお姫様が相手でも、譲れないものはあるんです。
「おめでとう、デイジー。あなたなら大丈夫。幸せになってね」
「はい、ありがとうございます」
エステル様の祝福に、胸がじんわりと温かくなって。
私は笑顔を浮かべ、深々とお辞儀をいたしました。




