不死鳥がボロボロの理由は不死鳥らしさが溢れていた
小田さん達の為に簡単に飯を作ってやって、しばらく待っていたら
「はっ?こ、ここは?」
恐らく小田さん本人であろう人が最初に目覚めて、そこから、
「お、おい!起きんか!」
家臣らしき人を起こしていく。起きた家臣らしき人達も、
「と、殿!ここは?我々は確か、甲斐国を目指していた筈では」
「まさか、野党に捕まってしまったのでは?」
等、パニック状態でした。そんな皆さんを落ち着かせたのは
「各々方!此処は、各々方が目指していた甲斐国で、この場所は武田家の屋敷、そして、拙者が甲斐武田家当主の武田虎次郎じゃ!」
虎次郎くんの一声でした。虎次郎くんの一声で落ち着いたのか、小田さん達は
「と、殿!武田家に着いただけでなく、当主様直々にお会い出来た様ですぞ!」
「武田家の屋敷に、いつの間に到着したのじゃ?」
喜びつつも、何で?みたいな感じになっていたが、
グ〜!と
腹の虫が鳴って、ようやく
「とりあえず、少し遅い朝飯でも食べられよ」
虎次郎くんも、朝飯を食う様に小田さん達に言って、待機させる
少し経つと、俺が作った飯を女中の皆さんが運んでくる。その朝飯を食べ終えた小田さん達は
「とても美味い飯を食わせていただき、忝のうございます!」
改めて落ち着いた様だったので、虎次郎くんから
「さて、何処の何方かは知っておりますが、自己紹介していただいてもよろしいかな?」
小田さんに自己紹介を促すと、小田さんは
「はい。拙者、常陸国に小さいながらも領地を持っております小田左近氏治と申します。武田家の皆様、いきなりで申し訳ないのですが
こちらに織田家重臣の、柴田播磨守様がいらっしゃると聞いて、織田家への臣従の取り次ぎを申し出たいと思い、領地から来たのですが、柴田播磨守様はどちらにおられますか?」
虎次郎くん、五郎さん、典厩様に自己紹介をした後、俺の事を聞いて来た。黙っていても進まないし、自己紹介しますか。と、思ったら虎次郎くんが
「小田殿、柴田播磨守殿ならば、既にお会いしておりますぞ!こちらの方です」
俺を指し示す。俺を見た小田さんは
「あ、あなた様が柴田播磨守様ですか!改めまして、小田左近氏治と申します!」
俺に挨拶して来た。なので、俺も
「ご丁寧な挨拶、忝い。柴田従五位下播磨守にございます。小田殿。失礼ながら、倒れていた時に文の中身を見せてもらいました
拙者の口添えと共に、織田家当主の内府様と、そのお父上の右府様に臣従の申し出の旨を届けますが、ひとつ気になるのが、何故、皆様、格好がその様な状態なのか、教えていただけますかな?」
自己紹介をしつつ、何でボロボロなのかを聞いてみる。聞かれた小田さんは
「いやはや、お恥ずかしい話なのですが、甲斐国を目指して領地を出立したのですが、その道中で、野盗に襲われていた村がありましたので、領地ではないのですが、野盗を撃退しようと
突撃したら思いの外、野盗が強かったので、撃退した時には、この様な格好になっておりましたのです
見すぼらしい格好ではありますが、やはり、武士として生を受けた以上、弱き者を守る事は責務と思っておりますから
ですが、その事で腹が減って倒れるとは思ってなかったのですがな、はっはっは!」
道中の村が野党に襲われていたから、退治する為に戦ったら、ボロボロになりましたと、笑いながら教えてくれた
うん、史実のとおりの戦に弱いのに無茶をする人だと分かる理由ですね。でも、それを領地じゃない村で出来るのは、中々の度胸と言うか、何と言うか、
でも、そんな人だから、領民の皆さんに慕われて、城を奪われても、奪い返す不死鳥になったんだと納得です
「そう言う事でしたか、大変でしたな」
俺がそう言うと、小田さんは
「いやはや、播磨守様の様に見事な軍略の才があれば、野盗など一蹴出来ると思いますが、やはりそう簡単には行きませぬな」
と、笑い飛ばしていた。そんな小田さんに、虎次郎くんが
「小田殿。それ程の過酷な道中なのであれば、食糧を多めに持って行きなされ。今から作らせます。戦った家臣の方々が、空腹では、ここぞという時に戦えませぬぞ」
家臣の為に、食糧を多めに持って行け。と言って、今から作らせる。虎次郎くんがそう言っているという事は、小田さんが帰り道でも戦うと予想しているんだろうな
とりあえず、俺は安土城へ文を送る事を優先するか
こうして、小田氏治の文も安土城へ送る準備に取り掛かった
天正十八年(1590年)九月二十日
近江国 安土城
「殿!甲斐国の柴田様からの文でございます!」
六三郎が小田氏治の臣従の申し出を書いた文が、安土城へ届けられる。その知らせを聞いた信忠は
「また、臣従の申し出か?だとしたら、安房国の里見家、常陸国の佐竹家、陸奥国の伊達家、出羽国の最上家に続いて五家目じゃぞ?なんで六三郎の元には
人が集まるのじゃ?いくら六三郎が近場に居るとは言え、何とも不思議な話じゃな。どれ、此度は何処の家が臣従の申し出をして来たのか、見てみよう」
臣従の申し出か続いている事に、若干辟易していたが、それでも中身に目を通すと
「ふむ。常陸国で小さい領地を持っている小田左近とやらが臣従を申し出ておるが、佐竹家との領地の境界線で争う可能性があるのう
五郎左よ、もし佐竹と小田の境界線争いが起きた場合、誰が上手く収められると思う?」
文を読んだ後に、問題が起きた場合の事を長秀に質問する。長秀は
「殿。そうなったら織田家一門の誰かしらか、家臣の誰かしらで影響力の強い者を行かせるしかないかと」
「一門の誰かか、家臣の中で影響力のある人を行かせた方が良い」
と、伝えるが、それを聞いた信忠は
「五郎左よ、それは「六三郎に行かせたら良い」と同義じゃぞ?だが、それか一番良いか」
と、長秀に聞き、長秀も
「はい。六三郎殿ならば、織田家中での立場、家格、領地の大きさ、そして戦と内政の実績を鑑みるに
反論出来る人間は、ほぼ居ないでしょう。調子に乗るなどあり得ないと思いますが、調子に乗った場合は
権六に嗜めてもらえば良いでしょうし。殿や大殿が、他の一門の方に箔をつけてもらいたいと思わないかぎり、六三郎殿が適任かと」
六三郎が適任である理由を挙げる。理由を聞いた信忠は
「毛利との戦で西国で働きまくったと思えば、今度は東国で働きまくる可能性が出てくるとは。少しは休ませてやりたいが、六三郎程の働きを求めるのは酷か」
六三郎以外の人選も考えたが、やっぱり六三郎が筆頭候補である事に、申し訳なさを感じていた。




