浜松城攻防戦⑧〜感情を抑えてこそ〜
武田軍が包囲をはじめて4日目。3日目の夜に一部の兵による暴走があったが、それ以外は特に何事も起きずに時間だけが経過していた。そんな中、武田軍の大将である勝頼は
「これ以上、城を包囲しても無駄に時を過ごしてしまう。ならば、お館様に合流して尾張の織田を叩く事を優先するべきだと思うが、馬場殿と山県殿はどう思われる?」
2人に撤退についての意見を聞いた。2人は勝頼が悔しい思いや怒りを抑えられる優れた武将へ一歩成長した事を心の中で喜んだ。しかし、ここで勝頼の言葉をただ受け取るだけでは良くないと思い、あえて意地悪な質問をしてみた
「徳川にやられたままでも良いという事ですかな?」
「何も出来ずに撤退したと思われる可能性もると思いますが?」
2人の質問にも勝頼は
「そう言いたい奴らには言わせておけば良い。織田を滅ぼして、上洛し朝廷から綸旨を貰い、徳川を朝敵と認定させてから戦えば、どうとでもなる」
この言葉に馬場も山県も勝頼が大局を考えられる武将になった事を確信した。これならば武田の当主としても支えるに値する。と。
「四郎様。そこまでお考えになって居たとは、この馬場美濃守、感服致しました」
「この山県も同じく。ならば撤退を急ぎたいところですが、即座に動いては徳川に痛撃を喰らう可能性もあります。そこで」
山県は事前に伝えられていた撤退案を勝頼に提案した。すると
「ならば、一日早く撤退した方が良いな。今なら徳川も再び夜襲が来るかもしれないと警戒しているであろうから、城から出てくる可能性は低い。今日の夜には出発する。兵達に準備をさせておいてくだされ」
改善案を出して、撤退の日時を決めた。四郎からの命令を馬場と山県も家臣達へ伝えて、準備を滞りなく進めた。徳川からの攻撃も勝頼の読みどおり無かった為、武田軍は改善案どおり撤退出来た
そして翌日。半蔵から「家臣達より武田の包囲軍が夜のうちに撤退した模様との事。おそらく信玄の元へ戻ったものかと」
と報告を聞いた家康は、信長宛の文を書いた。内容は武田を足止め出来なくて済まない。という謝罪と、武田はもしかしたら信玄が重い病の可能性がある。だった。
その文を半蔵に渡して信長の本拠地の岐阜城へ走らせた。そして
「武田四郎勝頼。怒りに任せて城を攻めて来たならば、壊滅的な痛手を負わせるつもりだったが抑えるべきところは抑えられるか。優将に必要な分別を持ち合わせるとは流石、甲斐の虎の子じゃな」
勝頼をそう評して、武田との戦がとりあえず終わった事に一安心した。




