六三郎が京で朗報を聞く頃、実家に又も客が
天正十五年(1587年)一月二十日
山城国 洛中
「いやいや、何とも幸運じゃ!六三郎殿が一条殿の元へ来てくれるとは!一条殿!こちらの若武者じゃが、
戦上手であると同時に、料理上手でもあるぞ!儂達が酒の肴として食べておる、この青大豆の塩茹では、
六三郎殿が、儂の家人に教えてくれてな。三日に一度は、酒の肴に選んでおるのじゃ。これが美味な事は、一条殿も知っているであろう?」
「ほお、この青大豆の塩茹でを、こちらの若武者が」
皆さんこんにちは。土佐一条家の2人を京の一条家本家に届ける為に訪問したら、まさかの酒飲み公家こと、近衛様が、家主の一条内基さんと、昼間から宴会を開いておりました
そんな、軽く残念な初対面でしたが、さっさと2人を渡して実家に行きたいので、
「一条様。急な来訪、申し訳ありませぬ。実は、一条様に保護していただきたい者達が居るのです」
本題に入ると、一条様は
「ほう。儂に保護してもらいたいとな?どの様な者達か見せてみよ」
シャキッとしだす。これなら、早く終わりそうだな
「はい。こちらの2人です」
信子さんと万千代くんを前に出す。でも、一条様は
「この二人が、保護してもらいたいと申しておるのか?一条家とどの様な関係があるのじゃ?」
さっきまで宴会を開いて呑んだいたとは思えない鋭い顔になる。なので、
「信子殿。例の物を、一条様にお見せした方が早いですぞ」
と、アシストする。俺のアシストで信子さんは
「はい。こちらを見てください」
と言いながら、家宝の扇子を見せる。扇子を見た一条様は、顔が変わる
「こ、これは一条藤の書いてある扇子!では、二人は、もしや!」
「土佐一条家の信子と申します」
「土佐一条家の万千代と申します」
2人の自己紹介を聞いた一条様は
「やはり!応仁の乱頃に、ご先祖様の一人が土佐国に下向した事は父上から聞いておったし、数年前までは権中納言殿と文のやり取りはしていたが、
その文も来なくなって、気になっておったが、まさか、権中納言殿と後継者殿は」
信子さんの親父さんと万千代くんのお父さんの安否を気にしているみたいだけど、どうやら、最悪の事態が起きた事を察した様で
「父親の事があったのに、よくぞ洛中まで無事で来たのう」
2人の肩を抱いていた。そんな一条様に信子さんは
「あの、呼び方はどの様に呼んだらよろしいでしょうか?」
現実的な質問をする。一条様は
「儂の事は、父上と呼べば良い!今となっては、数少ない一条家の血族じゃ!儂には跡を継ぐ男児が居ない!
万千代、儂の跡を継いで、一条家を存続させてくれ!公家としての教養や所作は、儂が一から教えよう!」
涙ながらに喜んでいた。これで一件落着ですね
「それでは、我々は失礼します」
と言って、屋敷の外に行こうとしたら、一条様から
「待たれよ!」
止められました。もう、やる事は終わったので、実家に帰って色々な準備をしたいのですが。俺がそう考えていると、一条様は
「近衛殿!こちらの若武者の名は六三郎殿であったか?」
近衛様に質問する。近衛様は
「そうですぞ、一条殿。こちらの若武者の名は、柴田六三郎殿で、元服前は「柴田の神童」と呼ばれて、元服後の現在は、「柴田の鬼若子」と呼ばれておるのじゃが、
十五年前に八歳で初陣を経験して以降、織田家の重要な戦に出陣しておる。もっとも、それだけではなく、
戦にかかる銭を稼ぐ術を知っておるのじゃ!一条殿、洛中にある「伊勢茶屋神戸家」という飯屋を知っておりますかな?」
俺の事を説明しながら、ドヤ顔をしている。更に神戸家の事を聞いている。一条様は
「おお!知っておるぞ!伊勢国から運んでおる茶葉から作る茶がとても美味であり、宇治丸を開いて蒸したり、焼いたりするという、
新しい形の連日満員の店であろう?近衛殿、その神戸家が、こちらの六三郎殿に何の関係があるのじゃ?」
分からないから、近衛様に質問する。近衛様は再びドヤ顔で
「こちらの六三郎殿が、最初に料理を作っていた上に、家臣の者達は、洛中の娘達を姫の様に抱きかかえて店の中に案内する形を始めた者達、言わば、六三郎殿達が、神戸家の基礎を作り上げたのです」
説明して。それを聞いた一条様は
「おお!あの形を作り上げた者達なのか!今や、洛中周辺の若者達の働きたい場所として、男女共に人気筆頭てある、あの神戸家の形を、六三郎殿と家臣達が」
とても、盛り上がっております。話を聞くに、神戸家の経営は順調な様です。そこは安心しましたよ。だって、経営不振になっていたら、また俺が呼ばれそうだもの!
そうじゃない様で、一安心です
良い話も聞けた所で、
「それでは、一条様、近衛様。我々はそろそろ」
帰ろうとしたら、一条様から
「六三郎殿!万千代も信子も、しっかりと育てる!そこでじゃが、信子の婿や、万千代の嫁に相応しい若者が見つからなかった場合は、六三郎殿に頼んで良いか?」
なんて爆弾発言して来たので、
「一条様!そういった話は、拙者ではなく、織田家当主の左中将様か、お父上の内府様にお願いします
拙者がでしゃばって良い話ではないので!それでは失礼します!」
慌てて逃げて来ました。冗談じゃない!公家と個人的に仲良しと思われたら色々と面倒くさい事になるじゃないか!
俺は静かに暮らしたいんだ!控えめに生活させてくれ!
六三郎は内心そう思いながら、急ぐ様に越前国の実家を目指した
天正十五年(1587年)一月二十三日
越前国 柴田家屋敷
六三郎達が越前国の実家を目指している頃、その六三郎の実家の門に、10人の客人の姿があった
その中で、1番若い男が門番に
「御免!こちらは織田家家臣柴田越前守様のお屋敷で間違いありませぬか?」
と質問する。門番は
「その通りじゃが、貴殿は何方かの嫡男なのですかな?」
若者に質問する。すると、その若者は
「拙者は柴田家で身柄を預かっていただいております前田慶次郎の嫡男、前田慶之助と申します!
後ろに控えているのは、拙者の母と、家臣達にございます!改めて、お聞きしますが、父上はお屋敷の中に居ますでしょうか?」
慶次郎の嫡男と名乗る。更には慶次郎の嫁と家老も連れて来たとの事だが、柴田家に来た理由とは?




