第2話
「不思議だよね。火って」
ヘレナは焚き火を眺めながら言った。
浜辺に寝転がり、頬杖をついている。片手ではマシュマロを先端に刺した金串を握り、慎重に火にかざしていた。
「僕たち人間も、ほとんどの人は火のことをよくわかっていないと思うよ」
「ふーん。やっぱさ、名前を知ってると、わかった気になっちゃうよね」
「そうかもしれないね」
「火ってさ、何が燃えてるかで色が変わるんでしょ」
「よく知ってるね」
「ふふん。理科総合で聞いたよ」
「高校時代の僕よりずっと真面目に勉強してるよ、君は」
「だって面白いじゃん。知らないことを知るのってさ」
「ずっと学校で勉強しているとね、勉強ってのはやらなきゃいけないことにいつしかなってしまって、楽しくなくなるんだよ」
「へー。もったいないね」
「ああ。本当にそう思う」
「でもさ、ラジオ聞いてるだけだから、見たことないものって多いんだよね。炎色反応も見たことないし」
「君の生活には火種がないからね。見てみたいかい?」
「え。見れるの?」
「ああ。明日用意してくるよ」
「ふふ。楽しみ」
彼女はいい具合にマシュマロが焼けたのを確認すると、はふはふ言いながらかじった。
「火、すごいね。おいしいものがさらにおいしく」
「火傷しないようにね」
「心配ご無用」
翌日、僕は家の近所のホームセンターに来ていた。
「あった」
目当ての物を見つけ、買い物を済ませると、普段より大きなビニール袋を抱えて帰った。
彼女は驚くだろうか。何でも新鮮に喜んでくれる彼女の反応を想像しながら、明日のフライトを楽しみに床についた。
「それ何?」
ビニール袋から取り出したものを見て、彼女は首を傾げた。
「花火だよ」
「花火」
僕は昨日買った手持ち花火を砂浜にまんべんなく広げた。
「炎色反応が見たいって言ってただろう。花火っていうのは中身の素材を変えることで、いろんな色の火を見て楽しむものなんだ。炎色反応だよ」
「へー。これが花火か」
「見ててごらん」
僕は手持ち花火を一本持つと、ライターで先端に火をつけた。
ほんの少し間を置いて、緑色の炎が噴き出す。
「わお。緑の火」
「やってみるかい?」
「うん」
彼女に花火を一本差し出す。
「向きはこうだ。こっちを持って」
「うん」
「つけるよ」
明るい炎が噴き出した瞬間、夜の暗闇の中で彼女の顔がパッと照らされる。
「おー」
「どう?」
「いいね。綺麗」
「よかった」
彼女は興味深そうに花火をゆっくりと振っていた。
「花火って、もっとでっかいと思ってた」
「打ち上げ花火のことかな。火をつけてから空に打ち上げて、大きく爆発させるんだ」
「ふーん。あ、ねえ。できるよ、それ」
彼女は光の噴き出す花火を手に持ったまま、宙に浮かび上がった。
「見ててね」
そのまま飛び上がると、空中を真っ直ぐに昇っていく。
花火から出る光の軌跡は彗星の尾のようだった。緑色に輝く筆跡が黒いキャンバスに線を引き、上空で円を描く。炎の輝きが彼女のなめらかな鱗に反射し、きらめいた。
それは彼女の想像する打ち上げ花火だった。
僕はしばしその光景に見惚れていた。
しばらく見てないな。打ち上げ花火。
ふと、火が消えた。彼女の姿が空中で見えなくなる。
「……ヘレナ?」
返事はない。彼女が降りてくる気配もなかった。
慌てて懐中電灯をつけ、上空をやみくもに照らす。しかし彼女の姿は見えない。
「ヘレナ!」
「わ」
後ろから、声がした。
振り向くと、僕の顔くらいの高さで宙に浮くヘレナが笑っていた。
「びっくりした?」
「……ああ。とっても」
彼女がいなくなったかと思って、こんなに焦った自分に驚いていた。
「ね、もう一本やっていい?」
「いいよ。全部やろう」
両手に花火を持ち、空中を自在に泳ぎ回る彼女は、空中に光で絵を描く楽しさに目覚めたようだった。長く華やかな尾を持つ熱帯魚のように、彼女は踊っていた。
「地味だね。これ」
「これからさ」
線香花火を二人で一本ずつ持ち、僕たちは小さな火の玉を見守っていた。
「ほら、始まったよ」
「おー」
火花を散らしながら弾ける線香花火を、二人で眺める。
「……君は寂しいと思ったことはないのかい」
どうしてそれを聞いてしまったのか、僕にはわからなかった。
「ないよ」
彼女は線香花火に目をやったまま言った。
「元からひとりだったし。今は、君もいるし」
「……僕は君と会っていない間、少し寂しいよ」
ぽろっと、口から出た言葉だった。
言うつもりはなかった。
でも確かに、さっき彼女が消えたとき、僕は動揺した。
「ふーん。私は君と会ってないときも寂しくないよ。だってさ、楽しみにしてるもん。君と次に会うの」
彼女は線香花火を顔の高さまで持ち上げた。
「誰かを想っているときってさ、そばにいなくても、ひとりじゃないって感じがする」
火花がだんだんと小さくなっていく。
「これってさ、つながってるってやつだよ。だから想い合ってれば、寂しくないよ。ひとりでも」
「……そっか」
「あ。終わりそう」
僕の持っていた方の火の玉が、ぽとりと地面に落ちた。
「もう一本やろうよ。次、どっちが長くついてるか勝負ね」
「いいよ。先に落ちた方の負けだ」
彼女の緑色の瞳に映る火花は、小さい頃見た花火より綺麗だった。