松永兄妹を迎えた信長と動き出す家臣達
松永兄妹の採用を決めた信長は、3人の路銀が尽きそうと言う事もあり、奉行所内での寝泊まりを許した。勿論、何かしらの働きをする事を条件として提示して、3人共、条件を了承した
家臣に命令して、3人を奉行所の中に案内させると信長は、村井と少し与太話をする
「のう、村井よ。六三郎は覚えてないのかもしれぬが、公方に対して「阿呆」と言い切るとは、改めて六三郎の肝が太い事を実感するのう」
「大殿、六三郎殿は幼い頃から、大殿や徳川様と膝を突き合わせて話し合ったり、交渉をしておりましたから、公方の様な小者は、誠に阿呆と思ったのかもしれませぬな」
「はっはっは!儂と二郎三郎が、六三郎の肝を太くしたと申すか。それも少しはあるのかもしれぬが、やはり六三郎の肝が太くなったのは、権六が六三郎を甘やかさなかった事じゃろう」
「権六殿ですか。ですが大殿、権六殿は親らしい事を殆どやれてない。と言っていたと思うのですが」
「だからこそ。じゃ。村井よ、親が我が子に付きっきりであったら、我が子可愛さに甘やかしてしまう。
それは、自ら考え、挑戦する能力を奪ってしまうのではないかと、儂は思う。だからこそ、権六がやった子育ては、本人の意図せぬ所で、良い子育てになっておるのじゃろう」
「そう言われてみれば、確かに」
「まあ、権六は否定するじゃろうがな。与太話もこれくらいにして、明日以降の希望者に備えるとしよう」
「ははっ!」
こうして、信長も訳あり者を引き寄せる様になった。
一方その頃、信忠から移動準備の文が届いた各家の反応は
天正十六年齢(1588年)八月一日
越前国 柴田家屋敷
「大殿!左中将様からの文が届きました」
「うむ。見てみよう」
そう言いながら、勝家は文を受け取り、目を通すと
「そろそろ移動準備に取り掛かれ。との事じゃな。明智家との兼ね合いもあるから、荷物と帳簿をまとめておいてくれ!」
「「「ははっ!」」」
天正十六年(1588年)八月二十日
能登国 前田家屋敷
「お前様!安土城からの文ですよ!」
「おお!そろそろ移動の話か!見せてくれ!」
利家は文を受け取り
「ふむ。儂達は、慶次郎の屋敷に行って、そこから、親父殿の家臣達の移動を手伝いながら、寝泊まりする為の城か屋敷に入るとするか」
天正十六年(1588年)九月十日
越後国 某所
「日向守様!左中将様からの文でございます」
「左中将様からとなると、そろそろ新たな領地への移動かもしれぬな。どれ」
光秀は文を受け取り、
「やはりか。そして、そろそろ越後守殿が茶々様を連れて戻って来るとある。予定通りなら、神無月か。ならば、あとは帳簿をまとめて、上杉家に引き継ぎの準備をして、倅に屋敷内をまとめる事と、
勝蔵殿へ帳簿を引き継げる様にまとめておけと、文を書いておこう。準備しておいてくれ」
「ははっ!」
「これで、やっと凞子や母上の顔を見る事が出来るか。そう言えば、佐々殿の前の嫁との間の娘を、十兵衛の嫁に推挙されておったな。働き過ぎで忘れておった、佐々殿にも文を送っておかねば」
改めて、大きな一仕事を終えた達成感と、嫡男の光慶の正室を決める佐々家との話し合いに動き出していた
天正十六年(1588年)十月十日
越後国 某所
「明智殿!越後国の復興を請け負っていただいた事、誠に、誠に!感謝の念でいっぱいです」
「明智様。六三郎兄上が無茶をしたせいで、荒れ果てた越後国の復興、私からもありがとうございます!」
「はっはっは。越後守殿、それに茶々様。戦が無い状況だったのですし、寒さ以外に辛いものは無かったのですから、じっくり確実に復興に着手出来ましたぞ
そして、これが、復興に着手しはじめた頃から、現在までの税収の推移を書き残した帳簿ですので、落ち着いた時で良いので、確認をお願いしますぞ」
「何から何まで、誠にありがとうございます」
「なに、気になさらずに。そう言えば、越後守殿。六三郎殿と共に、毛利との戦に出陣したそうですな?何か、新たな発見はありましたか?」
「そうですなあ、六三郎殿の戦における基本的な考えは、拙者の様な平凡な武将とは違う。と思わざるを得ない状況になりましたな」
「どの様な状況になったのか、教えていただいてもよろしいですかな?」
「ええ。六三郎殿は、進軍先の国に毛利の軍勢が居ない事を確認する為、与力として参戦していた尼子家の家臣を総動員させて、三つの国に毛利の軍勢が居ない事の確認を二日で終わらせたのです」
景勝の話を聞いた光秀は、
「三つの国を二日で!六三郎殿も、中々に人使いが厳しくなりましたな」
苦笑いしていたが、景勝は続けて
「明智殿。それは序の口で、六三郎殿の無茶ではあるが、理にかなった策として、三つの国を調べあげた六三郎殿は、百里もの距離を十日で走り抜くという、
前代未聞の策を実行したのです。しかも、その策を完璧に遂行する為に、尼子家の家臣や、周囲の領民達を使い、五里ごとに飯を準備させ、夜中に走る為の松明も準備させたのです
これもひとえに、本番の戦に一人でも多くの戦力を無傷の状態で、戦場に立たせる為と考えると、毛利との戦で、羽柴殿の軍勢、長宗我部殿の軍勢と共に戦い、
その結果、毛利の死者は一万二千になりました。我々の死傷者が二百以下である事を鑑みると、
六三郎殿は、敵を多く討ち取る為には、味方に無茶をさせて、形に拘らない。という、常識を外れたお人。と言っても過言ではないですな」
中国超大返しの事も話す。すると、光秀から
「越後守殿。嬉しそうなお顔で話しておりますが、それ程の衝撃だったのですな」
そう言われて、
「ええ。拙者の義兄にあたる六三郎殿の話は、聞いて体感したら、笑ってしまいます」
笑顔で返し、光秀も
「拙者も同じく。六三郎殿ならば、何かとてつもない事をしてくれるのでは?と期待してしまいますからな」
笑顔で返す。こうして、越後国の諸々の引き継ぎは終わり、光秀は久しぶりの美濃国の屋敷に帰る事が出来た。




