怒り晴らすは今ではない!
元亀三年(1572年)十月十二日
美濃国 岩村城近くにて
「遂にここまで来たか。どれ程の罵詈雑言を言われるか分からぬし、最悪の場合粛清されてしまうかもしれぬ。それでも生きて戻らねば皆の命が消えてしまう。父上の無念を思えば、己が捕虜になる事も罵詈雑言を浴びる事も大した事ではない。気合いを入れねば」
声の主は飯富源太郎晴昌。前日吉六郎に無理難題をふっかけられて、弟を始めとする仲間の為に壮絶な覚悟を持って岩村城に戻って来た若武者である
一呼吸置いて源太郎は門番に声をかけた
「門番殿!武田家家臣、飯富源太郎晴昌にござる。此度の戦で討ち死になされた佐野様の首と鎧を持ち帰って来たので、秋山様にお目通りの許しを得たい」
「おーおー。飯富兄弟の兄のほうか。あのまま織田に討たれたと思っていたがよく生きていたな」
「何とか生き延びておりまする。それで秋山様へ」
「分かった。とりあえず待っていてくれ。おーい。誰か」
こうして待つ事、約四半刻。ようやく城の大広間に案内された。そこには上座に秋山虎繁、下座には左右に秋山の家臣達が並んでいたが全員、源太郎に鋭い目線をおくっている
頭を下げている状態の源太郎はそんな事は知らないのだが、空気感が伝わっているのか緊張なのか冷や汗が背中に流れていた
「飯富の小倅よ。面をあげよ」
そんな源太郎に秋山が命じて目線をあげる。そして
「佐野の首と鎧を持って来たそうじゃな。確認したい。首桶と鎧を入れた箱を開けよ」
「は、ははっ」
源太郎は先ず首を入れた桶を開けて、秋山に見せた
「佐野で間違いないな。我々を逃す為に殿軍を請け負うとは、誠に武士の鏡よ」
感傷に浸っていた秋山だが、直ぐに姿勢を正して
「次は鎧を見せよ」
「ははっ」
源太郎は鎧を見せた。秋山は首の時と同じく
「弓矢の傷が大量じゃ。最期は一騎打ちもさせてもらえなかった様じゃな。名のある武士ではなく足軽の放った矢で討ち死にとは、口惜しかったであろう」
(佐野様には父上亡き後、世話になっていたから感謝も恩義も勿論ある。だが、戦場で最期を迎えたなら幸せではないか!父上は、父上は)
源太郎の心に憤りの感情が出始める
そんな源太郎に秋山が質問する
「して、飯富の小倅よ。お主にいくつか聞くが、先ずは何故お主が佐野の首と鎧を持ち帰ってきた?こういうものは、通常討ち取った敵が使者を遣わせて交渉をするのではないのか?」
「その事ですが、拙者がやらせて欲しいと織田に頼んだのです。父上亡き後、佐野様にはお世話になったのでせめて、これくらいはと思いまして」
「そうか。ならば次じゃが、あの戦で織田が使った策を考えた者に会えたか?」
「はい」
「どの様な者じゃ?まさか織田にいる「今孔明」と呼ばれる竹中某か?」
「いえ、織田の重臣の柴田某の嫡男があの策を考えた者でございます」
「ほう。して、その柴田某の嫡男は何歳くらいじゃ?嫡男と呼ばれておるなら、元服して間もないくらいか?」
「今年で八歳になる童にございます」
源太郎の発言後、一瞬静寂が訪れるが
「儂の耳が遠くなったのかのう。飯富の小倅よ。柴田某の嫡男は今年何歳なのじゃ?」
「今年八歳で間違いありませぬ」
源太郎が再び発言すると
「わっはっは」
「あっはっは」
「は、腹がよじれる」
「な、何とも戯けた事を」
秋山を始めとする面々が大笑いした
「あの秋山様?」
「あ〜、今年一番笑ったかもしれぬ。飯富の小倅よ。お主、狐にでも惑わされたか?八歳の元服もしておらぬ童が、あの様な策を考える訳なかろう。いや、そもそも戦に関わるわけが無かろう」
「いや、しかし」
「もうよい。元服前の童が戦に関わるなどありえぬ。しかし、佐野の首と鎧が戻ってきただけでも充分じゃ。下がってよいぞ」
「では、お言葉に甘えて」
(これで無事にあそこに戻れたら、儂の首と引き換えに弟達を助けられる)
そう思いながら大広間を後にしようと源太郎だったが、
「全く父親が愚か者だと、倅もああなるのかのう?だとしたら、儂は嫡男を厳しく育てないといかんな」
「そのとおりでございますな。あ奴の叔父である山県様は立派なお人であるのにも関わらず一族にあの様な者が居るとは」
「まああまり言うてやるな」
この会話を聞いていた源太郎は怒りに震えていたが、弟達の為に拳を握り締めるだけにとどめて歩き出した。しかし、源太郎の歩いた場所には血が落ちていた




