揺れる毛利の姫と喜ぶ秀吉
天正十三年(1585年)十月十六日
備中国 某所
場面は六三郎達が吉川元春率いる軍勢に勝利を掴んでから、数日後の備中国の毛利の本陣に変わる
「又四郎叔父上。山陰で織田と戦っております、次郎叔父上からは、何の音沙汰も無いのですか?」
「安芸乃よ、次郎兄上は現在、織田と伯耆国の攻防戦を行なっておる。軍勢の数は次郎兄上の軍勢が一万二千で、織田が一万との事じゃ。余程の事が無いかぎり
次郎兄上の軍勢が、織田を美作国か、因幡国へ押し戻すはずじゃ。儂としても援軍に向かいたいが、織田の山陽を攻める軍勢の新たな大将は、かなりの戦上手じゃろうな
儂達が動こうとすると必ず攻撃して、動けない様にしておる。しかも、備中高松城に近づこうとしない
これは、山陰を織田が征圧するつもりと同時に、山陰を攻める軍勢の大将は、若くて戦経験が少ないから、儂達を山陰に行かせない様に牽制しておると見る
まったく、前の大将は比較的安易に策に嵌ってくれたと言うのに、此度の大将は相当、頭が切れる様じゃな」
「又四郎叔父上。その様な」
「安芸乃、分かっておる。儂とお主しか居ない場所での言葉じゃ。他の者に聞かれたら、士気が下がるから言わぬ。だが、織田の大将が切れ者なのは事実じゃ
織田の軍勢は、およそ三万くらいじゃろう。儂の一万と伊予国から援軍に来ておる河野家の二千、そして備中高松城の三千、これを上手く使いながら、
織田の軍勢を牽制するのも、こちらの軍勢の数が露見したら、終わりじゃ。吉田郡山城の守りには千人どころか、五百人じゃ。儂の軍勢と兄上の軍勢、どちらかが壊滅したら」
「又四郎叔父上。私がその様な事はさせませぬ!だから今は、お休みになられてください」
「そうじゃな。少しばかり休むとしよう」
「そうしてください。しばらくは私が、兵達との取次を行います」
「よろしく頼む」
安芸乃にそう言うと、隆景は眠りについた。隆景を起こさない様に安芸乃が、静かに寝所を出ると、
「姫様。殿のお身体は大丈夫でしょうか?」
隆景の家臣に質問された安芸乃は
「かなり疲れています。だから、今は静かに眠らせてあげてください。織田が攻めて来た時は、起きてもらいますが、そうでない時は休んでもらいましょう」
そう答えた。そして家臣は、
「姫様。こんな時に言ってはなんですが、姫様のお父上であらせられる大殿は」
安芸乃の父で、毛利家当主の輝元が居ない事を聞いた
「申し訳ありません。父上は、病に罹り動けないのです。それに、嫡男である弟の幸鶴丸は、元服どころか十歳にもなっていないのです、
ならば私が父上と弟の代わりに戦場に立つしかありません。出来るかぎりの事はやりますから」
安芸乃は、頭を下げてそう答えるしかなかった。それを見た家臣は、
「も、申し訳ありませぬ!姫様にその様な事を言わせてしまい、誠に申し訳ありませぬ!」
平伏しながら、安芸乃に詫びた。それを聞いた安芸乃は
「立ってください。私に平伏するよりも、織田との戦に勝つ事を優先してください」
そう、声をかける。すると、家臣は
「ははっ!それでは見張りに行って参ります」
元気よく立ち上がり、安芸乃の前を去った。家臣を見送った安芸乃は
(山陽を間違いなく秀吉が攻めている!軍略の才が凄い隆景叔父さんが、これ程苦しむなんて秀吉じゃないとしたら、黒田官兵衛くらいしか軍略の才で、隆景叔父さんと張り合える武将なんて居ないはず!
それに、備中高松城へ近づかないのは、佐久間信盛が秀吉に伝えていたとしても、史実の秀吉なら、出世の為に無茶をしたのに、何故この世界線の秀吉は、
無茶をしないの?これじゃあ、毛利の兵糧や弾薬が尽きてしまう。織田は援軍が来たと聞いたけど、その援軍が、秀吉達の兵糧を持って来たに違いない!
長期戦になれば、織田は畿内から兵糧を運べる。でも、毛利は、この備中国を征圧されたら、堅固な防衛拠点の無い備後国は、簡単に征圧されてしまう!
