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06.不器用


シオンが部屋を出ると、背後で軋んだ音を立てて扉が閉まった。グランクレスト城内は日中であっても薄暗いが、その時は一瞬晴れ間がさし、窓から入ってきた光がシオンの足元を照らしていた。


おもむろに、ポケットに入っていたものを取り出す。

それはチェーンに通された銀色の指輪だった。先日城を飛び出し、雪の中に倒れていたアベリアが握りしめていたものだ。

シオンの左手薬指にも、同じ意匠の指輪が鈍く輝いている。



しばらくじっと手に乗ったそれを見つめていたが、不意に人の気配を感じて、再びポケットの奥へと押し込む。

振り向くと、そこには執事長のキリスが立っていた。



「旦那様。ヤガル隊長がお待ちです」

「ああ。今行く」


艶やかな黒髪をきっちりと後ろに撫で付けた几帳面そうな男は、先祖代々グランクレスト辺境伯家に仕えている。グランクレストに関することで、キリスが知らないことはないだろう。シオンが城を空ける際は、彼に全てを任せているぐらいだ。


シオンは歩き出そうとした足をふと止めて、思い立ったように振り返った。


「……キリス。アベリアは記憶がないらしい。誰かが基礎的な知識を教えてやる必要がある。面倒を見てやれ」


記憶がないという言葉に、まずは驚いたように瞳を丸くしたキリスだったが、主人からの指示には眉間に皺を寄せ不服げな表情を見せる。


「私がですか? 伴侶である旦那様が自ら教えて差し上げたほうが良いのでは?」

「記憶がないと言っただろう」

「だからこそでしょう。まっさらな状態の奥様と、いちからやり直す機会かと」


シオンはキリスを睨んだ。キリスはといえば、慣れた様子で肩をすくめ眉を上げた。自分の言い分が絶対に正しいと思っている時の顔だ。大抵の指示は忠実にこなすくせ、こういった話題になるとやけに絡んでくる。生まれた時からこの城で暮らしているせいか、妙に肝の据わった青年になった。


「──そんな暇はない。とにかく、お前が面倒を見ろ。それから監視も怠るな。」

「わかりました。また滑って怪我をされては困りますからね」


キリスが、シオンの真意を見透かしたような薄笑いを浮かべる。それからアベリアの寝室のドアへ視線を移すと、今朝方の騒動を思い出してか感慨深げに瞳を閉じた。


「あのように慌てふためく旦那様を見る日が来ようとは……この年まで生きた甲斐がありました」

「30そこらの若造が調子に乗るなよ」


どことなく肌がツヤツヤとしているキリスに、シオンが恨めしげに毒を吐く。しかしすぐ諦めたようにため息を落として、両手を目の前に出し、そこに向かって息を吹きかけるとたちまち大きな氷の塊が出来上がった。それをキリスへ押し付ける。「うわっ!」キリスは突然押しつけられた氷の重さによろめいた。


「こいつを砕いて氷嚢にして持っていけ」


頭を強く打ったようだから──そう言い残して、シオンはキリスを追い越し、そのまま廊下の奥へと消えていった。

主人の背中が見えなくなってから、呆れ混じりにポツリと呟く。



「不器用すぎる」



代々グランクレスト家に仕える執事長は、腕の中の無駄に大きな氷を見下ろして、やれやれと首を振った。






***







本当に、よく雪の降る場所だった。

見渡す限り、全てが真っ白で。滅多に雪の降らない帝都から来た私にとって、そこは異世界だった。

恐ろしくもあり、けれど胸の高鳴りも感じる、未知の世界。

ここでなら、しがらみも何もかも捨てて、新しい自分として生きられるのではないか、なんて。






「──ごきげんよう。私も一緒にいいかな?」



その夜、私はありったけの毛皮を着込んで、城の城壁へ登った。執事長に彼の居場所を聞いたら、ここかもしれないと言っていたから。

幸いにも、執事長の予想は当たっていた。

酒瓶を片手にぼーっと城の外を眺めていた銀髪の男は、まさか人が来ると思っていなかったのか、私を見て長いまつ毛を瞬かせた。その唇から返事が返ってくる前に、私は彼の隣に立って鋸壁に凭れかかる。


「今日が輿入れだっていうのに、花嫁を放置して帰ってこない旦那様がいてね」

「……旦那にとってもお前にとっても、所詮はただの政略結婚でしかない。特に話をする必要もないだろう」

「でも一応、家族になるんだし。どんな相手か気にならない?」

「グランクレスト辺境伯はあいにく、家族を知らない」

「奇遇だね、私も知らないんだ。知らない者同士、気が合うかもね」


あっさりとした私の声音に、彼は眉根を寄せる。変な女が来たと思っているんだろうな。けれど私は、この程度で引き下がるような性格はしていない。どちみち帰る場所など、ないのだから。


「君、よかったら友達にならない? 今後、旦那様への不満は君に話すことにするよ」


その時、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた彼が可笑しくて、アベリアは思わず双眸を細めた。

帝都では彼の怖い噂を散々聞いていたが、いざこうして会ってみると──






「──……あれ、夢……?」



広い部屋、広いベッドの上で目を覚ます。窓の外は、まだ暗い。

頭を打って気絶して、目覚めたらシオンがいて、記憶喪失の話をしたら浮気の件に関する追求は保留にしてくれて。そのことに安堵して緊張の糸が切れたのか、そこからずっと眠っていたらしい。


それにしても、夢というにはあまりに鮮明な場面だった。

しばらくしても朧げに溶けていかないそれが、どうやら夢ではなく“記憶”であると気がついたのは、少しずつ外が明るくなり始めた頃。



「私……本当にアベリアなんだ」



ようやく実感が湧いてきた。

もしかしたらアベリアと自分は別人で、このままアベリアとしての記憶は思い出せないままかもしれない、と思っていたのだけれど。今は城壁の上で初めてシオンと交わした会話を、その時の風の匂いまで、はっきりと思い起こすことができる。

残念ながら思い出したのは、ほんの短い会話だけだったが──こうして少しずつ思い出していけば、いつか真実が分かるのだろうか。


思い出したいような、思い出したくないような。


複雑に揺れる気持ちから目を逸らすように、ミアにもらった氷嚢を頭に当てて再び眠りにつく。




窓辺では、小さく黒い影が、ゆらゆらと踊るように蠢いていた。

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