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別働隊か編成された頃、織田家は慌ただしいが

天正十三年(1585年)九月十九日

備中国 某所


「それでは六三郎殿。虎之助と市兵衛を含めた三千人を儂の軍勢から、残り七千人を六三郎殿の軍勢から出して編成したが、誠にこれで良いのか?」


「ええ。羽柴様の軍勢は現在一万一千人です。佐久間様の軍勢か一万八千だったのに、返り討ちにあったと言う事は、同等の軍勢で佐久間様の軍勢に当たらないといけなかった。


つまり、毛利の本拠地は山陽にあると言う事です。ならば、山陽をこれから攻める為に、羽柴様の軍勢は多い方が良いのですから、拙者の軍勢から多く出した方が良いのです」


「そうか。ならば、その気遣い、ありがたく受けよう」


「はい。それでは我々は出陣準備に取り掛かります」


皆さんおはようございます。備中国に入ってから1日が経過して、色々な準備をしております柴田六三郎です


佐久間様の軍勢が毛利から反撃を喰らって、中国地方の空気が怪しくなって来たので、秀吉と話し合った結果、北側の山陰を俺が率いる別働隊を征圧して、


南側の四国を長宗我部家に征圧してもらって、対応する範囲を東側と西側にしよう!となりましたのですが、


長宗我部家が動くのは、織田家からの命令が無いといけないので、今は山陰を攻める俺達が先に動きます


出来るかぎり早く、長宗我部家の皆さんが動ける事を祈ります


六三郎がそんな感じで祈っていた頃、秀吉の家臣が、かなり頑張ったのだろう。3週間程で安土城に到着していた


天正十三年(1585年)十月十日

近江国 安土城


「羽柴筑前の家臣よ、毛利征伐で動きがあったから、筑前からの文を持って来た。そういう事じゃな?」


「ははっ!ですが、此度の文は筑前様だけでなく、柴田様も書いておりまして、連名での文になります」


「ほう。二人まとめての文とな。面白い!見せてみよ!」


信忠は家臣からの文を受け取ると、じっくりと読み出す


「どれ。「殿へ。羽柴筑前にございます。いきなりの文、申し訳ありませぬ。殿もご存じかと思いますが、


現在、拙者は柴田六三郎殿と共に佐久間殿の救援として、備中国に居ますが、その佐久間殿を含めて多くの者が、戦えない状況です


そして、佐久間殿より、相手の軍勢に毛利以外の旗印も見えた。と報告がありました。その事で、六三郎殿と軍議を行なった結果、四国の反織田家の者達を、


毛利がまとめ上げて、攻勢に転じたのでは?との結論に至りました。ですが、確証もありません。そこで、無礼を承知で、殿にお頼みしたい事があります


東西南北の全てが毛利に囲まれている可能性を少しでも減らす為に、南側の四国の長宗我部家に四国を征圧してから、援軍に来てもらう様、命令していただきたく存じます。そして、これより先は、六三郎殿に代わります


「殿へ。羽柴様からの文でおおよその内容は伝わっていると思いますが、毛利の軍勢の数が我々よりも多い可能性が出て来ました。佐久間様の軍勢を吸収しても、毛利より少ない可能性もあります


そして、四国の軍勢が毛利に味方していた場合、進軍も撤退もままならない状態になります。なので、申し訳ありませぬが、


四国の長宗我部家を動かしていただきたく!織田家の領地ではない伊予国を長宗我部家が征圧した後、援軍として参加してくだされば、恐らく数の不利は無くなると、羽柴様と共に決断しました。


佐久間様が仰っておりましたが、毛利には羽柴様に勝るとも劣らない知恵者が居る可能性が高いとの事です。負けるつもりは毛頭ありませぬが、


憂いは一つでも無くしておきたいので、長宗我部家を動かしてくださいます様、お頼みします!」と書いておるが、成程。佐久間が率いる大軍が敗れた事で、


山陽も山陰も、全ての勢力が織田家の敵になる可能性が出て来たと。更には四国の伊予国の者達が毛利に味方をしている可能性もあると。


まったく、筑前も六三郎も、佐久間の大軍が敗れた事と、「毛利以外の旗印」の言葉で、ここまで考えが広がるとは。やはり、総大将を任せられる武将は、視野が広いのう!否定するなど以ての外じゃ!


急ぎ、長宗我部家へ文を書く!急いで届ける準備をしておけ!」


「ははっ!」


安土城の信忠は、秀吉と六三郎という2人の大将からの連名での文を見て、直ぐに動かないといけない事案であると判断した様で、慌ただしく動き出した


一方、六三郎の家臣の吉田達は、


天正十三年(1585年)十月五日

???国 某所


「や、やっと着いたぞ!皆、ありがたい事に、居城と思しき城が近くにある!急いで長宗我部家の方々へ届けるぞ!」


「「「ははっ!」」」


秀吉の家臣達よりも早く、目的地と思しき城に到着していた。その城の門番に対して、


「御免!我々は柴田越前守様の家臣で、長宗我部従五位下土佐守様へ、主君の文を届けに来たのじゃが、ここは土佐国で、長宗我部様の居城で間違いないでごさろうか?」


と質問したが、門番は


「いや、此処は讃岐国で、この城はまだ築城途中の高松城じゃ。土佐国の長宗我部様の居城へ行くには、山を越えないといけないですぞ」


国も城も違う事も伝えた。それを聞いた吉田達は、


「そ、そんな。おのれ〜、あの船頭め!しっかり銭を払ったと言うのに!」


「吉田様!悔しいお気持ちは分かりますが、今はそれよりも」


「そうであったな。気持ちを切り替えて、土佐国を目指すとしよう。門番の方、教えていただき感謝いたす」


そう言って、吉田達が走り出そうとすると、


「貴殿達、待たれよ!」


と、後ろから呼ばれて振り向くと、


「やはり、貴殿達、権六殿の家臣達ではないか!」


「あなたは、、、滝川様ではありませぬか!何故、讃岐国に居るのですか?」


「今は、殿の命令で、殿の御舎弟である源三郎様の内政における補佐と、高松城の築城で与力として讃岐国で働いておるのじゃ。それよりも、何やら急いでおる様子じゃな?」


「は、はい!現在、織田家の軍勢が毛利と戦をしておりまして、その事で長宗我部家の方々へ文を届ける様に、殿からの命令でして」


「何やらきな臭い話じゃな。貴殿達の話、源三郎様にも伝えたい、それに、毛利が関わっているのであれば、土佐守殿達を讃岐国へ呼んだ方が早い気がする。とりあえず、城内へ入って休まれよ」


「「「あ、ありがたき」」」


こうして、土佐国を目指していた吉田達は、悪い船頭に騙されて、讃岐国へ連れて行かれたが、そこで、勝家や秀吉と共に、織田家の重臣でもある滝川一益に見つけてもらい、土佐国へ行く為の山越えをしないで良い事になった。

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― 新着の感想 ―
滝川一益といえばかの前田慶次郎利益の叔父さんなわけですが、この世界線の慶次郎はいまどうしてるのかな?
秀吉と六三郎、二世代で頼りになる大将格が居るのは信忠にとっても心強そう。 吉田のおっちゃん達は色んな意味で持ってそうな動きをしてるw
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