信長は安土城へ戻るが信忠の決断は
天正十七年(1589年)二月一日
近江国 安土城
「勘九郎!皆!戻ったぞ!」
年も明けて二月になると、かなり急いだのか信長は、安土城に到着した。その様子に信忠は、
「父上。もう少し遅くなると思っておりましたが、随分と早いお戻りで」
「早く帰って来ましたね」と少しばかり驚いていた。そんな信忠に対して、信長は
「勘九郎!五郎左、松、そして帰蝶!よく聞いてくれ!甲斐国で慶事があった。それは、六三郎の正室の道乃と、五郎の正室の雪の懐妊が判明したのじゃ!」
道乃と雪の事を伝える。それを聞いて盛り上がったのは、
「義父上!誠ですか!誠に、五郎兄上と雪に、やや子が」
松姫だった。それこそ、
「う、うう。虎次郎が子を授かるまで、数年先だと思っていたから、その前に五郎兄上が子を授かるなんて」
大泣きする程だった。そして、帰蝶も
「六三郎と道乃が美濃国で出会って、今年で十九年。とうとう、やや子が」
昔を思い出しながら、泣いていた。その状況を見て信長は、
「勘九郎よ。帰蝶と松が涙を流す程の慶事じゃ。それは、お主も分かっているであろう?そこでじゃ!まだまだ甲斐国での役目も多い六三郎と五郎は、道乃と雪の側に居てやれる時間があまり無い!
それこそ、虎次郎が気を使って二人の役目に就く時間を減らしてもじゃ!だが、甲斐国の復興は達成しないといかん!そこでじゃ!産婆達を甲斐国へ送り届けてやりたい!そして、勘九郎が了承したのであれば、
儂が六三郎の代わりに、甲斐国の復興の陣頭指揮を取りたい!勘九郎、良いか?」
本来の目的を信忠に伝える。しかし、信忠から
「父上。六三郎と五郎の子が生まれるかもしれない現状は、拙者も喜ばしいかぎりです。ですが、もうひとつ、喜ばしい報告がありました。三七からですが、
正室の菫が、やや子を授かったそうです。前年の霜月に、現在三ヶ月であると文が届きました」
信孝の正室で、雪の姉の菫が子を授かった報告を受けたと伝える。報告された信長は
「ま、誠か!霜月の時点で三ヶ月となると、今月で半年になるか!うむ!新しい命か数多く生まれる事は、良い事じゃ!」
と、盛り上がっていたが、信忠から
「父上。どうせ六三郎か、誰かしらが、父上が甲斐国へ戻れない場合の事を提案しているのでしょう?なので、父上を甲斐国へ戻す事は出来ませぬ」
キッパリと、そう言い切られる。信長は、
「やはり駄目か。仕方ない。実はな、儂と共に甲斐国へ行った勝三郎から、甲斐国に一番近い領地を持つ者は、
勝蔵だから、勝蔵を儂の代わりとして、甲斐国へ行かせる提案をしておったが、やはり、その方が良いが」
恒興からの提案を話す、内容を聞いた信忠は、
「それが良いでしょうな。拙者も六三郎の事は幼い頃から知っておりますし、五郎殿は松の兄ですから、嫁達が安心して、出産出来る様にしてやりたいのは当然ですが、
周りの事も見ないといけません。更には父上にも。まだまだ健在であってもらわねざなりませぬ。なので、父上」
信長に対して、「別の者を行かせるから、諦めろ」と諭し、
「分かった、此度は、勘九郎の言う事を聞こう」
信長も納得した。だが、信忠も
「道乃と雪の出産予定時期がズレているので、産婆達をそのまま甲斐国へ置いておけば、大丈夫でしょう
とりあえず、京の警護の役目に就いている勝蔵を一度、安土城へ呼び寄せて、状況説明をしてから、甲斐国へ産婆達を連れて行かせて、
勝蔵の役目を佐久間摂津に引き継がせて、それから」
これからのやる事を順序立てて、考えていると信長から
「勘九郎!六三郎と道乃の懐妊じゃ!権六と市と利兵衛に伝えるのを、絶対に忘れてはならぬぞ!」
勝家と市と利兵衛に伝える事を絶対忘れるな。と、言われて
「そうでしたな。政の事ばかり考えておりました。三人には、直ぐに伝える文を送りましょう。書く準備をしておいてくれ!」
「ははっ!」
側の小姓に文を書く準備をする様、命令する。その様子を見た信長は、
「勘九郎よ。産婆達にも文を持たせておけ。それこそ、「柴田家や羽柴家で実施しておった安産祈願の部屋を作る事を忘れるな」と書いた文をな」
「安産祈願を忘れるな」と、六三郎と盛信へ釘を刺す言葉を伝える様、忠告すると
「ははっ!」
信忠は返事をして、報告は終わった
数日後
天正十七年(1589年)二月二十日
近江国 安土城
「殿、大殿。佐久間殿に京の警護の役目を引き継いで来ました。これから、拙者はどの様な役目に就くのでしょうか?」
信長の帰還から、二十日程経過した頃、長可は京の警護役を終えて安土城へ到着していた
信忠は、長可に信長の代わりに甲斐国へ行く様に伝えるだけだったのだが、
「玄蕃よ。儂は勝蔵のみを呼んだのじゃが、何故、お主まで来ておるのじゃ?」
何故か、六三郎の親戚である佐久間盛政が、長可に着いて来ていた。指摘された盛政は
「ははっ。先触れも出さずに来てしまい、申し訳ありませぬ!ですが、権六叔父上から、六三郎が子を授かったと教えていただきましたが、
祝いの品を出せる程、拙者の領地は余裕がありませぬ!なので、何かしらのお役目をいただきたいと思い、来た次第にございます!勝蔵と同じ頃合になったのは、偶然です」
勝家に六三郎の事を教えてもらったが、祝いの品を送る為の仕事が欲しい!と直訴しに来たと、正直に話す
それを聞いた信忠は、
「ううむ。そう言う事ならば、何とかしてやりたいが、今のところ出陣の予定も無いし、何かしらの役目を任せようにも」
何とかしてやりたいが、今のところ仕事は無いとこぼす。すると信長が
「勘九郎よ。そう言う事ならば、玄蕃も勝蔵と共に甲斐国へ行かせて、埋め立てに参加させたら良いではないか。人数が多ければ多い程、埋め立ても早くなるじゃろうし、
六三郎も道乃の側に居てやれる時間も増える。何より、玄蕃が働く事で、六三郎への祝いの品代わりにもなるじゃろう」
祝いの品が無いなら、埋め立て工事に参加して、それを祝いの品代わりにしたら良いじゃないか。と伝えると、信忠は
「そうしますか。玄蕃、父上が今しがた言っていたが、勝蔵と共に甲斐国へ行き、役目に就いて来て、六三郎への祝いの品代わりにしてもらえ
そして、勝蔵よ。聞いたじゃろうが、六三郎が子を授かった。出産予定時期は、およそ四ヶ月後くらいじゃ
更には、武田家当主、虎次郎の傅役のひとりである仁科五郎殿も子を授かった。二人の嫁の出産の為に、
産婆達を甲斐国へ連れて行き、その後、甲斐国の復興の役目に就いて、働いてもらうが、良いな?」
長可と盛政に事情説明を行ない、2人は
「六三郎に子が出来たのですか!こらは、盛大に祝ってやらないと!」
「六三郎の負担を少しくらいは、減らせる様、頑張ってきます」
と、テンションが上がって、甲斐国へ行く事に気合いを漲らせていた。後々、2人の存在が、土木工事以外で、とても役に立ち、六三郎を助ける事になる。