六三郎が館林城へ動くと、あの兄妹が動く
天正二十一年(1593年)三月三日
上野国 館林城
「柴田播磨守殿。お初にお目にかかります。北条助五郎と申します。改めて、源三兄上の子作りの件、誠に、誠に!ありがとうございます!」
「柴田播磨守六三郎と申します。助五郎殿、拙者はあくまで、源三殿には子種が動きやすい身体作りを、
奥方様達には子を授かりやすい身体作りを指導しただけですし、それを頑張ってくださったのは、源三殿と奥方殿達ですから」
皆さんおはようございます。現在、対松田の最前線になる可能性の高い上州館林城の大広間へ、
源太郎と昌幸さんの3人で挨拶に来ております柴田六三郎です。その館林城の城主である助五郎殿から、
源三殿の件で、これでもかとてを握られながら感謝の言葉をいただいております。嫌な気分ではないのですが、そろそろ本題に入らせていただきましょうか
「助五郎殿。そろそろ本題に入らせてもよろしいですかな?」
「そうですな。はしゃいでしまい、申し訳ない。それで、文の内容は、どの様に実行するのでしょうか?」
助五郎殿が俺の提案について、質問して来たけど、その前に
「助五郎殿、その前に確認したいのですが。この館林城、源三殿や新太郎殿からは、山城と聞いていたのですが、拙者の感想としては、山城と言うには位置が低く、
平城と言うには少し位置が高い、何とも言い難い城だと思うのですが。もしや、これが原因で館林城は何度か敵に奪われていたのでは?」
この館林城の中途半端な配置について質問させてもらいました。正直言って、この館林城はイメージしていた程の堅城感想がありません!
しかも、空堀もそれ程効果ある深さかと言うと、そうでもないです!これなら、全部壊して、出た建材で新たな城を、土地形成しながら建てた方が良い気がしてきました!
俺がそんな事を考えていると、助五郎殿から
「流石、戦において若いながらに日の本随一と言われるだけありますな!その通りです。この上州館林城は、敵が攻めて来た場合、一度目は撃退出来るのです!
ですが、敵が余程の阿呆ではないかぎり、二度目か三度目で大体、奪われます。平城にしては少し高くとも、所詮は平城です。山城に比べたら攻めやすいのです!
源三兄上も新太郎も、柴田殿から奪われてはならない場所を聞かれた時、少しばかり見栄を張ったか、この数年は奪われてないから、堅城だと思ったのかもしれませぬ」
そんな説明をされました。おいおいおい!そんな事情があったなんて、マジか!こいつは、かなりの貧乏くじを引いたかもしれないな!
でも待てよ?一応、この館林城は重要拠点で間違いないんだ!ならば、軍勢だけはそれなりに居るんじゃないのか?聞いてみよう
「助五郎殿。この館林城の中途半端な位置の事はとりあえず置いておきまして、助五郎殿の軍勢は最大何人になりますかな?」
俺の質問に助五郎殿は
「お恥ずかしい話なのですが、この上州館林城の軍勢は武士と百姓を合わせても、約四千人なのです。柴田殿の軍勢の半分にも満たないので、
松田が上野国北部を完全に征圧したらならば、鎧袖一触だったでしょう。それを柴田殿が大軍を率いて来てくださいましたので、最悪の事態は避けられたと思っております」
正直に答えてくれたけど、武士と領民を合わせても約四千人か。俺の九千人と合わせたら約一万三千人だけど、松田の軍勢が四万人とかに増加したら、
半分も館林城に入らない可能性が高い。そうなったら、爆破しても意味がない!それどころか、変に警戒されて、戦が長引いてしまう!そうなっては、
北条家に敵対している勢力が、松田に味方する可能性が高い!そうさせない為に、やっぱり松田の軍勢の情報が欲しい!出来れば数と現在位置が!
六三郎がそう考えていると、昌幸は助五郎へ
「助五郎様!拙者、柴田播磨守様の家臣、真田喜兵衛と申します。いきなりで申し訳ありませぬが、
我が主君が此度の戦を終わらせる為に、とても悩んでおられるので、
助五郎様の許可を得てから実行したい事があるのですが、先ずは聞いていただきたく」
ある頼み事をしたいと申し出た。昌幸の言葉に助五郎は
「内容にもよるが、申してみてくだされ」
とりあえず話してみてくれと促す。促された昌幸は
「ありがたき!実は、拙者の弟で北条家に仕えております真田市兵衛と申す者が居るのですが、その者を含めた者達を、松田の軍勢に潜入、若しくは情報を得る為に近づけても良いか、許可を得たいのですが」
「弟の信尹や周りの者を使って良いか」と、助五郎に質問する。途中から会話を聞いていた六三郎は、
「喜兵衛!それは、かなり危険ではないか?」
遠回しに止めようとするが、昌幸は
「殿。弟は、北条家で禄を喰み、上野国に領地があるのです。此処で働かせないと無能の烙印を押されてしまいます。弟は血気に逸る阿呆ではないので、
現在は、来たるべき戦の為に準備をしていると思われます。なので、少し働く時が早くなるだけです。改めて、助五郎様!よろしいでしょうか?」
改めて助五郎に伺う。助五郎は
「分かった。真田喜兵衛殿。弟の市兵衛殿を喜兵衛殿が働かせてくだされ」
昌幸に信尹を働かせる許可を出す。それを受けた昌幸は
「ありがたき!それでは早速、弟へ文を書きますが、殿!市兵衛から仕入れて欲しい情報は、どの様な情報でしょうか?」
六三郎へ、話をふる。ふられた六三郎は
「喜兵衛!松田の軍勢の数と現在位置が知りたい!頼めるか?」
欲しい情報を伝える。聞いた昌幸は
「お任せくだされ!市兵衛を徹底的に働かせましょう」
六三郎にそう答える。こうして、関東で動く気配がしていた頃、奥州では
天正二十一年(1593年)三月三日
陸奥国 伊達家屋敷
「殿!小次郎様!義姫様!最上様からの文が届きました!」
最上義光から伊達家へ、文が届いていた。関係性から言えば、伊達家当主である政宗の母の義姫が、義光の妹なので、身内同士の文のやり取りなのだが政宗は
「また、伯父上上からの文か。母上、どうせ母上を心配する文に違いありませんから、お渡しします」
そう言って、義姫に文を渡す。渡された義姫は文に目を通すと
「藤次郎!今すぐに出陣準備をしなさい!小次郎もです!早く!」
息子達に出陣を促す。2人共、わけが分からなかったが、義姫からの説明は
「兄が、あなた達の伯父上が関東へ出陣します!柴田播磨守殿からの出陣要請です!あなた達も出陣しないかとの文です!」
だったので、更にわけが分からなくなった2人は
「「え、えええ!」」
ちょっとしたパニックになった。
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