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02.氷柱のような人

ふと目を覚ますと、そこにあったのは冬の夜空ではなく、複雑な模様の描かれた天井だった。


肌触りの良いシーツに掛け布団、柔らかな枕。自分が屋内にいることはすぐに分かった。

身体の痛みは大分和らいでいて、先ほどよりは簡単に頭を動かすことが出来そうだ。


「ん……?」


人の気配を感じてそちらに頭を傾けると、大柄な男が傍に置かれた椅子に座って眠っていた。

銀色の髪に朝日が反射して、きらきらと輝いている。すっと通った鼻筋や、伏せられた長い睫毛はまるで精巧な人形のようで。この世のものとは思えないほど、美しい人だった。


その寝顔にしばらく見惚れていると、男は身じろぎ、緩慢に瞼を押し上げた。

髪色と同じ睫毛の下から現れたのは、宝石のような金色の瞳。その輝きに、身も心も吸い寄せられそうになる。

天使や神様が本当にいるのだとしたら、こんな見た目をしているのかも。


その双眸を夢見心地でぼうっと見つめていると、男は私が目覚めたことに気づき、勢いよく立ち上がった。そのままこちらを覗き込んだものの、なぜか苦しげに目元を顰めて。それから、何かを堪えるように唇に力を入れる間があったが、それが一体どんな感情から来るものなのかまでは分からなかった。



あなたは誰?



そう尋ねようと唇を薄く開いた瞬間、は、と乾いた吐息が落ちてきて、蔑むような声が聞こえた。



「愛する男のもとへ逃げようとでも思ったか? ……残念だったな」



男はそう言うと、私に背を向ける。顔は見えなくなったが、その冷たい声色からどんな表情をしているのかは容易に想像がついた。




「夫を持つ身でありながら、他の男と密通するなど言語道断。その首、明日にはグランクレストの雪海に沈むものと思え──」




何を言われているのか、この時の私には理解ができなかったけれど。

なんとなく、この人は私のことが憎いんだな、と思った。








***




「奥様……! 本当によかった……! もう二度と戻って来られないかと……」



謎の男が去った後、肋骨の痛みにうめきながら長い時間をかけて上体を起こしていると、今度は別の人間が部屋へ入ってきた。

焦茶色の髪を後ろで一つにまとめた、クラシックなメイド服姿の若い女の子。彼女は私を見るや否や、大きく目を見開いてぱくぱくと口を開け閉めし、水の入った桶を抱えたまま駆け寄ってくる。

そのまま崩れ落ちるように絨毯に膝をついて桶を置き、包帯の巻かれた私の手を両手で握った。涙声で何度も「よかった」と繰り返しながら私の手を額に押し当てる娘に、なぜか両親の姿が重なって、私も瞳の奥が熱くなる感覚に陥る。


しかしふとサイドチェストに置かれた桶、その水面に映った自分の顔を見て、息を呑んだ。




「あの……ごめんなさい。……私って、一体何者なんでしょうか……?」




そこに映っていたのは、おおよそ日本では見られないような、美しい金髪と碧眼の女。

そして、自分が今いるこの部屋も、明らかに日本の家屋ではない。

ヨーロッパのお屋敷にありそうな壁紙に絨毯、高そうなアンティーク家具。目の前にはメイド服姿の女性。



私はタイムスリップでもしてしまったのだろうか?




「お、奥様……? もしかして、記憶がないのですか……!?」


女の子の声が驚きに震えている。安堵で潤んでいた大きく丸い瞳が、一瞬にして困惑の色に染まった。

なんだか申し訳なくなって、返す言葉が尻すぼみになる。



「は、はい……。おそらく、多分……」



まあでも、とりあえず記憶喪失ということにしておこう。雪山で倒れていた以前のことを覚えていないのは本当なのだし。

今はとにかく現状を把握することが先決だ。


私の返事を聞いた女の子はまた泣き出しそうな顔をしたが、一度ぐっと唇を噛み締めると、私の手を握り直してゆっくりと話し始めた。




「私はミア、奥様の専属メイドです。そして奥様は……ここ、グランクレスト辺境伯領の領主、シオン・リュ・グランクレスト様の妻。アベリア・ロデ・グランクレスト様です。」



ミアは私が聞き取りやすいように、しっかりと口を動かして喋ってくれたが、聞き覚えのないカタカナ単語の羅列に一瞬思考が停止した。




「ご、ごめんなさいミア……さん、」

「ミアで結構ですよ」

「えっと、グラン……?」

「グランクレスト辺境伯領です」

「シ……リュ……?」

「シオン・リュ・グランクレスト様。奥様の旦那様です」

「私は……?」

「アベリア様です」



グランクレスト。シオン。アベリア。

全て聞き覚えのない名前だ。

学生時代は世界史を専攻していたが、グランクレストなる地名は出てこなかった気がする。もっとも、私が知らないだけで世界のどこかにはあったのかもしれないが。



「ええっと……今は西暦、何年……?」

「せいれき……? 今年は幸暦1430年ですが……」



知らない暦が出てきた。だめだわからん。

頭を打っていたのか、包帯を巻かれている側頭部が痛くなってきた。深く考えるのは後にしよう。

ひとまず、パッと浮かんだ疑問を投げかけてみる。


「シオン……っていうのは、もしかして、あの銀髪のイケメン……?」

「グランクレストで銀髪といえば、領主様しかいらっしゃいません。」

「そう……私の夫、だったんだ……」



それにしては……ものすごい敵意を向けられていたような……?



「なんか……さっき、お前の首を雪に沈めるとかなんとか、言われた気がするんだけど……?」

「えっ、領主様をお部屋に入れられたんですか!?」

「いや、入れたっていうか……目を覚ましたらいたっていうか……?」

「……」



先ほどとはまた違った困惑を顔に浮かべるミアを見て、なんとなく察する。



「ねえ、もしかして……私たちの夫婦仲、最悪だったりする?」

「……え、ええっと……」


ミア、めちゃくちゃ目が泳いでいる。嘘をつけない子だ……。

私は握られていた手を引き抜いて、逆にがしっとミアの手首を掴んだ。「ひっ!?」彼女の口元が引き攣る。叱られる直前の子犬みたいに肩をすくめるのを見て、ちょっとだけ可哀想に思ったが、顔を近づけて問いを重ねる。


「……ミア、洗いざらい話して。私は……いや、私たちは、今どういう状況なの?」

「お、お二人はとても仲睦まじい夫婦で……」

「ミア。私を助けられるのはあなただけなの。お願い」

「うう……」


この短時間で、ミアがとても良い子であることがわかった。

そんな彼女の良心を利用するのは悪いと思いつつも、腹に背は変えられないので、これでもかと目に切実を滲ませて懇願する。

すると案の定ミアはすぐに肩を落とし、折れてくれた。良い子だ。

こちらの顔色を伺うように眉尻を下げながら、ミアはおずおずと話し始める。




「お気を悪くされないでくださいね」




「……お二人がとても仲睦まじかったというのは、嘘ではないんです。」

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