第4話
歌が聞こえた。
いつも聞いていた歌。
ヘレナ。
目を開けると、空が青く眩しかった。
波の音をバックに彼女が歌っている。
「おはよう」
ヘレナだった。僕の顔を覗き込んでいる。膝枕されていたらしい。
腹部を襲っていた痛みがないことに気づく。触って確かめると、傷が塞がっていた。
「……君が治してくれたのか」
「うん。傷を治す歌も、先祖から教わった」
「そうか。ありがとう」
周りに視線をやると、嵐は消えていた。ここはいつもの島の浜辺だ。
「……あの後、どうしたんだい」
「うーん……やめた」
「……どうして?」
「好きな人が嫌がること、やらないのがイイ女かなって」
少し間を置いて、僕は吹き出した。
「……最高にイイ女だよ」
人魚の思考回路はわからない。もしかしたら、人魚と人は根本的なところでは、わかり合うことができないのかもしれない。
それでも僕たちには言葉がある。対話できる。
わからない相手同士でも、そうすれば一緒に生きていけるから。
「壊れちゃったね。飛行機」
「またお金を貯めて買うよ。働くさ。人間だからね」
しばらくヘレナとは会えなくなるかもしれないな。寂しいが仕方ない。
「それにたくさんお金があれば、この無人島を買えるかもしれないよ」
「島を買うの?」
「そう。それで誰も入ってこないようにする。君といつまでも会えるように。何千万か、何億か……貯めるのにいつまでかかるか、わからないけどね」
「たくさんお金があれば、飛行機も島も買えるものなんだね」
「ああ。君とまた二人で飛べるんだよ」
「あるよ。財宝」
「……財宝?」
「船の墓場って知ってる?」
「知らないな」
「世界中の沈んだ船の残骸が、海流のせいで一箇所に集まってるところがあるんだ。そこに住み着いて、財宝を集めてた先祖がいたの。その人魚の宝の在処は、歌になって受け継いでいるんだよ」
そうか。人魚は他の人魚から、歌の形で記憶を受け継いでいる。
「……そんな都合の良い話が」
「あるんだな。人魚といえば財宝でしょ? 人魚の話読んだことない?」
彼女が手のひらを差し出した。
僕たちはハイタッチして笑い合った。
それからしばらく経って、僕はいつものように飛行機の後ろの席にヘレナを乗せて出発の準備をしていた。
彼女はちゃんとヘルメットとゴーグルをしていた。フライトジャケットも欲しがったので着せている。最近は人間の格好に興味があるらしい。
「ふふ。いいよね。ふたりで飛ぶのって」
「そうだね」
「最高?」
「最高」
「そうだ、あれ食べに行こうよ。積乱雲」
「君しか食べられないだろう」
「そうだった。じゃあ今日は何食べるの?」
「海鮮塩やきそば」
「やった。好きだよ、私」
「知ってる」
「君も?」
「ああ。僕も好きだよ」
「ふふ。帰るの楽しみになってきた」
「そろそろ行くよ。つかまってて」
「ラジャー」
空へと飛び立つと、無線から彼女の声がした。
「8月22日土曜日、時計の針は10時を回りました。土曜の朝、皆さまいかがお過ごしでしょうか。空は快晴、絶好のフライト日和ですね。目標は積乱雲、お土産は海鮮塩焼きそばがおすすめです。それではまずはこちらのコーナーから——」
終