交渉の場で俺と話したいらしい
天正十四年(1586年)六月二十日
安芸国 某所
「よく、来てくださった。先ずは礼を申す」
「いえ。敵である毛利家へのご配慮、誠に感謝致します」
皆さんおはようございます。朝から、この戦の和睦交渉、実際は毛利家からの敗北宣言の場に参加しております柴田六三郎です。まあ、交渉と言っても、秀吉が取り次いで、安土城の殿や大殿へ伝える、
若しくは、毛利家の人達を安土城へ連れて行って、そのまま交渉させる。みたいな感じらしいけど、条件が色々聞こえて来た中で、毛利の領地として、備後国、安芸国、隠岐国、長門国、周防国を残してくれ
と言ってるのが、中々欲張りだなと思うところです。でも、毛利の人間の中で、交渉に長けている人として、毛利両川の1人の小早川隆景が秀吉と対峙しているのが、歴史ドラマ感があって
心の中では興奮しております。そんな中で秀吉は勿論、織田家の人間全員が気になった条件が
「小早川殿。公方を捕縛して織田家へ引き渡す。とあるが、出来るのですか?」
秀吉が質問した、アホ公方を捕縛するという条件です。まあ、毛利が気合い入れたら、あんなアホ公方1人くらいなら、簡単に捕縛出来るでしょう
どうせなら、捕縛した時にドサクサに紛れて、アホ公方の肋骨を一本くらい折ってやればいいんだよ
俺がそんな事を考えていたら、交渉は終わる直前まで来ていた様で、秀吉から
「和睦の条件、確かに承った。だが、小早川殿、吉川殿。領地に関して、殿と大殿は難色を示す可能性が高いでずぞ」
と、毛利両川の2人に遠回しに「期待しない方が良いよ」と伝える。しかし、流石、歴戦の武将の2人は
「それは承知しております。主君安芸守様のお命と、本貫の地である安芸国を守りたい為です」
「最悪、安芸国だけになる事も覚悟の上です」
秀吉の言葉に、反論せずに毛利家の最終的な目標を伝える。秀吉もその事を受け取り、
「分かり申した。それでは、この条件を拙者の文と共に安土城へ送りますので、続きは返書が来てからとしましょう」
「「何から何まで、ご配慮くださり、忝い」」
どうやら、これで停戦の取決めが決まった様です。俺がその事で安心していると、
「羽柴殿。少し、よろしいですかな?」
吉川元春が秀吉に話しかけて来た。何か手直しを頼むのか?と思いきや
「何ですかな?吉川殿」
「そこの柴田六三郎殿に戦場の事で。幾つか質問したいのですが」
まさかの俺を指名ですよ。何故だ?
秀吉は俺に
「六三郎殿。そういう事らしいが、よろしいか?」
聞いて来たので、俺は
「答えられる範囲内で良ければ」
遠回しに「重要な事は話しませんよ」と、釘をさしておく。吉川元春は
「それでも構いませぬ」
納得してくれた様なので、
「それでは吉川殿。どの様な事を聞きたいのですか?」
質問を受け付けると、吉川元春は
「では。柴田殿の軍勢は前年の神無月に、伯耆国で拙者の軍勢と戦い、そこから今年の卯月には周防国まで進んだのに、五月には伯耆国へ戻っておった
これは、どの様な事をやってのけたのか、この年寄りに教えていただきたい」
六三郎に中国超大返しの詳細を求めて来た。六三郎は
(何か、お怒りですか?やっぱり、めちゃくちゃな戦や進軍は、「テメーふざけんじゃねえぞ」みたいな気持ちになるのか?まあ、隠す事でもないし、停戦合意もしてるし、話しても問題ないか)
色々と考えた結果、話すと決断した
「吉川殿。その事に関してですが、伯耆国で吉川殿の軍勢と戦をした後、何故か進んだ国で毛利方の軍勢が現れなかったので、進軍する事を優先したのです
そして、周防国まで進んだ時、ふと思ったのです。「毛利方は、安芸国に軍勢を集中させているから、山陰は勿論、長門国と周防国に軍勢が居ないのではないのか」と
そこで、拙者は周防国から全速力で備中国まで戻り、羽柴様と睨み合っていた、小早川殿の軍勢を叩けば、戦が織田家有利に動くと思ったので、家臣は勿論、
与力の方々にも無理を承知で、伯耆国まで走ってもらい、伯耆国に到着したら、一日休んで備中国へ進んだのです」
俺の説明に、吉川元春は口が開いたままになっていた。すると小早川隆景が
「し、柴田殿。ちなみに、その周防国から伯耆国までの移動は何日で成し遂げたのですかな?」
移動にかかった日数を聞いて来る。勿論、正直に答えよう
「移動に関しては、先ず周防国から長門国までは3日かけまして」
「そこは普通の速さですな」
隆景は最初の移動を普通と言った後、
「長門国から伯耆国までを10日で走り抜けました」
「ま、ま、誠なのですか!?長門国から伯耆国は、百里は距離があるのですぞ!それを10日で、し、信じられぬ!」
最初の秀吉と同じ様な反応を見せる。それを見た六三郎は
「小早川殿。その百里を走れたのは、尼子家遺臣の方々の協力あってこそです。それこそ山陰の国に毛利方の軍勢が居ない事を調べてもらい、
道中の飯と、夜間の松明の準備までしてもらったからこそ、百里を走り抜けられたのです」
細かい所も説明した。それを聞いた元春が
「はっはっは!尼子の者達が協力しておったか!見事過ぎる策じゃ!これは、儂は勿論、又四郎、お主でも出ない策ではないか?」
と、笑いながら隆景に聞く。隆景は
「兄上。百里を十日で走り抜けようなど、そもそも考えませぬ。しかし、走り抜けようと決めた理由が、「軍勢が居ないから」とは。羽柴殿という老獪な武将が、
長宗我部殿の大軍と、柴田殿の常識外れな軍勢を指揮したら、我々毛利の様に定石通りの戦を好む者達は叶うわけがない。此度の負けも必定というわけですな」
と、納得した様な顔だった。そんな元春と隆景に秀吉は
「まあ。儂も最初は驚きましたぞ。ですが、そこまでの無茶をしないと毛利に勝てないと六三郎殿が判断したからこその行動です。
元服前どころか、十歳になる前から戦に出陣しておる六三郎殿ですから、勝負所と思い、無茶と分かっていても、決断したのでしょう」
2人に軽い補足を入れ、最期に
「吉川殿、小早川殿。和睦交渉を行ない、一時的とはいえ、戦は終わったのですから、山陰に居る尼子家遺臣の者達を攻撃するなど、やらないでもらえますな?」
尼子家遺臣を攻撃しない様、伝える。元春と隆景は
「「勿論!攻撃などいたしませぬ!」」
はっきりと返事をした。返事を聞いた秀吉は
「その言葉、信じますぞ?それでは、和睦交渉は一旦、終わりにしましょう。城に戻って休んでくだされ」
2人を城に帰した。これで和睦交渉は終了し、ここからは互いの主君に話を持って行き、主君の決裁待ちになる。




