大集合した理由と切り取り開始と次の展開
「親父殿!又左から文が届いて、居ても立っても居られなくなったから、来てしまいましたぞ!」
「柴田殿!佐々殿と同じく、前田殿からの文で来ましたぞ!」
「越前守様!黒田殿からの文を受けて、馳せ参じました!」
「権六!お主に無理をさせるわけにはいかぬから、儂も来たぞ!」
「内蔵助、十兵衛、尼子殿、それに大殿まで」
利家と慶次郎以外の面々も大広間に集まる。屋敷の外には、全員が引き連れて来た軍勢、合わせて四万一千人が控えている
この軍勢に、柴田家の一万と黒田家の三千人が追加され、最終的に五万四千もの大軍勢で、播磨国切り取りが始まる事になるが、勝家は
「大殿、拙者の身体を気遣ってくださり、ありがとうございます!皆もありがとう」
全員に頭を下げた。そんなやり取りをした後、勝家は信長に上座を譲り、下座に移動すると、信長が今回の出陣理由を話す
「改めてじゃが、権六よ!儂と皆が来た理由じゃが、黒田官兵衛の策じゃ!官兵衛曰く、権六は織田家の重鎮として、
西国と畿内を結ぶ要衝である播磨国で睨みをきかせる為に、万が一にも播磨国切り取りで討死させるわけには行かぬ!
されど、権六率いる柴田家の軍勢が少ないと、調略の為の圧力が弱くなる!なので、権六の軍勢に数合わせでも良いから、近場の軍勢を貸して欲しいとの事じゃ!
権六が犬の前田家に与力の要請をした事を知ったので、それならば内蔵助も十兵衛も、尼子又四郎もと思っていたが、
内蔵助と十兵衛には既に犬から文が届けられていた様で、尼子又四郎には官兵衛から届けられていた様じゃ!
最悪、儂だけでも仕方ないと思っておったが、まさかこれ程の大軍になるとはのう!」
信長は笑いながら、そう話すと、勝家は
「大殿。改めて、ありがとうございます。そして、皆も改めてありがとう。それでは、今から黒田家に移動なさいますか」
「そうじゃな!黒田官兵衛の調略の腕、しかと見せてもらおうではないか!皆、行くぞ!」
「「「「ははっ!」」」」
こうして、五万四千もの大軍勢が、播磨国に集合する事になる
天正二十年(1592年)五月二十一日
播磨国 柴田家屋敷
信長達が柴田家屋敷を出発して、二十日後。大軍だった為、主だった者達が、先に黒田家屋敷に到着していた
「甚四郎!官兵衛!しばらく世話になるぞ!」
「右府様!は、ははっ!」
「右府様!これ程の大軍勢を連れて来てくださり、誠にありがとうございます!」
「五万を超える大軍勢じゃ!官兵衛、この軍勢の圧力を使い、出来るかぎり多くの播磨国の領主達を調略してみせよ!」
「ははっ!」
官兵衛の返事を聞いた信長は、官兵衛の父の甚四郎に話を振る。その内容は
「うむ。それでは頼むぞ!そして、話は変わるが、甚四郎。孫の吉兵衛の話は聞いておるな?」
「はい。柴田殿の姫君に、「私を嫁にしろ!」と言われたそうで」
「はっはっは!話は聞いておるのじゃな!ならば、話は早い!此度の播磨国切り取りにおいて、戦に決した場合、吉兵衛も出陣させよ!
吉兵衛は六三郎の無理難題を聞ける、骨のある男じゃ!だから、六三郎の妹であり、儂の姪である文も惚れたのであろう!それ程の若武者ならば、戦に決した場合、儂の目の前で働かせてみせよ!良いな?」
「ははっ!」
吉兵衛の働きを目の前で見せろ!だった、甚四郎は断れるわけもないので、了承するしかないが、官兵衛は
「父上!戦にならない可能性もあるのですから、それ程、気にする必要もないですから」
少しばかり、表情の固い甚四郎を和ませる為の言葉を伝えると
「そうなる事を願っておこう」
少しだけ、肩の力が抜けた様だった。その様子を見ていた信長は
「官兵衛!そろそろ、播磨国切り取りを開始せよ!」
「ははっ!それでは、先ずは文での恫喝、もとい調略から始めて行きます」
こうして、官兵衛主導の播磨国切り取りがスタートした
天正二十年(1592年)六月十日
播磨国 黒田家屋敷
「右府様。こちらが、この二十日間で織田家への臣従の挨拶に来た者達の目録と、今だに臣従の挨拶に来てない者達の目録にございます」
「ほう。播磨国の八割、いや、九割は臣従したか。どの様な言葉を書いたか分からぬが、流石、知恵者じゃな、官兵衛よ」
播磨国切り取りがスタートして20日、播磨国の国人領主達の殆どが臣従した事に、信長は頬を緩めていた
しかも、一度も戦をしていない事が、信長の機嫌を良くしていた。そんな順調過ぎる播磨国切り取りだが、臣従の挨拶に来ていない家名を見た信長は、官兵衛に
「官兵衛!今だに臣従の挨拶に来ない赤松、別所、小寺の三家のうち、最も当主が阿呆なのは、どこじゃ?残り十日で臣従の挨拶に来なければ、そこから攻めるぞ!」
そう質問する。質問された官兵衛は
「最も当主が阿呆ですか。赤松家は但馬国との境が領地なので、距離も遠いので、当主の為人が分かりませぬ。なので、残りの別所家と小寺家を比較しますと、
別所家は当主の権力が弱く、当主の叔父が出しゃばっているので、家中がまとまってないと、潜入している手の者からの報告です
それを踏まえると、小寺家が右府様の仰る、「最も当主が阿呆の家」と言って良いでしょう
実際に、毛利との戦の最中に佐久間様から調略されたのにも関わらず、織田家への加勢もせず、毛利への援軍にも動かない優柔不断な家でもあります」
そう説明し、それを聞いた信長は
「ふむ。その様な家ならば、残り十日以内に三家が臣従の挨拶に来ない場合は、小寺家を攻撃して、残りの二家を恫喝するとしよう」
残り10日を臣従の挨拶のタイムリミットと決め、来なければ、見せしめとして小寺家を攻撃して、残りの二家を恫喝する事を決めた。
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