三方ヶ原撤退戦②〜武田五千と三百の死兵〜〜
場面は再び徳川家。半蔵からの武田の追撃が見える距離まで来ている事を聞いた家康達は、即座に立ち上がり警戒を強めた。そして
「殿!城へお逃げくだされ。ここは我々が」
忠勝達が家康に逃げる様伝えた時だった
「半蔵様」
半蔵の家臣の者が現れ
「武田がおよそ五千の軍勢で、浜松城へ向かっております」
「何?」
「およそとはいえ五千もの軍勢」
「それほどの大軍から殿を逃がすには」
伝えられた内容に忠勝達が動揺していると、
「それ程の大軍ならば移動に時を要する筈。儂と家臣達が殿軍を務める。なので殿を早く城へ」
そう発言したのは忠勝の叔父の本多肥後守忠真。忠勝が幼い時討ち死にした忠勝の実父の忠高に代わり武士として必要な武芸は勿論、読み書きも教えながら忠勝を育て鍛えあげてきた育ての親である
そんな叔父が間違いなく死ぬ殿軍を引き受けると発言したならば、忠勝は
「ならば叔父上と共に拙者も残りまする」
忠勝がそう言う事も当然である。しかし忠真は
「たわけ!!良いか平八郎!お主は榊原殿、服部殿と共に護衛しながら殿と共に城へ撤退せよ!一刻も早く!」
「し、しかし」
「お主と言い争っておる暇は無い!こうしている間にも武田の大軍が迫っておるのだぞ!儂の事より殿の事を最優先に考えよ!!それが徳川家家臣である本多家の成すべき事じゃ!」
そこまで言われては誰も何も言えなかった。場をまとめる為に家康は
「本多肥後よ。お主達に殿軍を任せる。しっかり働け!」
「はは!殿が城へ無事お戻りになるまでは、死んでも武田はここを通しませぬ」
「うむ。任せたぞ」
そう言いながら半蔵を前に配置して家康は馬に乗り出発した。康政が続いて出発し、最期に残った忠勝は
「叔父上!万が一の事がありましたら、叔父上が拙者を育てていただいた様に、拙者が、叔父上の子を育てまする」
そう言い残し、忠勝も家康達の元へ出発した。残った忠真は
「皆、儂の我儘で殿軍を務める事になった。済まぬ。今なら逃げても何も言わぬ。この場を去っても良いぞ?」
家臣達に諭した。しかし家臣達は誰1人、その場を動かなかった
「お、お主達。良いのか?我々は三百くらいしか居ないのだぞ?間違いなく武田に」
「殿!そこから先の事は皆、覚悟の上です。それに大殿を逃がす為に命をかける事こそ、先程殿が平八郎様に仰っていた「本多家の成すべき事」なのではないですか」
「お主達」
「そうじゃあ!殿と共に大殿を逃がす殿軍を務め、お役目を果たす!」
「三河武士は徳川家の為に!」
「武田なんぞ恐るるに足らず!」
「我等の武勇を見せつけようぞ!」
「「「「えいえいおお!!!!」」」」
忠真は家臣達の言葉に涙した
「儂は幸せ者じゃ!お主達の様に怖いもの知らずの愛すべき三河武士と共に戦えるのじゃからな!!ここから先の命令は暴れ回り武田を一人でも減らせ!以上じゃ!」
「「「「ははっ!!!!」」」」
家臣達が答えると忠真は
「さあ、武田の者達が見えて来たぞ!臆するな!こちらから行くぞ!」
「「「「おおおお!!!!」」」」
自らが先頭に立ち武田軍五千に突っ込んでいった。家臣達も続き、三百対五千の戦いが始まった
しかし、多勢に無勢。殿軍は時間にして15分で全員討死したが、家康の逃げる時間を稼ぐという目的は無事に果たした。
この間に家康達は全員、浜松城へ戻れたのだった。




