御家柄ですの仕方がありません
この話は日本の平安時代に模してはいますが、基本的にフィクションです。あらかじめご了承下さい。
少女の前には高い高い壁がたちはだかっていた。
-これを越えなくては私の人生、一生簾の中!-
覚悟を決めた少女は何枚にも重ねられた着物を脱ぎ捨て、数步の助走をつけると飛び上がり壁の頂点へと手をかける。
-よし、あとは何とか登れば…-
震える指先に渾身の力を込め、重く感じる体を持ち上げようとする。しかし、あと少しのところでか細いその指は限界を迎え、少女の体は地上へと落ちていってしまう。
-あぁ…どちらにしても私の人生は終わるんだ-
地面に落ちるまでの時間がゆっくりに感じた彼女の脳裏には走馬灯が流れるのだった。
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少女、青龍桜ノ巫女姫はこの都、そして国にとって重要な雨を司る巫女であった。太陽を司る朱雀朱乃ノ巫女姫と並び、青龍神の加護のもと気候を操り、国のすべての厄災を流し、人々を幸せにする事がその指名。この巫女姫が存在する限り都に災難がふりかかろうとも流されるという逸話がいつしか伝えられ、それが故に人々の信仰もあつく、青龍家は都、つまりこの国の長を担う存在となっていた。
「姫、お時間にあらせられます」
「…」
煌びやかな着物に身を包み、流れる漆黒の髪に施された金の装飾が僅か揺れた。桜は服で重くなった体を庇いながら立ち上がりると簾の奥に僅かに見える家臣を見据える。歳の頃は桜よりやや上、静かな物腰で跪く美少年.同じ家系の従兄弟にあたる実力者。が、格式は最も人々の信頼を集めている青龍ノ巫女姫である桜の方が上。同じ一族でありながら家臣を勤めている。
-…武蔵は今日も仏頂面、、昔はあんなに遊んで笑っていたのに…-
扇で顔を隠しつつ、ゆっくりと上げられる簾をくぐる。そして、自分にあわせゆっくりと歩きだす家臣の顔をまじまじと見ては桜は幼き日の記憶を辿った。
年が近いのと武蔵とは立場がある事に感して似ている事もありよく遊んだ。その頃は武蔵も桜の事は姫と呼ばず名前で呼び合い、木や屋敷の高い塀に上らせてくれたり、家を抜け出して都の商い広場へ行ったり、都外れに広がる四季の景色をよく見に行った。
空も風も木々もすべて輝いていて、心地よい川のせせらぎを耳にしながらよく”この美しい世界を守っていこう“と笑みを浮かべ語りあっていた。
桜はその時の武蔵の真っ直ぐでありながらイタズラで優しい笑みが忘れられなかった。
青龍桜ノ巫女姫が歌を呟き、舞を舞えば雲が沸き、一時の間、都を優しい雨が包み込む。木々や花、作物に青龍の恵が行き渡り世界が輝く瞬間。人々は禊ぎとばかりに天を仰ぎ雨を全身に受け止める。
桜は日課になりつつあるこの行事に嫌気がさしていた。ただでさえ重い服は雨のせいでもっと重くなり肌に張り付く。なにより自分がこの行事をしなくなったら人々はどう思うのだろう。この雨は本当に厄災を流す?…桜は知っていた。真実を。だからこそ幸福そうに笑う人々の姿をみると押しつぶされそうになる。なにより…
「お疲れさまでした。姫」
絹の衣が頭にふわりとかけられる。
「……武蔵、服、重たいよ…」
「もう少しなので、どうかご辛抱を」
誰にも聞かれないようにお互い小声で言い合う。人々が歓喜の声を上がる中、桜は再び扇で顔を隠し、家臣と共に歩き出す。
「…ねぇ、武蔵…みんな私の顔知ってるのに扇で隠す意味って…ないと思わない?」
「品格のための作法です」
表情一つ変えない冷たい武蔵、桜は静かに俯むいた。彼の脇にささる二つの刀。武蔵はこの都一の両刀の使い手。恐らく敵うものはいないだろう。そして、もう一つ、青龍家には青龍神から遣わされた2人の“守護神゛の存在がある。神と名はついていても2人とも人との区別はつかなく、生き神のようなもの。ただ、その力は人ではあらず、まさしく神のなせるもの。その守護神は今はそれぞれ桜と武蔵の元につけられている。その事もあいまって武蔵は都では敵なしの凄腕の剣士。
…だからこそこの都にどんな厄災が現れようと切り払う事ができる。
そう、都の厄災を本当の意味でで流しているのは守護神達と武蔵に他ない。この都は桜ではなく武蔵達によって守られているのだ。桜はいわば青龍家が頂点にたっていられるための“サクラ”にすぎない。
なのに、武蔵は何時も家臣としての礼儀を欠かさず、自分に仕えている。それも桜にとってはただ、ただ嫌でしかなかった。
「姫、身体を温めた後、都ノ長が話があるとの事です」
「…父様が?」
「後に迎えにまえります」
「いいよ…武蔵が来なくても。護衛は聖女がいるし」
「……分かりました。それではここで」
部屋の前に着くとゆっくりと簾をあげられ中に入る。
-武蔵は私の言う事には素直に従う。悲しいほどに。-
「相変わらずつまらない男ね。あいつ」
桜が部屋で佇んでいると、薄暗い部屋の奥に人影が浮かび上がった。
「聖女!」
沈んでいた表情が明るくなる。それを見て聖女と呼ばれる青龍家の守護神は苦笑い浮かべながら桜に近づいては彼女の濡れた髪に手を伸ばす。
「今日も見事にずぶ濡れだこと」
そう言われ今度は桜が苦笑いを浮かべる。
「…だって、、仕方がないよ」
そうやってまた俯く。すると
-ベシッ!!-
桜の額に衝撃が走った。聖女のデコピンだ。彼女は桜が俯く事を良しとしない。
「…ここのやつら、そんなに雨が好きなら私が降らせてあげようか?それこそ洪水が起こるくらい」
「聖女が言うと本当にやりそうで怖い」
「当たり前じゃない。やるわよ」
イタズラに笑う聖女の肩から絹糸のように美しい金色の髪がこぼれ落ちる。桜は思う。彼女はなんて美しく自由なんだろうと。
「そんな事したら太陽の朱雀家と喧嘩になっちゃうよー!」
「その時はアンタのつまらない従者とバカ勇者を盾にしてやるわよ」
そんな会話を交わしているうちにいつの間にか桜の全身は薄水色の光に包まれ、濡らしていた水滴はなくなり、服も髪も乾いていた。守護神である聖女の使う魔法の効力だ。
「聖女、ありがとう。あの…私、父様に呼ばれているんだ。一緒に来てくれない?」
桜がそう言うと、頭に手を置かれ、クシャッと一回撫でられる。聖女が表す無言の肯定が心地良い。
バンッと音をたて、返される簾を抜け、聖女と共に都ノ長である父の部屋へ向かう。顔を隠す事なく堂々と歩き過ぎ去る二人の様を見て廊下を行き交う女性達が驚きの声をあげるが気にも止めない。聖女は言う
『ここのやつら面倒くさくないの?そんな事して』
-桜が感じた僅かな自由の瞬間だった-