新たな作物で作る特産品と武田家に激重な訳あり人が
天正十七年(1589年)九月十五日
甲斐国 某所
柴田家にて、浅井家の問題が解決してから数日後、そんな事を知る由も無い六三郎は、前年に植えていた農作物の収穫に来ていた
「殿。この葡萄とやら、見事な紫色ですな」
皆さんおはようございます。前年の早い段階で埋め立てていた場所に葡萄を植えていたので、今日、収穫に義弟おります柴田六三郎です
いやあ、前世の記憶で山梨県は、果物の栽培が盛んな記憶があると同時に、ワイン作りも盛んだった記憶もあったので、先ずは葡萄から。と言う事で、
簡易的ではありますが、葡萄園をつくって、領民の皆さんに雑草取り、堆肥撒き、葡萄の間引き等の、この時代で出来る栽培作業を埋め立て工事の合間に
やってもらっていたのですが、やっぱり皆さん、甲斐国が豊かになる為なら、頑張ってくれる様で、銀次郎が口にした様に、一面紫色の葡萄だらけになっております
これだけあれば、日本の歴史上最初の国産ワインが作れるのではと、期待が高まります。埋め立てた面積が375平方キロメートルですが、
そのうち20平方キロメートルくらいを試験的に葡萄畑にしております。それじゃあ、次の播種予定の場所に行きまして
「六三郎様!こちらには、何を植えるのですか?」
於義伊くんが質問して来ましたので、
「ここは桃を植える場所じゃ!桃をそうじゃなあ、それなりの間隔を取りながら植えて、千本は実がなる様に、その桃もただ食べるのではなく、色々な特産品に繋げたい!」
そう答えると、
「それならば、甲斐国でしか食べられない格別の美味い桃が作れたら、甲斐国に銭が落ちますな!」
於義伊くんは、「甲斐国でした食べられない」というプレミア感ある桃なんて提案をしてきた。うん、やっぱり於義伊くんは、色んな経験をしたからなんだろうな、目の付け所が違います
で、桃ばたけ予定地から進み、冬に植える予定の物の中で、冬用の小麦を合わせて1番ありがたいのがジャガイモです!納屋衆の皆さん、俺のリクエストを聞いてくれた様で、南蛮の物でも良いからと言う事で、
腹に溜まる物の種的な奴を持って来てくれました!さあ、これから色々と植えて、育てて、回収して、加工して、換金してのスタートじゃあ!
まだまだ甲斐国の復興の中盤に入ったばかりだが、六三郎の気持ちは盛り上がっていた
そんな六三郎に、更に気持ちが盛り上がる事が伝えられる
天正十七年(1589年)九月二十日
甲斐国 躑躅ヶ崎館
「雷花!誠か!?」
「はい。医師殿の見立てでは、およそ四ヶ月とのことです」
「何と喜ばしい事じゃ!雷花よ、無理をしてはならぬぞ?お主の身体を最優先に案じてくれ!」
「はい。六三郎様、ありがとうございます」
皆さんおはようございます。農作業に出発しようとしたら、雷花から妊娠四ヶ月である事を伝えられて、喜んでおります柴田六三郎です。いやあ、我が子が増えるのは嬉しいですねえ
それに、俺だけじゃなく源太郎の嫁の光と、源次郎の嫁の花も2人目を妊娠したと報告されました。やっぱり女性が身体を鍛えていたら、この時代でも30代での妊娠と出産も可能なんだなと実感しております
まあ、そんな中で信幸さんと新十郎くんは、五郎さんから
「婿殿達。儂としては嫡男と孫の歳が近くても、一向に構わんぞ?」
と、遠回しなプレッシャーを受けております。まあ、そこは頑張ってくれ!と祈る事しか出来ません
何か、こんなに短い期間で慶事が続くと、更に慶事が起きる気もしますが、とりあえず今は、農作業に行って来ましょう。しばらくは、農作業に専念出来そうだし、そんな日々も良いものですね
※六三郎の予想はすぐに外れます
天正十七年(1589年)十月一日
甲斐国 某所
「やっと、甲斐国へ入りましたね。これから、目的地まで人に聞いて行きますよ」
「「「はい」」」
六三郎達が農作業に勤しんでいる頃、甲斐国のとある場所を目指している4人組が居た。その4人組の代表らしき者が、領民に
「あの、すいません。つかぬ事をお聞きしたいのですが、武田家のお屋敷へは、どの様に行けばよろしいでしょうか?」
躑躅ヶ崎館への道を尋ねる。聞かれた領民が
「ああ、武田様の屋敷なら、この道を真っ直ぐ行って、突き当たりを左に曲がって、そのまま真っ直ぐ進んだところだよ」
分かりやすく教えると、
「ありがとうございます」
と、例を言って、躑躅ヶ崎館を目指し、教えてもらった道を進む。そして、遂に
「此処が武田家のお屋敷ですね。皆、しっかり挨拶するのですよ?」
「「「はい!」」」
躑躅ヶ崎館が見える距離になると、連れている3人に挨拶の確認をする。3人が元気良く返事をしたので
「それじゃあ、行きましょう」
代表格は3人を連れて、躑躅ヶ崎館の入口へ行き、門番の足軽へ
「あの、此方に典厩様と呼ばれております殿方は居りますでしょうか?」
と、質問する。足軽は不審がり
「その前に、貴殿達は典厩様に何用じゃ?答えよ!」
代表者に質問すると、代表者は
「はい。私は、典厩様の嫡男の次郎様の嫁の沙穂と申します。そして、この三人の幼子は次郎様と私の間の子にございます」
沙穂と名乗り、典厩の嫡男で行方知れずの次郎の嫁であり、連れている子供達は次郎との間の子だと伝える
それを聞いた足軽は
「ま、ま、誠とは、俄に、信じられぬ。し、しばし待たれよ!おい!誰ぞ、仁科様を連れて来てくれ!儂では対応出来ぬ!」
五郎に対応してもらおうと決断し、他の足軽に五郎を呼ぶ様に頼む。そして、やって来た五郎に事の次第を説明すると
「は、はあああ?ま、誠か?俄かには信じらかぬが、仕方ない!大広間へ来てくだされ!典厩殿に直接話してもらった方が早い!」
五郎は、沙穂と子供達を大広間へ連れて行く事に決めた。そして、丁度そのタイミングで六三郎達が帰ってくると五郎は
「六三郎殿!良き頃合で来てくださった!とある話し合いを今から行なうのじゃが、是非とも六三郎殿にも参加してもらいたい!よろしいか?」
と、六三郎にも参加を要請すると、六三郎は
「は、はあ。構いませぬが」
五郎の圧に負けて参加すると答える。この話し合いが激重になる事を、この時は誰も予想できなかった。




