小寺家が遅かった理由とは
天正二十年(1592年)五月三十日
播磨国 柴田家屋敷
「さて、官兵衛よ。臣従の申し出の最終日じゃが、一番近い距離の小寺家は、今だに来んな」
「右府様。まだ午前中です。それに今日一日待っても来なければ、別所家の前に小寺家を攻撃しましょう」
前日に急いで来た赤松家と家臣の謀反にあった別所家からの臣従の申し出から一日経過したが、今だに小寺家は来ない事に、信長は軽く苛立ちを覚えていたが、
官兵衛は、まだ午前中である事を理由にしつつ、信長を宥めていた。そんなやり取りをしながら、小寺家が臣従の申し出に来るのを待っていると
ゴロゴロゴロゴロ!
雷雲から爆音が鳴り響く。そしてあっという間に
ザー!
雨が降り出す。その様子に信長は
「雨か、五月の終わり頃の雨とは、桶狭間で今川と戦った三十二年前を思い出すのう」
昔の事を思い出した様に呟く。その呟きに反応したのは
「右府様!その戦のお話、よろしければ教えていただけますでしょうか?」
官兵衛の息子の吉兵衛だった。そんな吉兵衛を
「これ!吉兵衛!」
官兵衛は嗜めるが、信長は
「はっはっは!官兵衛よ。構わぬ、昔の戦の話を聞いて、吉兵衛にも得る物が有るかもしれぬからのう」
話しても構わないと答える。それを聞いた官兵衛は
「右府様が、そう仰るのであれば」
信長に任せる事にした。そんな状況で信長は桶狭間の戦の事を語り出す
「あの頃、儂は織田家を統一し、尾張国を統一して間もない頃であった。その頃、現在徳川家が治めておる駿河国、遠江国、三河国を今川家が治めておったのじゃが、
その時の今川家当主の今川治部は、父祖の代から治めておる駿河国を豊かにし、銭を増やして、軍備を増強し、遠江国を完全に征圧し、更に三河国も実質的に支配しておった
その流れで行くと、次は尾張国である事は明白であったからこそ、当時の織田家中は紛糾しておったわ
「今川に臣従する」派閥と「清洲城に籠城して戦う」派閥でな。だが、勝蔵の親父の森三左衛門が言った
「援軍の来ない籠城戦など無意味!一縷の望みにかけて、野戦で戦うべきです!」の言葉を聞いた儂は、
間者を使い、今川の軍勢の新軍経路を調べた。その道中に大軍を動かすには狭く不向きな桶狭間があったから、
桶狭間周辺の領民を使い、どうにか今川の軍勢を足止めさせたのじゃが、当時の織田家の軍勢は二千五百、対する今川の軍勢はおよそ三万じゃ
狭い桶狭間に休息を取ったとしても、まともに戦っては勝てぬ。じゃが、そこで四つの幸運が起きてのう
先ず、一つ目は今川治部の居る本陣を守る精鋭の数が、儂達と大差ない四千人であった事、
二つ目は、本陣と足軽達の距離が遠かった事、
三つ目は、当時は今程、種子島が広まっていなかった事。このおかげで儂達か突撃しても、狙撃される事が無かった
そして、最期に四つ目じゃが、雨じゃ。雨のおかげで、儂達の突撃に気づくのが遅かったから、儂達は本陣深くに進めて、そのまま今川治部を討取る事が出来た。これが、桶狭間の戦の大まかな内容じゃ」
信長の話を聞き終えた吉兵衛は
「およそとは言え、三万に突撃するとは。まさに乾坤一擲。六三郎殿が毛利との戦で実行した策の、「百里を十日で走り抜く」が霞みます」
六三郎の中国超大返しの話をする。その話に信長は
「百里を十日で走り抜くじゃと!?吉兵衛、その話、詳しく話せ!」
興味を持った様で、吉兵衛に細かく話せと命令する。吉兵衛は言われるまま、具体的に信長に話すと、信長は
「はっはっは!六三郎め、その様な鬼策を提案し、実行するとは!しかも、夜も走る為の松明と、道中の飯も準備させる念の入れ様
それを与力にやらせるとは、権六よ、やはり六三郎は常識外れじゃな!」
大笑いしながら、勝家に話を振る。振られた勝家は
「倅に対して、その様な事を教えた事は無いのですが、改めて、あ奴が常識外れであると実感しております」
「六三郎がクセ強で独特ですいません」的な言葉を信長に話す。勝家の言葉を聞いて信長は
「はっはっは!権六よ、別に常識外れでも良いではないか!気にするな!」
大声で笑い飛ばした。ちょうど、その時、
「右府様!小寺家の方々が臣従の申し出に参られました!」
官兵衛の家臣から、小寺家が到着した事を伝えられて、
「そのまま大広間に連れて来い!」
信長はそのまま大広間に連れて来る様、命令する。信長の命令を受けた家臣が小寺家の面々を大広間に案内すると、面々を見た信長は
「ほう。小寺家の当主は随分と若いのう」
小寺家の代表者が若い事に気づく。しかし、かつて小寺家に仕えていた官兵衛は
「右府様。こちらの方は、小寺家の当主ではなく、嫡男です」
と説明する。しかし、その嫡男は
「官兵衛殿。それは違います。織田右府様。臣従の申し出が遅くなり、申し訳ありませぬ。拙者、つい先頃、小寺家の家督相続しました、
小寺藤兵衛氏職と申します!そちらの黒田官兵衛殿からの文を受けて、織田家に臣従の申し出に参りました!」
自己紹介を兼ねて、臣従の申し出をする。小寺藤兵衛からの臣従の申し出に、信長は
「ふむ。小寺藤兵衛よ、何故、小寺家の到着が遅くなったのか、説明してもらおうか」
「到達がギリギリになった理由を話せ」と圧をかける。理由を求められた藤兵衛は
「はい。遅くなった理由ですが、先代当主の父が優柔不断過ぎて決断出来なかった為、このままでは小寺家が織田家に攻められて、要らぬ戦で領民が苦労してしまう事を危惧した
拙者と家臣全員が、少々強引に家督相続を求めて、ようよく、父が折れたのですが、その件でも決断に時がかかってしまい、今日まで遅くなったのです」
正直に話す。藤兵衛の話を聞いた信長は、
「成程、領民の為に親父を強引に隠居させたと」
藤兵衛の言葉を信じようとした。藤兵衛は
「はい!親不孝者や愚か者と呼ばれても構いませぬ!やらずとも良い戦を避けたかったのです!」
領地の為に覚悟を決めたと話す。それを聞いた信長は
「その覚悟は、しかと受けた。じゃが、臣従を認めるかどうかは、これからの戦での働きで決める!しっかり働け!」
戦での働き次第での臣従とした。こうして、別所家の愚か者以外の、播磨国の領主は織田家に臣従が決まった。




