毛利絶対殺すマン達が暴れまくった結果
輝元や隆景達が、吉田郡山城へ向かっている頃、戦場では、
「尼子家の恨み、思い知るがいい!」
「ぎゃああ!」
「お主達、毛利のせいで!」
「がはっ!」
「死んで詫びよ!」
「ぐおっ!」
「長宗我部家の恨み、その身に刻みつけよ!」
「ぎゃあ!」
「に、逃げろ!」
「こんな奴らに勝てるか!」
「逃すな!追え!毛利の兵達を、一人残らず全滅させよ!」
「「「おおお!」」」
皆さんこんにちは。備中国で秀吉と睨み合っていた毛利を急襲して、睨み合いを崩すきっかけを作って、あとは、手柄が欲しい皆さんに頑張ってもらいました、柴田六三郎です
いやあ、皆さんの暴れっぷりが凄いのですが、その中でも、尼子家と長宗我部家の暴れっぷりが凄いです
長宗我部家の数が多い事が最大の理由とはいえ、両家合わせて、推定で五千人の毛利の兵達を殺してるんじゃないかと思う程、皆さん返り血を浴びまくってます
そして、毛利の兵達が殆ど見えなくなると、秀吉が
「毛利の兵達よ!武器を捨てて、降伏したならば、当面は捕虜として生かしておく!だが、抵抗しようものならば、此度の睨み合いを崩す、
きっかけとなる攻撃を行なった、柴田の鬼若子こと、柴田六三郎殿が全軍を率いて攻撃しに行くぞ!」
と、俺の名前を使って毛利の兵達を脅迫しまして、それが効いた、のか分かりませんが、生き残った毛利の兵達は、全員降伏しました
その降伏した兵達、約二千人に色々聞きましたところ、秀吉と睨み合ってた軍勢はおよそ一万九千人で、最初は、毛利両川の1人、小早川隆景が大将を務めていて、
その後、毛利家当主の輝元が四千人の援軍を連れて来たとの事です。この話を聞いて、秀吉と互角の睨み合いを出来る武将なんて、そうそう居ないと納得しました
史実の小牧長久手の合戦でも、秀吉と家康が長期間の睨み合いをしていたらしいですから、やっぱり小早川隆景も、秀吉や家康と同レベルの名将だと実感しております
そんな中、毛利兵の遺体を並べて確認したところ、まさかの一万二千です。一万九千のうち、一万二千が討死しているわけですから、被害は6割半くらいですよ
改めて、尼子家と長宗我部家の「毛利絶対殺すマン」度合いが強かったわけですが、一通りの事をやって落ち着くと、秀吉から
「六三郎殿!見事な急襲であった!あの急襲をきっかけに、毛利が混乱して、儂達に有利になった!誠に感謝する!
そして、尼子家の面々と長宗我部家の面々、毛利に対する憎しみは、少しばかり晴れましたかな?」
そう言われると、長宗我部元親さんは
「羽柴殿。拙者としては、更に戦いたい気持ちもありますが、毛利を完膚なきまで叩きのめしたので、晴れたと言えます」
と言って、尼子殿は
「羽柴様。六三郎殿と共に前代未聞で無茶な移動をやったあとに、ここまで毛利を叩く事が出来た事、とても満足しております。あとは尼子家再興を認められるだけです」
と、涙ながらに語っていた。そんな中、秀吉が俺に
「そうじゃ、六三郎殿。二ヶ月前には確か、山陰の石見国に居て、そこから長門国を通り、周防国へ行くと文に書いてあったが、そこから何故、備中国へ行く事に変わったのじゃ?」
備中国へ居た理由を聞いて来たので、
「その事ですが羽柴様。実は、伯耆国で毛利と戦って以降、出雲国、石見国、長門国、周防国の四ヶ国で、一度も、毛利と戦わなかったのです
その事で、拙者の家臣の真田喜兵衛と、黒田官兵衛殿に質問して、2人の答えをまとめると、「毛利が山陽以外の戦力を安芸国に全て移動させた可能性が高い」
と、なりましたので、安芸国に集結した毛利を出し抜く形で、長門国から一気に伯耆国まで移動して、休息を取り、そこから毛利の横っ面を叩きに出陣したのです
その際、山陰の国に居る尼子家家臣の方々に働いてもらい、石見国、出雲国、伯耆国に毛利の戦力が無い事を調べてもらった事で、戦力も減らさずに移動出来たのです」
俺の説明に秀吉は、
「長門国から伯耆国は、百里はあるではないか!それを何日で走り抜けたのじゃ?」
かかった日数が気になった様でしたので
「10日です」
と、正直に答えると
「十日じゃと!何と無茶をする。しかし、その無茶が、戦の勝利に繋がったのじゃから、見事としか言えぬか」
驚きながらも、戦の勝利に繋がった事で納得してくれた。それじゃあ、本来の話に戻りますか
「それでは、羽柴様。これから、毛利の本拠地の安芸国は勿論ですが、その前に備後国があります。このまま進軍しますか?」
「そうじゃな。儂達が毛利を降伏させて、殿や大殿の元に、毛利の主要な面々を送るまでは、休み無しじゃ。六三郎殿も、それでよろしいかな?」
「勿論です。殿から直々に命令されて、来たのですから、此処で帰ってはいけませぬ」
「ふっふっふ。改めてじゃが、六三郎殿。長宗我部殿から色々と聞いたが、親父殿から家督相続してから、より一層、逞しくなったのう」
「羽柴様。家督相続しましたが、拙者はまだまだ学びの途中の若造ですから、父上とも「柴田家を更に発展させる」と約束しましたから、こんな所で満足していられませぬ」
「はっはっは!誠に六三郎殿は貪欲じゃな!だが、若武者はそれくらいが良いかもしれぬ!それでは六三郎殿、毛利と再び戦いに行こうではないか!」
「ははっ!」
「さて、次の戦は、野戦か城攻めか。どちらにしても楽しみじゃ!長宗我部殿も、引き続きよろしく頼むぞ!」
「ははっ!」
こうして、備中国を征圧した織田軍は、備後国と安芸国へ、進軍を開始した。




