家臣と武器はどちらが大事か
元亀三年(1572年)十月十五日
美濃国 柴田家屋敷にて
「誠か吉六郎?」
「可能とは思うが」
おはようございます。降った二百人を助命して家臣にしたいと脳筋コンビに言ったら驚かれた柴田吉六郎です。まあ、2人のリアクションがこの時代では普通のリアクションですよね。まあ、源太郎さん達の中に侍大将と呼ばれる立場が上の人間が居たら分からないけど、確認したら一番立場が上なのが源太郎さんで、足軽頭という下から2番目か3番目の立場という事なので、まあ大丈夫でしょう
「まあ、それに関しては殿次第だから何とも言えぬが。それにしても客将に周囲の安全の為に猪退治に行かせるのは」
「兄上。拙者は皆に「働かざる者食うべからず」と言いました。皆も納得して、やるべき事を見つけてやっているのですから、これで良いのです。それよりも、兄上と森様、どちらが岐阜城へ戻る際の皆を連れていく役割を担ってくださいますか?」
「儂が連れて行こう」
立候補したのは佐久間玄蕃だった
「良いのか玄蕃?」
「まあ武田の脅威があるから全軍は連れていけないが、半分は置いていく。それなら勝蔵の軍勢と領民の皆を合わせて武田に数で同じくらいを維持出来るから大丈夫と思う」
佐久間盛政の軍勢の半分でも約600居て森長可の軍勢と合わせると1800くらい。油断禁物だが、大丈夫。のはず
「吉六郎。お主、殿達に先触れを忘れるでないぞ?ここから岐阜城なら朝出発して夜には着くだろう。今日が十五日なら何日に出発する?」
殿に以前送った書状には五日後から十日後には着く予定。と記したから、早いうちにしようか
「では、三日後の十八日にしましょう。それで行けば、不測の事態が起きて到着が遅くなっても二十日頃には到着出来ましょう
「十八日じゃな。分かった」
こうして出発の予定が決まった。
元亀三年(1572年)十月十六日
美濃国 柴田家屋敷内にて
「利兵衛!殿へ源太郎達の助命嘆願を書いたが、内容を確認してくれ」
「分かりました。では」
書状の内容はこうなっていた
「殿へ、十八日に捕虜二百人を連れて佐久間様が岐阜城に戻ります。その事で某は二百人全てを家臣に迎えたいのです。捕虜二百人の首領格の武士の名は、飯富源太郎晴昌。副首領格の武士は弟の飯富源次郎繁昌。彼ら二人は甲斐武田の先代当主武田信虎に仕えて赤備えを結成した「甲山の猛虎」と呼ばれた飯富兵部少輔虎昌殿の忘れ形見であり、本来なら武田の赤備えの正統なる後継者だったのですが、諸事情により父親は切腹に追い込まれ、領地を奪われて、更に父親が作り上げた赤備えまでも奪われて。それでもいつか領地を取り返し、父親の名誉を回復する為に臥薪嘗胆の心で武田に仕えていたのですが、此度の戦で敗れた際、世話になった人間の首と鎧を武田に渡す役として岩村城に行った時、亡くなって数年経過しているのにも関わらず、父親を愚弄された事で武田を出奔した次第であり、古臭い考えの武田ではなく、戦でも内政でも新しい事を取り入れている柴田家に降りたいと申しております。先の戦で使った、武田を分断した武器と使用方法を先触れと共にお渡しします。こちらで何卒、二百人の助命を伏してお願い致します」
「若様。あの武器を渡しても良いのですか?」
「ああ。あの武器は、使わなくなった種子島があれば作れる。しかし、源太郎達は替えの効かない精鋭になれる猛者達だ!どちらが必要か利兵衛なら分かるであろう?」
「それは確かに」
「筒の残り十五本と、この書状と使用方法を書いた文。これを急ぎで岐阜城に持って行ってもらおうではないか。利兵衛、誰ぞに早馬で岐阜城に行かせよ」
「ははっ」
こうして、佐久間達より先に助命嘆願書と簡易パイプ爆弾の元と仕様書が届けられる事になった




