上機嫌な天下人と悩む土佐の出来人
天正十二年(1584年)六月二十五日
近江国 安土城
「殿!お帰りなさいませ!」
「「「「「お帰りなさいませ!」」」」」
皆さんおはようございます。安土城にやっと到着しました柴田六三郎です。久々の安土城への帰還に、とても、安堵しております
恐らく今月やる事は、殆ど無いはずですので、殿や勘九郎様からの無茶振りが来ない限りは、ゆっくりと過ごしたいと思います
そんな事を考えている俺とは逆に、殿はとても上機嫌です。その理由は穴山征伐も終わって、源三郎様と勝姫様の祝言を挙げるから
と言うのも理由のひとつなんですが、実は俺達が安土城に到着する数日前に届いていた文も理由のひとつなんです。その内容が
「うむ!皆も、畿内を中心に周りを見ていた事、感謝する!そしてじゃ!毛利相手に戦っておる佐久間摂津からは「備前国を平定し、これから備中国へ入る」と言う報告があり、
羽柴筑前からは「因幡国を平定し、伯耆国も征圧地域を広げている」と報告があった!やはり、毛利と言えど、万を超える軍勢が二方向から来る事に対応出来ない様じゃな。
そろそろ臣従の申し出をするか否かの話し合いでもいている頃じゃろう。くっくっく。どの様な申し出をしてくるか楽しみじゃ」
と、佐久間さんと秀吉が順調な事に喜んでいるのです。そこまで順調なら、史実にあった「毛利へのトドメは殿がお願いします」みたいな事も無いだろう
この世界線の毛利輝元が、史実どおりの「内政の腕は素晴らしいけど、戦に関しては」的な人かは分からないけど、「毛利両川」と呼ばれる2人と対応出来る人は、そうそう居ないから、毛利の早い降伏を祈ろう!
俺がそんな事を考えているうちに、殿の話の内容が変わっていました
「話は変わるが五郎左!四国の長宗我部の状況は分かるか?」
「現在のところ土佐国、阿波国、讃岐国を征圧し終えたとの事です。残すは伊予国だけとなり、その伊予国を征圧したら石高は百万石に達すると思われます」
「ふむ。百万石の領地を持つ家が淡路国まで征圧したら、畿内へ攻め込みやすくなるか。一応、同盟関係であるが、そろそろ臣従か否かの答えを聞かねばならない頃合か」
「条件を提示してみるのも良いかと」
「そうじゃな。よし、長宗我部への条件をそれぞれ考えておく様に!源三郎と勝姫の祝言の翌日に聞く!ちゃんと考えよ!」
「「「「ははっ!」」」」
あっ、殿が俺含めた全員に課題を出した。恐らく、他の家臣の人と被ると思うけど、考えておくか
こうして、信長の帰還の挨拶は終わった。一方、その信長に目を向けられた長宗我部家はと言うと
天正十二年(1584年)七月五日
土佐国 岡豊城
「殿!畿内にて織田家の動向を探っている弥三郎様からの文にございます!」
「ほお。弥三郎はどの様な情報を掴んだのじゃ?見せてみよ」
文を受け取るのは、長宗我部家当主で岡豊城の城主であり、信親の父の長宗我部元親その人である
元親は土佐国の統一から始まって、阿波国、讃岐国と次々に征圧し、支配下に組み込んでおり、残るは伊予国だけになっていたので、とても上機嫌だった
そんな元親は信親の文を受け取り、読み出す
「どれ。「父上へ。この文は水無月の初頭に書いた物です。織田家のお膝元の近江国の安土城下にて、驚きの情報を掴みました。なんと、今年の睦月に武田征伐に出陣した織田家は、卯月には武田征伐を終えていたとの事です
しかも、その武田征伐は武田の家臣が謀叛を起こしたので、その家臣を征伐したら、武田の一族の者達から感謝されて、臣従に至ったとの事です。
更に、織田家当主である織田内府の息子と武田の姫が祝言を挙げる事も決まり、安土城下はお祭り騒ぎで盛り上がっております。
この戦乱の世で最強と謳われた武田を臣従させた織田家に、長宗我部家が戦で挑んだとしても、一度や二度なら勝てるかもしれませぬが、
最終的に負けるでしょう。改めてですが、父上!父上は四国全土を支配下に組み込むおつもりかもしれませぬが、それはやめてくだされ!
織田家と同盟関係の徳川家は駿河国、遠江国、三河国を領有しておりますが、長宗我部家がその徳川家よりも石高や領国の数で勝ってしまっては、目をつけられてしまいます
もしくは既に目をつけられているかもしれませぬ!なので父上!拙者としては、織田家に臣従するべきと考えます!ただ、条件として土佐国と阿波国の領有を認めてもらうのです!
その為ならば、拙者は織田家の人質になっても構いませぬ!いざとなったら、安土城下で耳にした、米の実りが悪い三河国の税収を倍増させた「柴田の鬼若子」と呼ばれる若武者の内政手腕を学びたく
領地を豊かにする事は父上の悲願である事は知っております!改めてですが父上!この条件で織田家に臣従を願い出ましょう!
今、織田家は毛利相手に山陽と山陰の両方から攻めているそうです。その軍勢を含めた織田家の軍勢が四国に来たらと考えると、負ける未来しか見えませぬ!
なので、どうか父上も臣従する事に納得していただきたく存じます!」と、あるが。武田を四ヶ月で臣従させたとは。これは、皆と話し合うか!
弥五郎と弥七郎を呼んでまいれ!二人の意見も聞きたい!出来れば、今月中には決めたい!」
信親の文を見た元親は直ぐには決断出来なかったので、兄弟と話し合う事を決めた。
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