佐久間さんのリアクションと微妙にズレた動きの北条家
2人の元に、やっと信盛が登場する。信盛の顔を見た信忠は
「佐久間摂津よ、良く来てくれた。実は、お主に見てもらいたい、いや、お主は絶対に見ないといけない文が届いたぞ!儂も父上も先に読ませてもらったが、
儂と父上としては、大変喜ばしく、そして大笑いさせてもらった!ですな、父上」
呼び寄せた理由を簡単に説明し、信長にバトンタッチする。バトンを受けた信長は
「半介。先に言っておくが、文の内容はお主が間違いなく驚く内容じゃ。心の準備が出来たのであれば、お主に渡すが、どうする?儂が読み上げた方が良いか?」
「読み上げようか?それとも自分で読むか?」と聞く。聞かれた信盛は
「心の準備が出来そうにないので、大殿、失礼ながら読み上げていただきたく」
「読み上げて欲しい」と頼むと、信長は
「良かろう!」
と、承諾し、
「それでは、読み上げるぞ。「殿と大殿へ、甲斐国の進捗状況の報告の為、文を送りました柴田六三郎です。この文を書いた日から、甲斐国の中央を埋め立てる土木作業を開始しましたが、甲斐国の土だけでは、
埋め立ては不可能かと思われます。その理由として、甲斐国のあらゆる場所から土を持ち出したら、山崩れが起きる可能性が高いので、柴田家の領地からは勿論ですが、織田家の領地からも土の提供を求めるかもしれません
ですが、甲斐国の土地改善が終わらないと、甲斐国で銭の種になる物をを作る事も不可能なので、どうか、よろしくお願いします!」ここ迄が、甲斐国の進捗状況を報告する文じゃ。
まあ、ここ迄であれば半介を呼ばぬ。ここからが半介を呼んだ内容じゃ。良く聞け。「それと、大殿が拙者の過信に言っておりました、仁科様と雪の婚姻の壁になるかもしれない、仁科様の娘達の件ですが、
歳頃の娘二人に関しては、何とか拙者の家臣と、他の者で嫁に迎える事になりました。先ず最初に、長女の方は、真田喜兵衛の嫡男の源三郎が気に入られ、
そのま夫婦になりました。そして、次女の方ですが、佐久間様の三男の新十郎殿が気に入られ、そのま夫婦になりました。新十郎殿はあまりの展開の早さに驚いておりましたので、拙者が代わりに報告させていただきます
この事を佐久間様に、お伝えくださる様、お願いします。ちなみにですが仁科様の娘達、流石、あの武田信玄の孫娘だけあって、男だったら一廉の武将になれただろうな。と思える気迫を感じました。
これより先も、進捗状況を報告する文を送りますが、此度はここ迄とさせていただきます」との事じゃが、半介よ、やはり驚いておるな?」
読み終えた信長は、信盛の方を見ると、口が開いたままになっていた。そんな信盛に対して
パンッ!
と、目の前で柏手を叩くと、信盛はに戻り
「あの、大殿、殿。これは現実なのですか?元服して間もない新十郎が、嫁を迎えるだけでも驚きなのに、その嫁が、あの武田信玄の孫娘とは。しかも、嫡男の甚九郎もまだ嫁を迎えてないのですが」
「これは夢じゃないのか?」と質問するが、
「摂津よ、六三郎は基本的に起きた事と相談したい事しか、文に書かぬ。だから、これは夢ではないぞ」
信忠から、「現実だから受け入れろ」と言われると、
「そ、そうですな。六三郎殿が人を驚かせるのは戦の時だけですし、やはり夢では無いのですな」
信盛は、やっと現実である事を受け入れる余裕が出て来た。そんな信盛に対して信長は
「半介。新十郎が嫁を迎えた事を、甚九郎に伝えてみよ。嫉妬するのであれば、器の小ささが露見して、家臣達が「新十郎に家督を」と推挙するかもしれぬぞ?」
この事を甚九郎に伝えて、反応次第では家臣達も新十郎を嫡男として押すかもしれない。と伝える。それを聞いた信盛は
「それは、確かに否定出来ませぬ。一度、領地に帰って、甚九郎に伝えてみます。それでは失礼します」
そう言って、大広間を出て行った。残った信長と信忠は
「勘九郎、甚九郎はどの様な反応をすると予想する?」
「勘九郎は、嫉妬はしないでしょうが、新十郎と同じ立場になる為、嫁を迎える事を頑張るでしょうな、それが上手く行くかは分かりませぬが」
「ほう。器の小ささを見せぬと」
「はい。なので、まだまだ佐久間家の家督争いは続くでしょう」
「そうか。ならば、推移を見守るとするか」
佐久間家の家督争いの成り行きを気にする様子だったが、実際は楽しんでいた。
そんな織田家とは対照的に、六三郎達はと言うと
天正十六年(1588年)六月五日
甲斐国 某所
「よーし!今日はここまでじゃあ!皆、明日に備えて休んでくれ!」
「「「「ははっ!」」」」
皆さんこんばんは。今日の甲府盆地の埋め立て工事を終了しました柴田六三郎です。弥生の後半くらいから工事を開始して、2ヶ月少々、日数にして70日程ですが、
最初は俺達武士だけで作業をしていて、1ヶ月でおよそ、18平方キロメートルくらいの面積を埋め立てていたのですが、近くに住む男性の「やす」さんと女性の「きた」さんと言う、夫婦が手伝ってくれた事をきっかけに、
周辺の領民の皆さんも手伝ってくれまして、2ヶ月目ではおよそ、41平方キロメートルを埋め立てられました。本当、有り難い事、この上無いです。土木工事用の重機が無い時代では、人力しか頼りになりませんからね
それじゃあ、明日に備えて休みます
六三郎が埋め立て工事の進みに満足して、休んでいる頃、
天正十六年(1588年)六月八日
相模国 小田原城
「大殿、殿。甲斐国に潜入させております、「きた」と「やす」の二人のうち、「やす」からの報告です」
「ほう。潜入させて、一ヶ月半ほどになるが、どの様な事が書いてあるのか、楽しみじゃな」
「きた」と「やす」が北条家の手の者だった様で、氏政は、その報告の文を見る
「どれ。「殿ならびに大殿へ。甲斐国へ潜入して、これまで武田の者や、他家の武士達がやっている事ですが、甲斐国の中央に広がる盆地を埋め立てているだけです。埋め立てている理由を、それとなく聞いてみたところ、
「米以外の食糧となる物、畿内で銭になる物を作る為に、埋め立てている」と言っております。今のところですが、城や砦を作る様子は見られませぬ。引き続き、埋め立てに参加しながら、
状況をご報告させていただきます」と、あるが、幻庵翁、これは、まだ武田や協力している者達も隠しているかもしれぬ。と、見てよいかのう?」
読み終えた氏政は、幻庵に質問すると
「これは、埋め立てが終わってからの確認になるかもしれませぬな。早く終わらせる為に、更に人数を増やしましょう」
まさかの予想外の答えの、埋め立て工事を早く終わらせる為に、増員をしてくれる事になった。