呉越同舟を抑えようとした結果
松田の軍勢が忍城を目指して武蔵国の北部を進んでいた六月、その武蔵国の北部に近い場所にて
天正二十一年(1593年)六月二十五日
常陸国 某所
「兄上。佐竹様に通行の許可を得てからでないと、要らぬ争いになりかねないと思うのですが、せめて拙者だけでも佐竹様の元へ行くべきかと」
「小次郎!そんな細かい事を気にしていては、柴田殿に会うのが遅くなるではないか!
通行の許可は、あとから柴田殿を連れていけば、佐竹の殿様も許してくれるじゃろう!だから今は、先を急ぐ事を優先せよ!」
声の主は陸奥国の会津を中心とした領地を持つ伊達家の兄弟、通行の許可をもらうべきだと提案したのが弟の伊達小次郎、そして通行の許可は六三郎を連れて行けばどうとでもなるとアバウトな考えを示したのが、
兄で伊達家当主の伊達藤次郎政宗。見事に考えが真逆の兄弟だが、その兄弟の間を取り持つのが、若くして家老的ポジションの片倉小十郎景綱だ。その景綱は
「まあまあ、殿も小次郎様も。どちらも間違いではありませぬ。ですが、お二人とも此度の出陣に際し、手ぶらで帰ろうものならば、義姫様がお怒りになるでしょうから
そうならない為にも、柴田様との縁を強くする目的以外にも、佐竹様を始めとした関東諸将との縁も強くしないといけませぬぞ?
佐竹様は会津に一番近い蘆名家に実子を養子として送り込む程、謀略が上手い大名と聞いております。なので、気をつけて対応しないといけませぬぞ?」
佐竹家が謀略の上手い家だから油断するなと、2人に注意喚起する。その言葉に
「小十郎殿の言うとおりですな」
「うむ。小十郎、よくぞ言ってくれた!確かに気をつけていかねばな!」
2人は落ち着きを取り戻した。そして、政宗は小次郎に対して
「小次郎!此度はお主の初陣であり、戦のあとに元服を行なう!その元服の儀に柴田殿に参加して欲しい旨を伝えて、なんとか会津まで連れて行くつもりじゃ!」
六三郎を会津に連れて行く理由を話していた。それを聞いた小次郎は
「兄上。その様に策を練るのは構いませぬが、成し遂げる為には、最上の伯父上や北条家の面々よりも有利に立たないといけませぬぞ?」
「それは難しくないか?」と聞き返す。しかし政宗は
「安心せい小次郎!人様の慶事に参加を求められて拒否する人間ならば、若くして大領を持つわけがない!柴田殿は、きっと参加してくれると儂は思う!」
根拠のない自信を持っていた。そんな会話をしながら進んでいると、伊達家の前方で
「小田左近!弱小で小勢のお主らは、儂ら佐竹家の後をついて来たら良いではないか!先を譲れ!」
「何を言うか佐竹常陸介!儂ら小田家は人数が少ないからこそ、早く移動出来たのじゃ!後から来たお主らに先を譲れなど、おかしいではないか!」
小田氏治と佐竹義重が、「自分達が先を行くからお前らは後ろから来い!」と言い争いをしていた。
それを見ていた政宗は
「小次郎、小十郎!これは好機じゃ!あの両家を仲裁して、主導権を握るぞ!」
一部の者達を連れて、氏治と義重の元へ行くと、
「何を言い争いをしておられるのですかな?」
さも、今しがた通りかかったかの様に話しかける。政宗の存在に気づいた義重は
「伊達家の若当主か!常陸国に入るのに、佐竹家に挨拶に来ない事、少しばかり気にくわぬが、それよりもじゃ!
お主、この小田左近に先を譲る様に言ってくれぬか?弱小の小勢が先頭に居ては、儂達の到着が遅くなってしまう!」
政宗を味方につけようとするが、氏治から
「大きな領地を持っているのじゃから、ゆっくり来たら良いではないか!そもそも先に進んでいたのは、小田家じゃ!この様な時に領地の大小なぞ、関係ないと伊達殿も思わぬか?」
「先に進んていたのは自分達だから、領地の大小は関係ない」という意見も出て来た
両者の言い分を聞いた政宗は
「お二方共、言い分は分かりました。ですが、その様に先を急ぐ理由は何なのか、教えてくだされ!」
義重と氏治に急ぐ理由を質問したが、内心は
(どうせ、この者達も柴田殿の元へ行くのじゃろうな!ならば、どうにかして他所に行かせて、伊達家が先に到着させてもらおう!)
軽く悪知恵を働かせていたが、追いついた景綱が
「殿。この様な場所で、時間を取っていては柴田様と北条家が謀反を鎮圧してしまいます。早く急ぎましょう!」
伊達家の目的を口にしてしまう。それを聞いた義重と氏治は
「何じゃと!お主も柴田殿の元へ行く事が目的か!」
「儂達を謀ろうとしたのか!」
政宗に当たろうとしたが、義重は
「父上!伊達様に当たっても仕方ないですから、急ぎましょう!」
嫡男の義宣から先を急ぐ様に嗜められ、氏治も
「殿!我々は戦力が足りないのですから、無駄な争いは避けてくだされ!」
家臣から余計な事をするなと嗜められた。そして、最終的に
「佐竹様も小田様も、我々伊達家と同じ様に進みませぬか?目的地は同じなのですから」
景綱が共に進む事を提案して
「仕方ないのう!」
「その提案に乗るとしよう」
「多少、予定は狂うが仕方ない」
義重も氏治も政宗も、納得した。こうして、一応、要らぬ戦を抑える形になり、三家一緒に進む事が決まった。