備後国の先には、毛利家の本貫の地である安芸国。安芸国を征圧されたら、毛利家は)
ネガティブな考えが頭の中をぐるぐる回っていた、そんな安芸乃に、更に辛い現実が突きつけられる
「注進!注進!山陰で戦っております吉川様からの文でございます!」
「次郎叔父上からですか!見せてください!」
「は、はい」
元春からの文を持って来た家臣は、安芸乃の迫力に負けて、言われるがまま文を渡す。そして、安芸乃は文を読み出す
「読みます。「又四郎へ。数日前に織田の者達と戦ったのじゃが負けてしまった。済まぬ。儂達の軍勢の兵糧が心許ない状況だったので、織田の兵糧を奪う為に
突撃したのじゃが、そこで織田の異質な策にやられてしまった。奴ら、儂達が兵糧を狙っている事が分かっていたかの様じゃ。それこそ、生き残った足軽から
話を聞くと、米俵の中に石や土を詰めたり、半分は米で半分は石の米俵を設置したりして、足軽達を翻弄したのじゃ。更には、わざわざ米蔵を作って、
米蔵の中に足軽達を入らせたと思ったら、一本の火矢で米蔵が爆発したそうじゃ。米蔵の中に居た足軽達は、ほぼ全員即死で、生き残った者も、火だるまになっていたそうじゃ
そして、その火だるまになった足軽が、ある米俵の上で力尽きて倒れたら、米俵が爆発したそうじゃ
そして、その米俵の爆発に誘われる様に、米蔵の周囲の地面も爆発して、範囲内に居た足軽達は、即死する者、片足が無くなった者等、口に出さない悲惨な状況だったそうじゃ
儂が到着した頃には、足軽達の死体だらけであり、地面も黒焦げだった。その後、織田の軍勢が突撃して来たが、残った足軽達と逃散したので、儂達は撤退するしか無かった。何も出来なかった、誠に済まぬ
此度の戦で、討死した足軽達がおよそ千五百人、逃散した足軽がおよそ千人、つまり、およそ二千五百人が居なくなってしまった。済まぬ。
だが、人数としては、ほぼ同数と言ってもよい。だから、援軍は不要じゃ。又四郎達の方が大変じゃろう
援軍に行けずに済まぬ。改めてじゃが、武運を祈る」と、次郎叔父上は書いておりますね。この文は、又四郎叔父上に私からお渡しします。この事は、他言無用でお願いします」
「は、ははっ!それでは失礼します」
そう言って家臣は去って行った。一方、その頃、秀吉の元には六三郎率いる別働隊に参加している福島正則からの文が届いていた。
「どれ。「殿へ。此度、六三郎殿率いる我々別働隊と毛利の大規模とも言える戦が起きたのですが、その戦で、黒田殿が立案して、六三郎本人と六三郎殿の家臣の真田殿、そして虎之助の改善案を組み合わせた策を
実行したのですが、六三郎殿の二つ名、「柴田の鬼若子」が飾りではない事を知らしめる、壮絶な策でした
簡潔に書きますが、黒田殿が立案したのは、米俵で兵糧不足の毛利の足軽達を誘い出して一網打尽にすると言う策でした、そこから真田殿が偽の米俵に石や土を詰めてはどうかと発言して、六三郎殿がそれならば
例の武器を米俵に詰めてはどうかと発言して、虎之助が偽の米俵を設置する、仮の米蔵を作って、そこに毛利の足軽達を誘い込むというのはどうか、と発言した結果、
米蔵の中は勿論、米蔵の土台部分、更には米蔵の周囲にも、例の武器を準備して、足軽達が米蔵に入って来た所を真田殿の嫡男の源三郎殿の火矢で火を付けて、
あっという間に、米蔵は爆発して、足軽は殆どが即死でしたが、火だるまになった足軽が、例の武器を詰めた米俵の上で死んだら、
米俵が爆発して、そこから埋め込まれていた例の武器に火が付いて、地面が黒焦げになる程の爆発を起こしまして、そこで足軽達は即死するだけでなく、
片足が無くなったり、腹が抉れて臓腑が体外へ出るなど、地獄絵図とは正にこの事と思える程でした
此度の戦で、我々別働隊は毛利の足軽達を一応、千人以上、討取りました。ご報告の為、文を送ります」と市兵衛の奴、丁寧に知らせてくるとは、六三郎殿、
いや、皆で考えて実行した策に興奮しておる様じゃな。これならば、別働隊はそのまま六三郎殿に率いらせても良いな!くっくっく。さあて、毛利両川と呼ばれておる名将達、どの様に動く?」
正則からの文を読んだ秀吉は、戦果に喜びが隠しきれない様子だった。




