長宗我部家の到着と毛利家当主の始動
天正十四年(1586年)一月十日
備中国 某所
「兄上!これで全員、到着しました!」
「よし!では、これから羽柴筑前殿の元へ参る!」
「ははっ!」
伊予国征圧からおよそ1ヶ月、長宗我部家は伊予国に万が一の事が起きた時の為に、五千の兵達を残した。
それて2万の大軍である。なので、移動に時間がかかってしまった。それでも元親は、
「毛利の当主は武将としては並じゃ。だが、補佐する毛利両川が名将と呼べる程、戦上手じゃ。数で押せばどうにかなると思ってはならぬ!良いな?」
「「「「ははっ!」」」」
家臣達に油断禁物である事を周知させる程、毛利相手に集中していた。そこから移動を開始させて、およそ半月後、
天正十四年(1585年)一月二十三日
備中国 某所
「兄上。見た事の無い旗印が多数見えておりますが、もしや、あそこに」
「羽柴筑前殿の軍勢の本陣と見て、間違いないじゃろうな。念の為、弥七郎、お主と家臣達が行って確認してまい! いれ」
「ははっ!」
元親は、弟の親泰を含めた者達を使者として、秀吉の元に行かせる決断をした。そして、親泰達は秀吉の本陣の近くに行き、事情説明をしてから、秀吉へのアポを取った
陣幕内に案内されて、平伏していると、
「遅くなって済まぬ!話は聞いておるが、貴殿達が長宗我部土佐守殿の家臣達で間違いないのじゃな?」
「はいっ!我々長宗我部家、左中将様からの命令を受けて、羽柴様と柴田様の文の中に書いておりました、四国の安全を確認してから、援軍に来た次第であります」
「そうか!誠にありがたい!それで、貴殿達が本陣に来た理由は、やはり確認の為か?」
「はい。毛利の旗印ではない事は主君の土佐守も分かっておりますが、見た事のない旗印でしたので、念の為に」
「はっはっは!流石、四国を統一直前まで行った名将じゃ!用心深い!だが、それでこそ複数の国を治められるのじゃろう。誠に興味深い!それでは、長宗我部土佐守殿を連れて来てくだされ」
「ははっ!それでは、失礼します」
秀吉に返事をした親泰は、元親の元へ戻り、秀吉の本陣へ連れて行った。そして、元親は秀吉の元へ到着すると
「羽柴筑前殿ですな。お初にお目にかかる、長宗我部従五位下土佐守元親にござる」
「丁寧な挨拶、忝い。羽柴従五位下筑前守秀吉にござる。拙者と六三郎殿の連名の文を見て、四国の安全を確保してからの援軍、誠にありがたい!」
秀吉に挨拶をする。そして、秀吉は挨拶しながら、握手して感謝を伝える。一通りの挨拶が終わると秀吉は
「改めてじゃが、長宗我部殿。援軍の人数は如何程にございますかな?」
「二万人程を連れて参りました!憎き毛利を叩く為ですからな!動かせる軍勢の殆どを連れて参りましたぞ!」
「二、二万!長宗我部殿。それだけの数を連れて来ていただき、誠にありがたいのじゃが、四国の安全に関しては大丈夫なのですか?」
「羽柴殿。そこはご安心を。長宗我部家の軍勢は最大二万八千!そのうちの八千は四国に置いてきております」
「そ、そうでござるか。それならば安心して良い。のでしょうな」
「羽柴殿。長宗我部家の八千に、讃岐織田家の源三郎様の元にも、一万は居ますから安心かと」
「成程」
「これで、四国が安心であると納得していただけますかな?」
「それはもう。失礼な発言、申し訳ない」
「いえ、お気になさらずに。それでは改めて羽柴殿。戦の話になりますが、我々長宗我部家、四国は伊予国を征圧して来た際、感じた事として、あまりに抵抗が無かったので、
六三郎殿が示唆していた、伊予国の河野を始めとした勢力が毛利に味方している事が現実に起きていると判断しました」
「やはりか。それでは、毛利の軍勢は総勢で三万は居ると見て良いでしょうな」
「羽柴殿。多く見て三万、少なくとも二万五千は居ると見て間違いないでしょうな」
「ううむ。毛利が山陽と山陰に軍勢を分けているとは言え、恐らく山陽の軍勢の数が多いと見て良いか」
「羽柴殿。その推測は当たっております。毛利の本拠地である安芸国までは、この備中国と備後国の二つしかありませぬ。そして、ここから先の話は、亡き父上から教えてもらったのですが、毛利は昔、
出雲国が本拠地の尼子家と、中国地方の覇権争いをしていたそうで、その際、出雲国から備後国へ南下する尼子家への対策として北側の国境は堅固にしているそうですが、
東側の国境、つまり備中国との境は堅固ではないそうです。つまり、この備中国を征圧されたら、毛利家を守る壁が無くなるから、死物狂いなのだと」
元親の説明を聞いた秀吉は、
「ふむ。長宗我部殿の話を聞くに、毛利は備中国を必死に守っている。そして、備後国の北側は堅固だが、残りの三方向はそうではない。と言う事か。
それならば、六三郎殿率いる別働隊にますます働いてもらわぬといかんか。山陰の毛利を削ってもらい、そこから征圧地域も増やしてもらって」
と、これからの策が思わず口に出る程、戦略が頭の中で目まぐるしく回っていた。それを見ていた元親は
(源三郎様の与力の滝川殿もそうであったが、やはり歴戦の武将は、一つ二つの情報で、十手先まで考えるのじゃな。儂も武将としてまだまだじゃな。気合いを入れて、毛利を叩くぞ!)
と、気合いが入っていた。一方その頃、毛利家でも動きがあった
安芸国 吉田郡山城
「殿!お身体は大丈夫なのですか!?」
「もう大丈夫じゃ!流石に、毛利家当主である儂が体調が良くなったのにも関わらず、出陣しないなどありえぬ!甲冑の準備を!」
「は、ははっ!」
前年に病で寝込んでいた毛利輝元が遂に出陣出来る体調になった。輝元は軍勢の勝利の為、士気を上げる為に出陣する事が狙いだが、もうひとつ別の目的があった。それは
「それから!何故、儂が寝ておる間に安芸乃が出陣しておる!誰も止めなかったのか!」
娘の安芸乃を城に戻す事である。輝元の言葉に家臣は
「申し訳ありませぬ。ですが、弟君で嫡男の幸鶴様を元服もしていない身で出陣などさせられぬ。と言って、自らが「殿が来るまでの間」と言って、出陣してしまいまして」
「あのじゃじゃ馬め〜!戦が終わったら、戦とは遠い家に嫁入りさせてやる!」
「殿。姫様は、殿と幸鶴様の為に」
「分かっておる!!それでもじゃ!あ奴は女子じゃ!戦場になぞ立って欲しくない親心故じゃ!」
輝元がそこまで言うと、
「殿!甲冑と馬と軍勢の準備が整いました!」
出陣準備が整った報告が入る。そして、
「それでは行って来る!」
遂に毛利家当主が出陣した