爆破から始まる治水を実行したら
天正十五年(1587年)六月二十日
甲斐国 某所
「仁科様。やはり、川幅も統一しないといかぬ様ですな」
「ううむ。父上がやっていた治水を、またやらないといけない事になるとは」
皆さんおはようございます。虎次郎くんの傅役の五郎さんと共に、コンクリート製ハーフパイプ製作の現場に来ております柴田六三郎です
いやあ、河川の改善から始まった、甲斐国復興計画なんですが、俺が毛利征伐に出陣していた去年の間に、信濃国との境の周辺地域、
方角にして西北西くらいのエリアにはコンクリート製ハーフパイプを設置し終えていたので、そこから、少しずつ東よりに進んで、
現在、北上したら越後国へ行ける信濃国との境の地域に来ているのですが、驚きましたよ。既に、この地域で流れる水の量が少ないんです
西側は越後国目線で言うと信濃川、信濃国目線で言うと千曲川が近い事もあって、水の量は問題無かったのですが、東側に寄れば寄る程、本当に最低限の量しか水が流れておりません
これは、三河国でもやった、川岸を簡易ダイナマイトで爆破させてから川幅を広げて、そこから水車を作って、水が各村に行き渡る様にするやり方を、甲斐国全域でやらないと駄目だろうなあ
仕方ない、俺が早く帰って当主の仕事をやる為だ。俺がそう考えていたら、
「殿。この水の量の少なさは、やはり川幅が狭い事も理由のひとつでしょうか?それならは、三河国で使った方法で、川幅を広く出来ませぬか?」
俺の護衛役を数多く勝ち取って、色んな国を見て来た源次郎が提案して来た。一応、聞いてみるか
「源次郎。何故、そう思う?」
「殿の護衛役として、同行させていただきました三河国の川と状況が同じ、いえ、三河国以上に酷いので、同じ方法でも、どうにかなるかと思いましたので」
覚えてくれていたとは!嬉しいぞ源次郎!
「流石、儂の護衛役を多く勝ち取って、諸国を見て来た事はあるのう。三河国では松平家の協力もあり、何とかなったが。甲斐国では武田家の協力無しでは不可能じゃ!
仁科様、今から三河国で使った、治水作業をお見せしますので、周辺に住む者達を我々よりも後ろに遠ざけてもらいたいのですが、よろしいでしょうか?」
俺のリクエストに五郎さんは
「あの三河国で、米を始めとした農作物の収穫量を三倍にして、三川国の税収を増やしたと言われている方法ですな!分かりました!一刻程で、全員移動させますので!
皆、急げ!六三郎殿が、三河国を豊かにした方法を教えてくださるぞ!」
「分かりました!」
「早く移動させねば!」
「遅くなってはならぬ!」
家臣の皆さんを動かして、あっという間に、それこそ一刻どころか、半刻くらいで、領民の皆さんを移動させました。ここ迄頑張ってくれたので、
俺達も頑張りますか。三河国で見せたやり方を知っているのは、源次郎と銀次郎と新左衛門の3人なので、
「源次郎、銀次郎、新左衛門!三河国で川幅を広げた方法を見せるぞ!準備に取り掛かれ!」
「「「ははっ!」」」
と言う事で、俺と3人で簡易ダイナマイトを川岸に等間隔で埋めていきまして、全部で20本、油を塗った縄で縛って埋めまして、縛った縄をひとまとめにしましたら
「源三郎!あのひとまとめになった縄に、火矢を放て」
赤備えの中で、弓の腕が1番の信幸さんに、火矢を放ってもらい、数秒後
ドーン!ドーン!ドーン!
と、簡易ダイナマイトが爆発し、土煙で視界が悪くなりましたが、土煙が無くなり、川を見た五郎さんは
「か、川幅が広がっておる!」
と、驚いているし、家臣の皆さんは
「殿!それだけではありませぬ!川幅が広くなった事で、流れる水の量も増えました!」
「これで、水が不足する事はなくなるはず!」
と、喜んでおりますが、領民の一部の人から
「あのお、すいませんが。その方法は、ここら辺では良いかもしれませんが、山が近い村だと、山崩れが起きて、
畑が埋められたり、最悪の場合、家も潰されてしまうんじゃないですか?」
と、鋭い指摘が入る。言われてみれば、確かにそうだ!甲斐国、未来の山梨県は現在もそうだけど、山に囲まれて、夏は異常に暑くて、
冬は盆地特有の冷気が底に溜まって動かない、とてうもない寒さになる土地だ!条件次第では山崩れが起きて、生き埋めになる人が出て来てしまう
そうなると、盆地を埋め立てて、更に土を盛っていけば、特に泥かぶれに罹った人の多い、登美村は勿論、
甲府盆地そのものを一回全部埋め立てて、そこからコンクリート製ハーフパイプを設置する方法を
一回、虎次郎くんに提案して、甲府盆地周辺の領民は、数年は米以外の物、それこそ小麦や野菜や果物を年貢にして、
埋め立てと設置の両方を同時進行で行ける可能性が高まる!それに、住血吸虫の卵の付いている植物を燃やしたり、石灰を撒いていけば!時間はかかるだろうが、
5年以内に何とかなるだろう!そうと決まれば!
「仁科様!ひとつ提案があるのですが!」
六三郎が五郎を呼ぶと、領民以外の全員が、六三郎に期待の眼差しをしていた。六三郎は思わず、
「仁科様、拙者は何故、全員に見られているのですか?」
何故、注目されているのか質問する。五郎は満面の笑みで
「六三郎殿!何かしら思いついた事、いつもの癖が出ておりましたから、皆がどの様な内容かを注目しておるのです!それで、どの様な内容なのですかな?」
「いつもの癖が出て、何かを考えていたから」と言う、六三郎以外は全員の共通認識である事を伝えると、六三郎は
「そうでしたか。周りの事を忘れて考え込んでおりましたので、気づかなかったですぞ。ですが、一度躑躅ヶ崎館に戻り、虎次郎様へ伝えて、そこから左中将様と内府様へ了承を得てから。になります」
と、大まかに説明したが、内心
(また1人の世界に入っていたか!いかんなあ、これじゃあ、人の意見を聞かないワンマン経営者や独裁者みたいじゃないか。次から気をつけよう)
とても、反省していた。