来たのは産婆だけじゃなかった
天正二十年(1592年)五月十一日
武蔵国 鉢形城
「相模守様より、奥方様の出産までのお世話をする為、本日よりお役目に入らせていただきます」
「うむ。比左の年齢での懐妊は、医師でも初めて見たそうじゃ。一日たりとて油断出来ない日々じゃ。何とか安定期に入ったとの事じゃが
それでも、安心は出来ぬ!儂の様な戦しか知らぬ武士には、無事を祈る事しか出来ぬ。なので、各々方!比左とやや子の事、よろしくお頼み申す」
皆さんおはようございます。北条家の本家から、産婆達が鉢形城へ到着して、源三殿が産婆達に頭を下げている大広間に何故か、同席している柴田六三郎です
あの、この挨拶の場に最期まで俺が居る必要はあるのでしょうか?正直言って、挨拶をしたら仕事に行きたいのですが
それに、小田原城から来たのは産婆達だけでなく、北条家の若い兵達、およそ2000人が来ているのです
その事で、新太郎殿に質問すると
「実は、兄上から「若者達に、柴田殿の家臣の赤備え達の訓練をやらせて、身体を鍛えさせたい!」との事で、産婆達と共に派遣されて来たのじゃ」
との事でした。おいおいおい、北条氏政さん?俺に若い兵達の面倒を見ろと言う事ですか?一緒に訓練するのは構わないですが、食事はどうするのですか?
俺に作れと言うのであれば、食材を持って来て欲しいのですが
俺がそう考えていると、新太郎殿が
「柴田殿。それで、若者達が食べる飯についてじゃが、小田原城から同行して来た料理人に教えてもらいたいとの事じゃが、頼めますかな?」
「北条家の料理人に料理を教えてくれ」とリクエストして来ました。俺が作らなくて良いなら、それはとてもありがたいです。
まあ、俺の作る料理は基本的に大雑把な男の料理ですからね。有り得ないレベルの料理下手じゃないかぎり、誰でも覚えられる筈ですので
「分かりました。拙者の料理でよければ」
返答しておきましょう。それじゃあ、その若者と赤備えの合同訓練に行って来ましょう
で、全員が居る場所に来たのですが
「源太郎、何故、北条家から来た若武者達は大の字で転がっておるのじゃ?」
既に北条家から来た若者達が、倒れております。源太郎に理由を聞くと
「ええと、我々と同じ準備運動をしていたのですが、そのせいで、こうなりました」
「赤備えのウォーミングアップをやったら倒れました」と言われました。うん、そりゃそうなるわな
だって、赤備えの皆のウォーミングアップは、ラジオ体操をやったあとに、槍の素振りを2000回だもの
初めての人達は、倒れる程に疲れてしまうのも仕方ないか。しかも、殆どが元服前の10代に見えるし
そんな状況が、更に大変な事になる人が来たのですが、その人とは
「お主達!何故、倒れておる!柴田家の赤備えと言えば、日の本随一の軍勢なのじゃぞ!その軍勢と共に訓練出来る機会など
そうそうないのじゃ!早く立ち上がり、赤備えの方々と共に身体を鍛えて来い!」
「幻庵様、立つのも、やっとなのですが」
「たわけ!戦場でその様な泣き言が通じるわけが無かろう!早く立たぬか!」
名前を聞いて分かったと思いますが、北条家の長老、北条幻庵さんが、産婆を含めた派遣団の団長でして、
最初は氏政が「自分が団長として行く」と、リクエストしたそうですが、流石に北条家の最高権力者が動くのはよろしくないと判断した結果、
幻庵さんが団長に決まったそうです。そんな幻庵さんですが、年齢を聞いて驚きました。まさかの80代、細かく言うと83歳ですが、親父より10歳以上歳上で
親父みたいに筋骨隆々でもないのに、背筋はビシッと真っ直ぐだし、歩行も杖を使っているとは言え、年寄りじみた歩行じゃないんですよ!
いやあ、やっぱり戦国時代の中期ぐらいから生きてる人は、簡単に死なない感が出ております。そんな幻庵さんの檄が効いたのか、若者達は
「「う、うおおお」」
気合いを入れて、何とか立ち上がり、
「赤備えの皆様、訓練よろしくお願いします」
と、頭を下げて、合同訓練を再スタートした。それを見た幻庵さんは
「やれば出来るではないか!早く鍛えられて来い!」
再び檄を飛ばしつつ、褒めていた。赤備えの皆が訓練を再スタートでランニングから始めたので、若者達も辛そうな身体に鞭打って、ランニングを開始したので
俺と幻庵さんしか居ない状況なのですが、幻庵さんは
「柴田殿。改めて自己紹介しましょう。北条幻庵と申します。相模守様の祖父の弟で、立場的に叔父になる年寄り爺ですが、源三殿のお子が産まれるまでは、
この爺も、微力ながら協力させていただきます。どうぞよろしくお願いしますぞ」
俺に挨拶をして来ました。うん、色々と調べられている様な、見張られている様な、そんな感じですが、別に調べられて困る事は、特に無いので
「北条幻庵様ですな。柴田播磨守六三郎と申します。拙者も微力ながら、協力させていただきます」
挨拶を返しておきましたら、
「はっはっは。柴田殿は謙虚と言いますか、控えめと言いますか、自らの実績を誇らないのですな」
なんて言われました。ですが
「幻庵様。拙者はあくまで土台作りに注力しただけですから、土台の上の完成形を作り上げた方々が誇るべきだと思いますぞ」
俺は注目を浴びたくないので、俺以外の人が凄いとアピールしたら、幻庵さんは
「はっはっは!柴田殿、凡庸な人間は、その土台を作りたくとも作れぬのですぞ?それに、土台の上の完成形は、いわゆる「美味しいところ」ですからな
それだけを手にした者なぞ、忌み嫌われはすれど、誇りに思うなど、もっての外と、この年寄り爺は思いますがな」
俺の話を続ける。これは人生経験の差だな。仕方ない
「長く生きて、色々な人間を見て来た幻庵様が、そう言うのであれば、微々たる程度には嬉しく思いましょう」
「それが良いでしょう。それでは、我々も移動しましょう」
幻庵がそう言ってから、2人も移動したので、会話は一旦終了したが、幻庵は内心
(この若武者の胸の内、読み切れぬ!だが、功を誇りたくないと言う言葉は嘘偽りないかもしれぬな)
六三郎の胸の内を読もうとアンテナを張り巡らせていた。




