募集最終日に来たのは
天正十六年(1588年)七月三十日
山城国 京都奉行所
「ううむ。前日までに高札を見て、採用された参加希望者の合計は、やっと百人か。最初の頃より増えたとはいえ、やはり少ない!村井よ、高札は他の場所にも、間違いなく立てたのじゃな?」
信長は、松永兄妹を採用してからも人員募集を続けていたが、思った以上に人が集まらない現状に、怒りを通り越して、諦めの気持ちが出ていた。それでも、完全に諦めきれないので、村井に高札の事を聞くと、
「はい。それこそ、堺にも立てて、そこから河内国、摂津国、和泉国の人気の多い場所にも立てて来ました。納屋衆の方々も、知っております」
村井は、高札を立てた場所を増やしたと伝えるが、
「それで、百人とは。洛中どころか、畿内全体で立身出世を狙う地侍や、一旗上げようと決意する若者は、もはや居ないという事か。これも時代なのかのう」
信長は、それでも尚、この現状である事に
「もう、この百人で募集を終えるか。二郎三郎の集めた人材も多くない可能性もあるとなると、六三郎達に頑張ってもらうしかないか
村井よ、奉行所を閉めて、甲斐国へ行かせる面々に通達の準備に取り掛かるぞ」
募集を終わりにする事を決めた。時間も遅かったので、奉行所を閉めようとした、丁度その時、
「「お待ちくだされ!!」」
大声を出しながら、猛ダッシュで奉行所に走ってくる若い男2人と、その後ろから追いかける様に走ってくる10人以上の団体が見えるている
その状況を、家臣から聞いた村井は、信長へ伝えると
「こうなれば、働ける身体であれば誰でも良い!!そ奴らで募集を最期とする!全員連れてまいれ!」
信長はヤケクソ気味に、最期の面談を行なうと決めた。そんな展開になった事を知らされた、件の者達は
信長と村井の前に集められ、平伏しようとしたら信長が面談を即座に開始する
「前置きは要らぬ!お主達は、高札を見て働きたいと希望しておるのじゃな?」
「「はい!」」
「では、次の質問じゃ。お主達は身内か?」
「「いえ!」」
「そうか。ならば、お主達の後ろにそれぞれ控えておる者達は家臣、若しくは一族郎党か?」
「「はい!その通りです」
「お主達全員、甲斐国で働きたい。それは間違いないな?」
「「ははっ!」」
「うむ。それでは、お主達の名を聞いておきたい。儂から見て右側に座っておる、お主、名を何と申す?」
「ははっ!拙者の名は、新田小太郎義勝と申します。後ろに控えるは、弟の新田小次郎義助を始めとした、一族郎党にございます!」
義勝の名前を聞いた信長の顔色が変わる。しかし、面談を続行して、
「新田家の者達じゃな。分かった。では、隣のお主、名を何と申す?」
「ははっ!拙者の名は、楠木左衛門尉正勝と申します。後ろに控えるは、弟の楠木七郎正則を始めとした、一族郎党にございます」
正勝の名乗りを聞いて信長はとうとう我慢出来ずに、質問する
「新田小太郎と楠木左衛門尉よ、お主達の先祖は、南北朝の時代に、その名を轟かせた新田義貞公と楠木正成公で間違いないな?」
「はい!御明察のとおり、拙者、そして一族郎党の先祖は、南北朝の時代に、猛将として恐れられた新田義貞公です」
「はい!拙者、そして一族郎党の先祖は、隣の新田殿の先祖を助ける為に、負ける事が分かっていても、戦に臨んだ楠木正成公です」
2人は信長の予想どおり、南朝の為に戦い続けた名将、新田義貞と楠木正成の子孫だった。更には、一族郎党を率いる立場でもある。しかし、正勝のトゲのある言葉に義勝が
「待たれよ楠木殿!ご先祖様の事を言うのであれば、義貞公ではなく、当時の南朝の公家達が、正成公の意見を否定したからであろう!義貞公のせいにするのはやめてもらいたい!」
「お前の先祖が死んだのを俺の先祖のせいにするな」と反論するが、正勝は
「新田殿、正成公が討ち死にした湊川の戦では、義貞公の軍勢が多かったのにも関わらず、正成公の軍勢を一切助けようとしなかったと聞いておるぞ!
それでも正成公は、義貞公が生きていた方が南朝の為になると決断したからこそ、間違いなく負ける戦に臨んだのじゃ!それを!」
「お前の先祖は俺の先祖より多くの軍勢を率いていたのに、俺の先祖を一切助けようとしなかっただろ!」
と反論する。このままだと言い争いが終わらないどころか、刃傷沙汰になる空気を感じた信長は
「いい加減にせんか!!」
2人を諌める為、大声で一喝する。信長の声を聞いた義勝と正勝は
「「申し訳ありませぬ!」」
信長に向き直り、平伏する。後ろの一族郎党も同じく平伏する。やっと落ち着いた空気になった事で信長は
「お主達が先祖の事で思うところがあるのは、仕方ないとしても、それを抑えんか!そもそも、お主達は高札の募集を見て来たのであろう!
それならば、己の気持ちを抑えて一族郎党を養う事に集中せんか!!」
2人に一族の長の心得を分かりやすく伝える。それを聞いた2人は
「「申し訳ありませぬ」」
改めて、信長に平伏する。そんな2人に信長は
「お主達、歳は十五、十六くらいで、元服したてじゃろう?血気に逸るのも分かるが、それでは先祖が命をかけて繋いだ、血脈を次の世代に繋ぐ為にも、その様な体たらくではいかぬ!」
と、お説教をした上で、
「まあ、甲斐国での仕事を終えた後、陣頭指揮を取っている若武者と共に出陣する可能性もあるのじゃ。その時にでも、その若武者の戦を見てみよ
それこそ、お主達それぞれの先祖、見事な策を使う正成公の様な軍略と、義貞公の様な猛攻を自らの軍勢で行なうと言っても過言ではない、そんな若き名将じゃ!」
2人に、「お前達の先祖の良い所を、1人で持っている奴が居る」と説明すると、2人から
「「そのお方のお名前を教えていただきたく」」
「そいつの名前を教えてくれ」と言われたので、信長は
「そ奴の名は、柴田六三郎と言う。織田家の家臣で、甲斐国の復興の陣頭指揮を取っておる。そ奴の近くに居たら、戦でも内政でも、常識外れな事が起きる!
だからこそ、小太郎と左衛門尉よ。思う所はあれども、先ずは甲斐国で働いて来い!良いな?」
「「ははっ!」」
2人を無理矢理納得させた。しかし、狙ったわけではないが、六三郎の武将としての格のハードルをとても高く上げていた。