備前国で動き出す者達
天正十五年(1587年)六月十日
安芸国 吉田郡山城
「それでは、これを割譲する国の者達へ全て渡してくれ」
「ははっ!」
場面は信長達が堺の納屋衆と交渉する半年前に戻る。織田家から領地割譲と、秀吉が備中国へ移動する事の準備に際し、これまでの領地だったそれぞれの国の者達へ文を届ける様、家臣達へ命令する輝元の姿があった
輝元が書いた文の内容は、
「織田家との戦に敗れた結果、領地が安芸国と周防国の二ヶ国になった。その事で、件の二ヶ国以外が領地の者で、
土地を離れたくない者は、新たな領主となる羽柴家、又は柴田家に仕えるか、帰農するかを選ぶ様に
そして、領地を減らされても、毛利家に仕えたいと思う者が居るのであれば、安芸国か周防国へ移動するか、現在の土地を出て別の土地で地侍をやるか。毛利家の主家となった織田家より、霜月には羽柴家が備中国に移動するとの事なので、
遅くとも、神無月のうちに自らの身の振り方を決断してくれ」
と、「新たな領主に仕えて今の土地に残るか」、「新たな領主に仕えたくないなら武士を辞めて百姓になるか」、「毛利家に仕え続ける為に今の土地を離れるか」、「別の土地で地侍をやるか」の4択を迫る内容だった
その文は、早い段階で各地に到着し、その土地の者達はそれぞれの決断をどうすべきか、頭を悩ませていた
そんな中で、備前国で動きがあった
天正十五年(1587年)七月一日
備前国 某所
「殿!毛利家からの文でございます!」
「毛利家からじゃと!?これは、重要な内容の気がする。叔父上達を呼んで来てくれ!」
「ははっ!」
家臣により連れて来られた叔父達は、開口一番
「八郎!毛利からの文とは誠か?」
「どの様な内容じゃ?」
内容を聞いてくる。しかし、八郎と呼ばれた甥でもある若き主君は、
「まだ見ておりませぬ。叔父上達が来てからにしようと思っておりましたので」
と、穏やかな口調で話す。その口調に叔父達は、
「八郎。お主の父でもある亡き兄上に瓜二つな顔で、その様に話されたら、調子が狂うぞ」
「全くじゃ。八郎よ、我々の兄であり、お主の父でもある宇喜多和泉守八郎は、常に緊張感を漂わせていたのじゃぞ?お主ももう少し」
「申し訳ありませぬ。与六郎叔父上、七郎兵衛叔父上」
叔父2人に頭を下げた若武者の名は、宇喜多八郎。史実の宇喜多秀家であるが、史実と違い、秀吉が備前国を進む事が無かった為、現在まで接見していない
その為、今年で数えで16歳と、元服していてもおかしくない年齢なのに、秀吉の「秀」の字をもらっていないので、元服前なので呼び名は八郎のままである
そして、そんな八郎の叔父2人、与六郎と呼ばれたのは、宇喜多与六郎春家、七郎兵衛と呼ばれたのは宇喜多七郎兵衛忠家であり、
2人共、後世において一部で謀聖と呼ばれたり、毒殺王と呼ばれている宇喜多直家の弟である
八郎の父の直家が、6年前に亡くなったので、元服して嫁を貰うまでは後見人として、八郎を支えている
そんな2人の叔父に八郎は
「叔父上達、ご指摘は後程お聞きします。毛利家からの文を、これから読みますので、意見を申してくだされ」
叔父達を嗜める。そして、叔父達も
「分かった」
「申してみよ」
納得した。そこから八郎は、文を読み出す
「ありがたき。では」
文の内容を聞き終えた叔父達は、
「成程、選択肢は四つか」
「この土地に残る為、新たな主君に仕えるか、武士を辞めて百姓になるか、若しくは毛利家に仕え続ける為に、安芸国か周防国へ移動する、又は別の土地で武士を続けるかだが、罰の土地へ行く事も、
武士を辞めて百姓になる事はありえぬ。だから、実質的に選択肢は二つじゃ!八郎、お主の考えはどうなのじゃ?」
自分達の考えは武士を続ける為の2つに1つであると、伝える。それを聞いた八郎は
「与六郎叔父上、七郎兵衛叔父上。拙者の考えとしては、亡き父上が命懸けで手に入れようとした備前国を離れる気はありませぬ。なので、文の中にあります
近々、備中国に入る予定の羽柴様に仕えて、備前国の領地と領民を守って行きたい所存です!」
明確に自分の考えを伝える。八郎の考えを聞いた叔父達は
「それが八郎の考えなのじゃな。分かった!」
「毛利家に羽柴家は仕える事を書いた文を届けよう!」
八郎の考えを実行する様、伝えると
「叔父上達。申し訳ない」
八郎は感謝を述べる。そんな中で、八郎の母で、直家の継室でもある「ふく」が口を開くと、
「与六郎殿、七郎兵衛殿。そして八郎。その羽柴様に仕える事に、今のところ私は反対しませんが、もし、宇喜多家を軽んじる様なお人、それこそ、兵力の少ない宇喜多家を前線に行かせる様なお人であれば、
私は羽柴様に仕える事は反対です!それに、その羽柴様の年齢が私より上だった場合、娘の蓉を嫁に。などと、実質的な人質にされようものなら」
秀吉の為人を知らないが為の不安を口にする。母の不安に八郎は、
「母上。確かに、いくらかの不安はあります。なので、拙者としましては、毛利家からの文には書いてありませんが、旧毛利家領地を羽柴様と共に分け合う家に、蓉を嫁入りさせるなり、
将来的に、良い殿方へ嫁ぐ為の嫁入り修行をさせる為の名目として、保護をお願いしてもよろしいと思いますが、それこそ蓉は十三歳ですから、間違いなく分別もつくでしょう
なので、先ずは羽柴様一行が来てから!と言う事にしませぬか?」
羽柴家以外とも関係を持とう。と提案し、母の「ふく」を説得する。八郎の言葉に「ふく」は
「分かりました。八郎、あなたのやりたい様にやってみなさい。与六郎殿、七郎兵衛殿。八郎と蓉の事、よろしくお願いします」
叔父達に頼み込み、叔父達も
「「ははっ!」」
了承する。こうして、備前国に領地を持つ宇喜多家当主の八郎は、羽柴家に仕える事を軸としつつ、柴田家とも関係を持とうとするという、
少しばかり、父の直家に近い策略を実行する事を決断した。